ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東消防署で貴重な郷土の消防の歴史との出会い

2022年07月15日 05時22分19秒 | Weblog
 

 

 先日、加東消防署で加東市まとい会の総会が行われ出席しました。その折りに玄関奥の一角に古い消防の器具や道具などが展示してありました。小学生が消防署の見学に来た時に見てもらい、消防の歴史に関心を持ってもらうためだと聞きました。
 まとい会は消防団幹部OBによって構成され、現役消防団や団員を応援する会ですが、そのお一人が道具を見ながら、懐かしそうに若い頃の消防団活動を語っておられました。
 まといや法被、ホース運搬車、手動ポンプなどで、大正から昭和初期のものではないかと思われます。平木村、加茂村、東條、瀧などの地区名もあり、歴史を語る貴重なものばかりです。
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鴨川ダム堰堤よりー堰堤の内と外の景色

2022年07月14日 04時53分34秒 | Weblog
 


 昨日に続いて、鴨川ダムの景色を紹介します。12日の夕方、渇水状況を目で確かめようと、鴨川ダムに行きました。堰堤のところまで行き、堰堤の上を歩きながら、あらためて岩壁の高さに圧倒されそうでした。
 堰堤を渡り切ったところで、その真ん中に立ち、堰堤の内側と外側の両方が見えるように写真を撮りました。内側の水位はずいぶん減って、水天宮のある岩場はだいぶ下まで露出しており、その険しさが一目で分かります。
 一方ダムの外側には、遠く六甲連山、その手前に丘陵、東条川の谷に広がる緑の田圃が望め、堰堤直下にはダムから放流される水を貯める副ダムがあります。また、幹線水路への隧道へと水が流れていきます。東条川疏水の出発点です。
 この雄大な景色を眺めながら、戦後の占領時代に国営第一号のダムとして建設され、今も加東市、小野市、三木市の一部の田を潤して、豊かな実りをもたらしてくれている鴨川ダムと東条川疏水の水の歴史に思いを馳せました。そして、ダム建設のために、生まれ育った故郷を去らざるを得なかった土井集落の人々の悲しい気持ちを語ってくれた湖畔の食堂の藤原栄さんの独特の甲高い声と語り口を思い出していました。
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渇水の鴨川ダム

2022年07月13日 05時44分30秒 | Weblog
 

 12日(火)の夕方、東条での用事の帰りに鴨川ダムを回ってみました。今年は雨が少なく、1週間前には、関係者からダムの貯水量が50%になっている、と聞いたばかりでした。その後、雨の日がありました、気懸かりなダムの水位を見に行きました。
 確かに水位は下がっていました。遊覧船やボートのりばが水位が下がり、いつもの位置からだいぶ下になっています。堰堤の近くは、いつもは水面下で見えない岩も露出していました。対岸の岩場の上にある水天宮の祠がまさに断崖の上という風景になっていました。これ以上水位が下がってしまうと、かつて湖底にあたる所にあった土井集落の道や田圃、建物跡などが見えてくるのでは、と思うほどです。
 週後半は雨の日が多いとの予報が出ています。いつもならまだ梅雨です。この時期にしっかり降ってくれないと、夏の水が足りなくなります。農業用水はもちろん、水道用水にも使われており、まさに命の水です。雨よ降れ、と祈らずにはおれません。
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今夏、クマゼミの抜け殻第1号3つ門柱に

2022年07月12日 04時27分02秒 | Weblog
 

 11日(月)の朝、今朝はいつもより遅い配達の新聞を取りに玄関に出ると、門柱に3つのクマゼミの抜け殻が目に飛び込んできました。
 まだ、チーチーゼミの声しか聞いたことがなく、クマゼミのことはまったく頭になかったので、突然の3匹の抜け殻に驚きました。
 毎年、この門柱をよじ登り、天辺近くにしがみついて羽化していきます。ということは、今日あたりクマゼミの初鳴きがあるかな、と期待しましたが、聞こえませんでした。しかし、愈々本格的な夏の到来です。
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六角形の縦穴住居跡(弥生時代)ー社・大塚遺跡

