因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座公演『風をつむぐ少年』

2005-05-28 | 舞台
 昨年の新聞に掲載されていた同名の原作小説の書評が気になり、切り抜いてずっと持っていた。
 今年になって文学座で舞台化されることを知り、ようやく小説を入手する行動を取れた。
 転校先の高校で友達作りに失敗した少年ブレントが飲酒運転の末事故を起こし、18歳の少女を死なせてしまう。
 彼女の母親は「娘に似せた風で動く人形を作って、アメリカ大陸の四隅に立てて」と言う。
 これは少年の贖罪と再生の物語である。
 原作の構成が少し変わっている。ブレントを中心とする物語の主筋のあいだに、まったくつながりがない(と最初は思われる)別の人々の話が挿入されているのである。正直読みづらいと思ったが、それでも読んでいるうちに、この作品の持つ不思議な力に引き寄せられている自分に気づいた。
 時間がきっちりと順序よく流れているわけではなく、風で動く人形をみつめているこの人は、人形が作られてから何年もたってこの場にいるらしいことなどもわかってくる。しかも彼らはこの人形がどんな目的で作られたかを知らない。
 それぞれが容易とは言いがたい人生を送りながら、人形によって励まされ癒され、勇気を与えられるのである。
 風は目に見えないが、木々の枝や葉のそよぎでその存在を知ることができる。
 目に見えない働き。
 風で動く人形は、その働きを人々に伝えるメッセンジャーなのだ。
 時制や場所があちこちに飛ぶことや、いわゆる旅の物語であることは舞台化するには難しい点も多いが、今回は回り舞台や主役のブラント以外の俳優が複数の役を演じることなどによる工夫が凝らされている。
 やや残念に思ったのは、俳優の演技がいささか大げさに感じられたことである。
 ブレント周辺の人々の物語はその人物のモノローグによって語られる場面も多い。「聞き手」に向かって話しているところや複数の人物の会話の場面もあるが、心のなかでの密やかなつぶやきが、大声で客席に宣言するかのように発せられることにはちょっと・・・。
 贖罪ということを考えると、ブレント少年はまったく殺意なしに完全な過失で事故を起こしてしまっていることが救いである。
 現実の社会はもっと恐ろしいところまで来ている。それを実感しつつ、風で動く人形が人々に希望を与えるこの物語にしばしの安らぎを覚えるのだが、本作に触発されて原田治著『弟を殺した彼と、僕』を一気読みし、ずっと以前に買ったまま読んでいない『デッドマン・ウォーキング』を再び手に取った。
 風はわたしにはこんな形で吹き始めた、ということだろう。
原作 ポール・フライシュマン 訳・脚色 坂口玲子 演出・鵜山仁  
       全労済ホール/スペース・ゼロ  5月1日観劇
 

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