因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シアターコクーン・オンレパートリー2019『唐版 風の又三郎』

2019-02-19 | 舞台

*唐十郎作 金守珍演出 宇野亞喜良美術・衣裳 大貫誉音楽 公式サイトはこちら シアターコクーン 3月3日まで。

 冬樹社の『唐十郎全作品集』第4巻掲載の戯曲を読む。読者を引き込むエネルギーに圧倒されながらも、紙面から舞台を脳内に立ち上げ、動かすことの、何と楽しいことか。扇田昭彦による巻末の「解題」には、本作の詳細な上演記録、作品解説のみならず、吉本隆明や小苅米晛などが執筆した劇評を紹介されている。淡々とした記述であるにのに、扇田氏の高揚感や、「この舞台のことを伝えたい」という情熱が伝わってくる。

 1974の初演では、春から夏にかけて、福岡を皮切りに広島、大阪、京都、東京を巡演し、東京公演では上野の不忍池、東京湾の夢の島で上演された。国内のみならず、レバノン、シリアの難民キャンプや大学の構内で、アラビア語訳による『パレスチナの風の又三郎』公演を実現させた。唐十郎と状況劇場中期の傑作であり、伝説の名舞台である。

 風の又三郎とエリカ二役(というのとは違うが)に、元宝塚トップスターの柚希礼音、「ぼくは読者です」と名乗る青年・織部に窪田正孝を抜擢した今回の公演は、唐十郎ゆかりの俳優、初めての俳優含め、座組ぜんたいが熱く盛り上がる舞台である。休憩を2回はさんでほぼ3時間の長尺にもかかわらず、立見席もでる盛況だ。唐作品が大劇場のエンタテインメントとしても成立することの証左であり、カーテンコールではスタンディングオベーションの盛り上がり。

 ダンスの実力随一と言われるだけに、柚希のダンスは美しい。彼女を中心に、銀のマントを着たコロスの群舞を見ると、ここは宝塚かと見まごうほどであり、宝塚歌劇、ミュージカル演出家の小池修一郎が唐十郎に傾倒していることが納得できる。さらに歌舞伎に通ずる要素もあり、多くの俳優や演出家、劇作家が憧れる唐十郎というものの存在の大きさに改めて実感した。

 が、違和感を覚えるところは多々ある。教授役の風間杜夫の台詞が聞き取りにくい箇所が散見する。教授とその部下3人は、作品ぜんたいの中ではコメディリリーフの役割をもち、賑やかにコミカルに舞台を盛り上げ、掻きまわす。しかしながら唐十郎は軽い扱いは決してせず、主軸に対する脇役という存在ではない。結婚式のあとにたくさんの引き出物の箱を持った教授と三腐人。淫腐は歩きながら箱をいくつか落としている。教授は「落としているよ」と指摘しつつ、乱腐と珍腐の方向を見て「おまえ達の顔を見たわけじゃないんだ。これから歩いてゆく向うの路にも、この淫腐のこれから落とすであろう八個の品物が見えるような気がしたものでね」。いったいこの場にどう意味づけられるのかわからないが、非常に詩的な美しい台詞である。これが騒々しいコント風のやりとりに紛れてきちんと聞こえてこない。また高田三曹から切り取られた肉を喰らうエリカを「腹が飢えていたんじゃないっ。心が飢えていたんだ」と庇う織部に向かって、教授は「黙れ、形而上学!」と一喝する。

 これはむずかしくもあり、たまらなくおかしい台詞である。いんちき臭い教授が、突如インテリ風に発する台詞であるが下卑た響きもあって、エリカと織部の狂おしい様相に容赦なく切り込む残酷なことばでもある。これもしっかりと客席に届けてほしいのだ。今回の音楽は新宿梁山泊の俳優でもある大貫誉であり、初演の際の安保由夫の、あのメロディが聞かれないのは寂しいが、劇中何度も歌われるたび、新しい音楽が次第に耳になじむのも確かであった。しかし前半で六平直政が登場するときの音楽は、アニメ映画『銀河鉄道の夜』のメインテーマ(細野晴臣作曲)である。パンフレットには何も書かれていないが、このようなピンポイントでの使用に、問題はないのだろうか。

 根津甚八の織部を見ていないせいでもあるだろうが、この役の窪田正孝の健気でひたむきな姿に陶然と魅入られ、わたしにとっての『唐版風の又三郎』、そして織部は窪田から始まった。将来的に劇団唐組の紅テントでも上演されることを切に願う作品であり、そのときが客席に身を置くものとして「勝負」になるだろう。

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2 コメント

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テント希望 (しのらん)
2019-03-01 16:24:34
先日、観劇しました。
ギリシャ神話やシェイクスピアを引用して、それでも唐十郎独特の「詩」が浮かび上がっていましたね。
窪田正孝の一途な眼差しと柚希礼音のしなやかな身体によって、一気に異世界へ誘われました。
ただ、私も違和感を覚えました。それは多分、劇場のせい。プロセニアムは似合わないんじゃないかと。
大掛かりな仕掛けのできないテントでこそ紡ぎ出されるイメージを体感できる日が来ますように。
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同じく! (因幡屋)
2019-04-11 23:20:42
しのらんさま、
大変遅まきながらblogへのお越しならびにコメントありがとうございます。ラストで舞台奥が開くかもと半分不安でしたが、それではほとんど◎川演出ですから、あのままで良かった。テントであの台詞を聞き、あの場面を見たい。わたしもそう思います。
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