2022年07月11日 05時54分01秒 | Weblog
 

 この写真は、滝野図書館2階のギャラリー「伝」で開催されていた加東市収蔵品展の社・大塚遺跡の発掘調査の解説の中にあった弥生時代後期の住居跡です。
 今回のバスターミナル建設現場で行われた調査で出たものではなく、過去の調査で発掘されたものですが、今は埋め戻されて田圃になっています。わが家の田圃に近いところです。
 円形の竪穴住居はよく見ますが、このように多角形、六角形の住居跡は珍しいものだそうです。柱と思われる穴が規則的に位置しているところから、上部の家の形をいろいろに想像してみました。
 二千年ほど前にこの一帯で稲作が行われ、人々が暮らした痕跡がある、というだけでも何か「歴史」を感じます。その場所で、今、私たちはやはり稲作をしています。当時の風景はどんなであったのでしょうか。これらの住居跡の家、石包丁を使って稲穂の刈り取りを行う人々の姿、周囲の風景など想像図で描いてあればもっと想像力がかき立てられるでしょう。
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7月7日の羽黒トンボー忠魂碑

2022年07月10日 05時31分35秒 | Weblog
 

 7日は、朝からまぶしい日が差していました。社の明治館の広場にある忠魂碑に参ろうとすると、また、羽黒トンボがヒラドツツジの生垣から飛び立ちました。先日も2匹の羽黒トンボを忠魂碑で見ましたが、この日も2匹いました。
 地面に降り立ち、翅を時々広げて静かに止まっています。かと思うと、ヒラドツツジの上をひらひらと飛び回り、葉の先にそっと止まります。朝日に輝いていました。
 護国の英霊となられた郷土出身の戦没兵の御魂に静かに祈りを捧げました。まだセミの鳴き声がしない夏の朝。羽黒トンボが静けさを引き立ててくれました。
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大ケヤキの天辺で 2羽のアオサギ

2022年07月08日 05時38分26秒 | Weblog
 

 7日(木)の朝、ウォーキングで忠魂碑から佐保神社の参道へと歩いてくると、アオサギの鳴き声が頭のはるか上から聞こえてきます。
 見上げると、大ケヤキの天辺に2羽のアオサギの姿が見えました。朝日に白く光って目立っています。カメラを構えてズームしてみると、もう一羽は羽繕いに忙しそうで長い首をくねらせていました。
 葉が茂ると巣は隠れて見えなくなりますが、この天辺の巣はむき出しのようで、高い所を好むアオサギにとっては、最高の場所かもしれません。
 体は十分に成長し大きくなっていますが、まだ親の運んでくる餌を待っているようです。
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社・大塚遺跡ー加東市収蔵品展より

2022年07月07日 05時43分42秒 | Weblog
 


 やしろショッピングパークBioの南側駐車場に建設中のバスターミナルは、社・大塚遺跡の一部にあたり、建設に伴い発掘調査が行われ、その成果や発掘された遺物などが、加東市収蔵品展に展示されています。
 このブログで、石包丁などについて紹介したとおり、この社・大塚遺跡は、市内を代表する弥生時代の遺跡です。弥生時代から室町時代まで人々が暮らしていたと考えられています。土器や住居跡、墓などが発掘されています。
 展示場には、その調査のようすの写真、地図が展示されています。まず、空中写真では、Bioや県社総合庁舎、加東警察署などの建物が写っており、だいたいの位置がわかります。地図でみると、遺跡の範囲は結構広く、下川から南の八郎町池までの田圃がすっぽり入っています。すでに圃場整備時に調査が行われていますが、今回は残りの一部の調査が行われました。調査の様子を示す写真には、遺跡から東の方に見える明治館(元加東郡公会堂)の建物の屋根が見えます。2000年以上前からこの地に人々が生活し、稲作をしていいたと思うと、この景色も変わって見えるものです。
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かき氷機と殺虫剤噴霧器-加東市収蔵品展から

