*椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら 相鉄本多劇場 11月3日まで (1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9,10,11)劇団のカラーや劇作家の作風のことを「路線」という言い方で表現することがある。これまでソルトの座付作家椎名泉水の「路線」はコメディ調の「レッドライン」と、シリアス調の「ブルーライン」の2つだが、今年5月の『天気のいい日はボラを釣る』をみたとき、はっきり「こちらの路線だ」と判断し切れない印象があり、それは自分にとって新鮮で、椎名の作風、劇団のカラーが変革期に入ったのではないかと予感させるものであった。では両方を混ぜて「パープルライン」と名付けるのもあまりに単純で、新作の初日をみた今も、この迷う気持ちを持て余している。
風琴工房に所属していた山ノ井史が、昨年上演の『中嶋正人』に客演ののち、ソルトに入団したことを知ったときは正直驚いた。風琴とソルトでは、劇団のカラーも劇作家の筆も大きく異なる。入る方も迎え入れる方もいろいろな面で大変であったのではないかと思う。その山ノ井が正式なメンバーになって初めての公演が本作となった。
上演前の舞台が暗くてほとんど見えないが、手前には砂が敷きつめてあり、海辺のコテージのようだ。開演して冒頭、不思議な場面がある。詳細は・・・書かないほうがいいだろう。暗転したのちに明転し、海辺のコテージの経営者らしき男性(山ノ井)と、三々五々そこにやってくる人々のやりとりが始まる。
彼らがなぜここにやってくるのか、彼らの関係は何なのかがわかりそうでわからないのは、客人を迎え入れる山ノ井と彼らの挨拶の仕方やそれに続く会話がぎくしゃくしているせいだ。中学の同級生たちらしいが、在学当時の関係やいまどの程度のつきあいがあるのかもなかなかわからない。そういう間柄なのに、なぜ今日ここに集まってきたのかということも、どこか不自然な印象がある。表面を取り繕っていたり、ライバル意識がもたげてきたり、和気あいあいの同窓会が、ちょっと間違えば一発触発の大波乱になるパターンかとも思ったが、集まりじたいに最初から不自然さや違和感があって、安易な読みができない。
後半山ノ井のひとことで、宴席は凍りつき、さあここからすべてが明かされるのかと身構えた。
すべての人にとって子どものころが懐かしさでいっぱいとは限らないだろう。辛い思い出、特に苛められたり仲間外れにされた経験があれば尚更である。何十年経とうと、いい年の大人になろうと嫌なものは嫌だし、相手への恨みや憎しみも消えない。その後の人生が充たされて幸せならばまだしも、思うに任せない人生を「中学のときからずっとうまくいかなくなった」と悶々と苦しむ人もある。白けた宴席も何とか持ち直し、皆が海岸にでて夜光虫と戯れる。そこに山ノ井がトレイに飲み物の入ったグラスを持ってやってくると、中の一人が「それください」と手を伸ばすが、山ノ井はグラスの中身を砂に空け、トレイを傾けてグラスぜんぶを砂浜に落としてしまう。
帰りの電車を降り、改札を出たところで「あのグラスは、すると冒頭のあの場面は」と気づき、背筋がヒヤっとする。もしかしたらそういうことなのか?
共有できなかった思い出をめぐる、一種のサスペンスでもある。前作の冒頭で陽気な春の日を楽しむ幸せな人々の点描があって、一転ホームレスの人々の日常に変わるという場面があった。今回山ノ井史という俳優を得たことによって、現実なのか彼の妄想なのか俄かに判断しにくい、それだけに幻想的で詩情が漂い、しかしあとになってぞっとするほどの恐怖が襲ってくるという描写がかなりいいところまで来ていると思う。
初日が明けたばかりなので書きにくい。しかしそれもまた楽しい。春と秋のソルト公演通いの楽しみはこれからも続きそうである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます