ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

藤田地区の大とんど

2016年01月15日 06時27分49秒 | Weblog
  

 14日(木)、朝からきれいに晴れ渡り、子供が登校する頃にはまぶしい朝日が昇りました。
 さて、今日14日はとんどが行われます。このブログでも毎年のように紹介しているのが加東市内でも最大級の大きさを誇る藤田地区の大とんど。今年も楽しみにしていたのですが、点火される時間帯は所用があり見ることが出来ませんでした。
 夕方、わが家の注連飾りを持って藤田地区へ行き、とんどに入れさせていただきました。今年は特に大きく見えました。天気もよくきっと素晴らしいとんど焼きになるだろうなと想像しながら写真を撮りました。
 書き初めを燃やしたり、餅を焼いたりしながら世代を超えて伝統のまつりを楽しむこのとんど。準備は大変でしょうが、ぜひこれからも続けていっていただきたいなと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-軍用飛行機献納資金の領収証

2016年01月14日 05時41分52秒 | Weblog
  

 今日、紹介するのは昭和18年(1943)に軍用機献納資金の領収証です。「軍用飛行機献納資金領収書在中」と表書きされた茶封筒の中に入っていました。茶封筒の裏には、「兵庫縣加東郡社町役場 電話社一番」と印刷してあります。軍用飛行機の献納は
 領収証は次の通りです。

 領収証

一金 壱阡九百五拾円也

 軍用飛行機献納資金

右正ニ受領仕リ候也

 昭和拾八年十月三十日

    社町長 合田常蔵

 社区
  下町二部御中

 この歴史ブログでは、昭和7年(1932)の軍用飛行機献納についての募集計画を紹介したことがありますが、目標額は一機約10万円とされ、学校の児童・生徒や青年団、婦人会などの各種団体構成員に一人当たりの標準額を挙げています。また、昭和19年には、軍用飛行機の資材として桐の供出などもおこなわれていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大正7年-町費完納への感状

2016年01月13日 04時50分09秒 | Weblog
  

 ここに大正7年(1918)に社町(旧社町、現在の加東市立社小学校区域)の区事務所から社町下町第二部に与えられた町費完納の感状があります。(写真)
 大正7年といえば、今から98年前のことであり、1918年は第一次世界大戦が終わった年でもあります。感状はA3判ほどの和紙に墨で書かれており、「木盃 壹箇」と書いた紙片と一緒に「感状」と表書きされた和紙に包まれていました。
 納税の大切さ、そして、下町第二部の町内会の町費完納実績を美挙、模範と高く評価しています。


   感状

国家ヲ経営スル基礎ハ須ク納税ニ在リ町村
ヲ経営スルモ亦然リ茲ニ貴町内ハ積年町費
之負担ヲ一言之異論ナク厘毛之滞納ナク各
戸挙テ納期ニ完納セラル是レ実ニ本町ノ美
挙ニシテ一般之模範タル事誠ニ嘉スベシ
猶ホ将来モ一層奮励アラン事ヲ望ム
茲ニ評議員会之決議ヲ経テ感状ヲ呈ス

 大正七年拾二月廿五日

    社町事務長  肥田磯七 印

社町下町
 第二部御中
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とんどの準備ができていた-下三草で

2016年01月12日 04時37分33秒 | Weblog
 10日(日)、加東市「新成人のつどい」に出席する前、下三草地区の公民館で開かれている地区初集会にご挨拶にうかがいました。
 公民館のすぐ北側の三草川沿いの田圃の中に「とんど」の準備ができていました。三草山を望むこの辺りは源平合戦の三草合戦の古戦場と伝えられ、源氏に追われた平氏が自ら命を絶った悲し池の伝説の地でもあります。(写真右奧の山が三草山)
 14日には市内各地で伝統行事の「とんど」が行われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校道のろうばいが満開

2016年01月11日 04時46分32秒 | Weblog
    

 加東市社の社小学校へ通じる通学路。通称「学校道」は社の田町通りから小学校までほぼ真っ直ぐに伸びている道路です。
 この学校道の交差点の角の家の庭にろうばいが植えられており、毎年黄色い花をつけます。今年は例年になく早くから咲き始め、3学期が始まった7日にはほぼ満開になっています。
 ここ2,3日は冷えていますので、咲いた花も長持ちするでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐保神社境内の恵比寿神社で宵えびす 

2016年01月10日 04時11分30秒 | Weblog
  

  

 9日は宵えびす。佐保神社境内の恵比寿神社では多くの人が参拝し、御札や吉兆、福飴などを買い求め、今年の繁盛を祈りました。
 朝のウォーキングの時には静かだった恵比寿神社の辺りも、夜には参拝者で賑わっていました。穏やかな天気にも恵まれ、また、土日の休みということもあり、昼間から人出は絶えることはなかったそうです。福飴・福チョコも午後7時半過ぎには当日分が売り切れになっていました。
 今年は恵比寿講の当番組にあたり、数日前から準備を始め、今日は朝から恵比寿神社の飾り付け、お供え、御神酒と御札売場の設営と接待などを行いました。といっても仕事で出られなかった私の代わりに家内が出てくれました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和13年-出征軍人慰按会で活動写真

2016年01月09日 05時38分51秒 | Weblog
 昨日は、昭和13年(1938)3月に開かれた出征軍人家族慰按会の入場券の配布依頼文を紹介しましたが、4月には県軍人後援会主催の慰按会が開催され、一般にも案内されています。社町長から区長宛てに出された依頼を紹介します。配布出征家族の送付数は31枚となっています。