2022年07月06日 04時33分15秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、加東市滝野図書館ギャラリー「伝」で開催されている加東市収蔵品展から、懐かしいかき氷機と殺虫剤噴霧器を紹介します。
 これらは河高地区にあった丸山商店さんの寄贈品です。まず、かき氷機は昭和時代のものですが、見馴れたような形ですが、いつ頃なのかは不明だそうです。「氷」の赤い文字がいいですね。一緒に参観した70歳前のご婦人は、この皿、見覚えがあるわ、などと懐かしそうに見ておられました。
 もう一つは、殺虫剤の噴霧器です。昭和40年代ではないか、とのことですが、袋に入っており、「インピレス」の文字が見えます。筒の先の下にタンクがあり、水鉄砲のようにして噴霧します。このような形の噴霧器が確かにありました。天井からはハエ取り紙がぶら下がり、こんな噴霧器も使いました。遠い昔のように思いますが、つい半世紀あまり前のことなんですね。
 昭和レトロがブームのようですが、アナログ時代の懐かしさ、人の温もりが感じられるのがいいのでしょうか。
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牛の鼻輪-加東市収蔵品展から

2022年07月05日 05時14分06秒 | Weblog
 

 現在、加東市下滝野の滝野図書館2階ギャラリー「伝」で開催されている加東市収蔵品展で、河高地区にあった丸山商店の商品や帳簿などが展示されています。昨日は、昭和初期のマッチ箱を紹介しましたが、もう一つ、珍しい物がありました。牛の鼻輪です。一目見て、牛の鼻輪と分かりましたが、こんな物まで売っていたとは、とその驚きが先に立ってしましました。
 小さい頃、農家だった母親の実家には牛が飼われており、農作業で活躍していました。庭に繋がれた牛のお尻あたりについた乾いた糞を金属のタワシのようなもので取るのですが、子供がおそるおそるやっているとお尻の筋肉をぶるんぶるんと振るわせたり、尻尾でパチンとたたいたりして脅かし、それはおそろしいものでした。同じ屋根の下に飼われており、餌を食べている牛のところへ行くと、ぎょろりと大きな目で睨まれました。長い舌を口から出してべろりとするその様は、小さい私にとっては巨大な怪物のようでもありました。夕方には村の中の道を散歩させる光景も目に焼き付いています。大きな牛の散歩です。
 もう一つ、家のすぐ近くに牛市場があり、毎月4の日だったか、牛市が開かれ、早朝から牛の鳴き声がしていました。道には牛の大きなうんこがぽたぽたと落ちていました。
 牛の思い出はそうしたものですが、牛の鼻先に付けられている輪は当たり前のように見ていましたが、付けられる前の物、商品としての鼻輪は初めて見ました。
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マッチ箱ー加東市収蔵品展から

2022年07月04日 05時48分27秒 | Weblog
 

 

 昨日、紹介した加東市収蔵品展の展示物を紹介します。河高地区にあった丸山商店に保存されていた商品などが展示されていますが、その中でマッチを紹介します。
 近頃はマッチを使うことは滅多にありません。小さい頃はガスコンロに火をつけるのも、風呂を焚くにも、マッチは不可欠のものでした。タバコを吸うようになってからもマッチの世話になりました。今は仏壇のローソクに火を点す時ぐらいです。ボーイスカウトの訓練で3本だったか5本だったか、マッチを与えられ、飯盒炊さんの火をつけるというのがありました。大事なマッチを無駄にしないようにうまく火をつけることに集中したことを覚えています。今は炊事で火を使わない場面が多く、子供には「火育」が必要だとも言われています。そんなことを思い出しながら、展示されているマッチ箱を見ました。マッチの名は「敷島」、朝日燐寸株式会社の製造で、昭和10年代と表示されていました。木箱にマッチ箱が詰まっていました。入荷して、そのまま倉庫に保管されたままだったのでしょうか。
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社の大塚遺跡 弥生時代からの稲作、今も

