ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

ゆら野の雲海ー集落も田も加古川も霧の中に

2021年12月28日 05時08分18秒 | Weblog
 

 25日(土)の朝は、一帯が霧に包まれました。ウォーキングで加東市社の持寶院の大師殿にお参りしたとき、境内から西に見えた景色は、霧の海が広がっていました。
 持寶院は寺号を涌羅野山慈眼寺持寶院といいます。涌羅野はゆらのと読みます。ゆら野は、加古川の東部に広がる低地から河岸段丘の中位面の社の市街地の西半分の辺りをさします。広がる地形を「野」と呼びますが、そのゆら野が見渡せる場所に持寶院があります。
 ちなみに社の市街地の東半分からもう一段高い段丘面の嬉野台地まで広がる辺りを「広野」(ひろの)と呼んでいます。昔は、段丘の低位面も中位面も広々とした「野」だったんでしょう。さらに高位面は「嬉野」です。嬉野台地の一番東の高い部分は「依藤野」で、全部「野」が付いています。
 そのゆら野は、今朝は一面の霧の海に包まれていました。その向こうには、加古川の西岸に広がる青野原と低い山が島のように霧の中に浮かんでいました。よく見ると、朝日に光る建物が少し見え、そこに工業団地や集落があることがわかりました。もし、海面が今より数十メートル上昇すると、本当にこのような海が広がるんだろうななどと思いながらしばらく眺めていました。
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