因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

<del>中野成樹</del>多田淳之介+フランケンズ『トランス』

2008-11-10 | 舞台
*鴻上尚史作 多田淳之介演出 公式サイトはこちら 江古田ストアハウス、横浜STスポット 9日で終了
 中野成樹は正確には二重線で消してあります。フランケンズが外部から演出家を招き、翻訳劇ではなく現代日本作品を取り上げた。演出は東京デスロックの多田淳之介。

 80年代後半から90年代にかけて、チケットの予約に苦労しながらもせっせと通っていたのが鴻上尚史が作・演出をする第三舞台の公演だった。「デートに使えるお芝居」。これが自分にとって第三舞台の大きなウリだったように記憶しております(笑)。『トランス』は初演を見逃し、98年の再演をみた。東京グローブ座で三宅弘城、内野聖陽、奥山佳恵が出演した。

 開演前に演出の多田淳之介が物語のストーリーを説明しはじめたので驚いた。しかも結末まで。原作を大幅にカットしたり、内容を変更するためか、それともこれも演出のうちなのか。説明を聞いて98年の舞台のあれこれを多少思い出した。ということはあまり強い印象が残らなかったということなのだろう。呆気にとられつつも肩の力が抜けて、これから始まる舞台に対して別の視点、たとえば話の流れを追うだけではない楽しみ方に気持ちが導かれるのを感じた。ところが。

 
 多田淳之介版の『トランス』は冒頭からただならぬ緊張感を放つ。登場人物が全員パジャマを着て、しかも黒いアイマスクをして視界を遮られた状態で演技をするからである。多少の小道具がある程度で装置は何もなく、文字通りの裸舞台だ。誰もが心を病んでおり、しかし触れ合った相手に寄り添い、歩み寄ろうとする。誰が正常で誰がそうでないのか、そもそも正常な精神状態とはどういうものなのか。俳優は客席の様子が見えず、観客は俳優の目の動きや表情がみえない。だから必死で台詞を聞き取ろうとするのだが、BGMの音量に台詞がかき消されるところもあって、よけいにもどかしい。これも演出の意図だろうか。ダンスシーンはなく(あれでは踊るなんて無理)、コント風に笑いをとる雰囲気ではないし、俳優が不自由な状態におかれて、ぎりぎりの精神状態の人物を演じている。『トランス』はこうも苦しく痛ましい物語であったのか。

 戯曲を読み解く、演出をすることについて考えた。多田淳之介は年末年始に三好十郎の『その人を知らず』を演出したのち、東京での公演を休止するという。遅れてきた観客にとっては残念だが、今後を考えると空恐ろしくも楽しみなのだった。
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