2022年07月03日 06時43分02秒 | Weblog
 


 2日(土)、加東市下滝野の滝野図書館2階のギャラリー「伝」で、加東市収蔵品展が始まりました。これに合わせて、やしろ歴史民俗研究会の例会が開かれ見学しました。会場では、教育委員会の藤原さんが、展示されている文化財の説明をして下さいました。今回は、新しく寄贈された、河高地区にあった丸山商店さんの帳簿や商品、暖簾など展示され、昭和時代の懐かしい品々が記憶を呼び起こしました。
 埋蔵文化財の発掘調査の成果も展示されており、今回はやしろショッピングパークBioの南側駐車場に建設中のバスターミナル現場にある、社・大塚遺跡の発掘調査の概要や発掘された土器などが展示されていました。
 弥生時代前期から中期、後期、さらには中世室町時代までのものと推測される土器(壺、甕、高杯など)や石包丁、石鏃なども発掘されています。大塚遺跡は加東市内でも有数の弥生遺跡の一つで、これまでに住居跡なども発掘されています。石包丁が出てきたということは、およそ2000年前からこの地で稲作が行われていたことを示すものであり、今もこの辺りは、一面に田圃が広がっています。実はわが家の田圃もこの大塚遺跡の範囲の中にあり、圃場整備前もほぼ同じ場所だったので、時代や人は変わってもこうして稲作が続いているとも考えられ、感動しました。
 中学の社会科教師だった頃、歴史の授業で、弥生時代の稲作のようすを石包丁のレプリカを使ってみせましたが、実はこうして地元の社で出土した石包丁があったのだと思うと、子供達もこの展示をぜひ見に来てほしいものと思いました。7月10日(日)まで開催されています。
 作品展を見学しての帰りに大塚遺跡の辺りへ寄ってみました。わが家の田圃も含めて今年も稲が植えられ育っています。その景色を見ながら、また、感動してしまいました。
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7月1日の朝のアオサギ 佐保神社の大ケヤキの樹上で

2022年07月02日 04時55分21秒 | Weblog
 

 1日(金)、朝、ウォーキングで社の忠魂碑から佐保神社へと参道を歩いていくと、大ケヤキの樹上からギャオ、ギャーとけたたましい鳴き声が聞こえてきました。アオサギです。葉が茂っているので最近は巣が見えなくなっています。しかし、鳴き声のする方をよく見ると、朝日を受けて白い体が見えかくれしています。子供といってももう大人に近い大きさです。
 そのうち一羽は遠くを見ていたのに私の気配を感じたのか、首をこちらに向けてちょうど目が合ったように思いました。また、樹上には、2羽が見えます。
 ふと、アオサギになって樹上の巣から私を見たらどのようにみえるのだろうと思って想像してみました。3階建ての住宅のさらにその上です。ずいぶんと小さく見えるのでしょうね。夏の朝の街や遠くの景色をあの樹上から眺めてみたいものです。
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梅雨明けの朝ー社の忠魂碑の羽黒トンボ 

2022年07月01日 05時19分54秒 | Weblog
 

 

 加東市社の市街地の南端に旧加東郡公会堂があり、現在は「明治館」として活用されています。その広場に旧社町(昭和の合併以前の社町、現在の社小学校区)の戦没兵士を顕彰する忠魂碑があります。
 この忠魂碑は、大正15年に建立され、戦後の昭和28年に両側の英霊尊名碑が建てられてました。
 朝のウォーキングでこの忠魂碑にお参りすることにしています。梅雨明け空の下、碑の前に立ってお祈りをしようとすると、生垣から2匹の羽黒トンボが飛び立つのが目に入りました。
 ひらひらと飛んで、石の玉垣や階段に止まり、翅をたたんで静かに休み、しばらくすると、翅をぱあーっと広げてまた閉じます。細い尾の色が翡翠のようで、黒い翅とのコントラストに気品を感じます。カメラで追いながら、静かに静かに眺めていると、時を忘れてしまいそうでした。
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