 昭和十三年四月十八日

                 社町長  大 橋 實 次

区長殿

   出征軍人家族慰按会開催ノ件

 今回縣軍人後援会支会主催ノモトニ出征軍人家族慰按活動写真会開催セラルルニツキ一般ニモ観覧セシムル由ニツキ御部内一般ヘモ御伝言ヒ下度尚一般ハ人員ノ都合□満員ノ節ハ御断リ申上ベキ事アリヤト推察サルルニツキ念為右通牒迠
 追伸 洵ニ恐入候ヘ共別紙通牒各名義者ヘ御配布ヒ下度願上候
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和13年-社劇場で出征軍人家族慰安会

2016年01月08日 05時37分03秒 | Weblog
 今日は、昭和13年(1938)の3月に出征軍人の家族のために開かれる慰安会の入場券の配布依頼について、社町長から区長宛てに出された文書を紹介します。
 慰安会は社劇場が開催するもので、配布先の軍人家族33名の氏名が記入されています。その中には私の祖父、藤本嘉市の名もありました。当時、父の弟の義夫が出征していました。



 昭和十三年三月二十三日

            社 町 長   大 橋 實 次

社区長 殿

     家族慰安会入場券配布方ノ件

今般社劇場株式会社ヨリ出征軍人家族慰安会ヲ催ス由ニテ入場券送付越候条左記へ夫々配布方取計レ度御多忙中教習存候ヘ共御以来申上候也

     記

※ 33名の家族名が記入されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和13年-応召兵奉告祭、播鉄バスで出発

2016年01月07日 04時44分57秒 | Weblog
 昭和13年(1938)は、多くの郷土兵が応召、佐保神社で奉告祭を行い、出発していきました。
 これまで、社地区の軍事関係文書綴に綴じられた奉告祭の通知を多く紹介してきましたが、今日もその一つを紹介します。


 昭和十三年八月六日
           社 町 長
町会議員 殿
区  長 殿
官公衙長 殿
学校、会社、団体長 殿

   応召兵奉告祭挙行ノ件

来ル八月九日午前七事ヨリ佐保神社前ニ於テ左記応召兵ノ奉告祭ヲ挙行可仕候条御参列相成度御部内一般ヘモ御伝言ノ上多数参集相成様御配慮相煩度此段及通牒候也

   記

杉本栄治郎(准尉) 社     午前七時三十分
                  社発 播鉄バス ニテ出発ノ予定 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加東伝の助の軽快なダンス

2016年01月06日 04時41分41秒 | Weblog
 

 5日(火)、加東市の滝野総合運動公園体育館スカイピアでは、午前、午後と市内の子供たちが参加する新春恒例行事が開催されました。
 午前8時30分からは新春加東伝の助かるた大会、午後1時30分からは新春書き初め大会です。この伝統行事に欠かせないのが加東市のマスコットキャラクターの加東伝の助くんです。加東市の地場産業である釣針生産の祖と仰がれている小寺彦兵衛さんがモデルで、加東市の文化や自然など伝える役目をもっています。愛くるしいその顔と頭の「か」の字の髪型が特徴です。この伝の助くんがオープニングで軽快なダンスを披露してくれました。伝の助くんのこのような軽快な動きを見ることは滅多にありません。かるた大会に参加した子供たちも大喜びでした。
 念のために伝の助くんのプロフィールを紹介します。

○名 前・・・加東伝の助(かとうでんのすけ)
○出身地・・・加東市社50番地 
○生年月日・・平成20年11月5日(水)PM8:30
○年 齢・・・ずーっと15歳前後(変わりません)
○趣 味・・・多くの人にいろんなことを伝えること
○好きな言葉・・夢と元気
○尊敬する人・・小寺彦兵衛さん
○チャームポイント・・髪型が加東の「か」
 加東市に「釣り針」を伝えた「小寺彦兵衛」さん。
 その技は加東市だけでなく市外、県外へと伝えられ
 ていきました。
「加東伝の助」はその「彦兵衛」さんの想いを受け
 継いで誕生しました。
 「伝の助」は伝統文化を今に伝えます。
○昔の伝統文化を今に伝えます。
○今のいいものを未来に伝えます。
○いろんな情報を伝えます。
○夢と元気を伝えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和12年-佐保神社で国威宣揚皇軍武運長久祈願祭

2016年01月05日 05時22分30秒 | Weblog
 初詣や毎朝のウォーキング、秋祭りなど氏神である佐保神社(加東市社)にお参りすることが多いのですが、神前では、日々の感謝とご守護を祈願しています。このブログでは佐保神社に関する記事の投稿を多く行ってきましたが、特に戦前、戦中は出征軍人の奉告祭や戦勝祈願祭などがよく行われたことを当時の地区文書で紹介してきました。
 そうした時代があったことを忘れないためにもこのブログで紹介しています。今日も昭和12年(1937)の晩秋に行われた祈願祭の案内通知を紹介します。
 この年の7月に支那事変が起き、多くの郷土兵が召集され、出征しました。その奉告祭や祈願がよく行われました。当時の社地区の軍事関係文書綴に綴じられている案内通知は次の通りです。



 昭和十二年十一月二十七日
               社町長  大 橋 實 次
各官公衙長 殿
各町会議員 殿
各 区 長 殿
各学校 長 殿
各団体 長 殿
各団体役員 殿

     祈願祭参列方ノ件

来ル十二月一日午前八時ヨリ社佐保神社前ニ於テ国威宣揚皇軍武運長久ノ祈願祭ヲ執行可仕候条御参列相成度御案内申上候

 尚 県ヨリハ知事代理代参セシメラルルニ付御部(公衙)(団体)内多数御参列相成様御伝へ下サレ度願上候
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜明け前の佐保神社と関電タワー

2016年01月04日 04時19分12秒 | Weblog
 

 正月3日、今年は日曜日。3が日は穏やかな晴天に恵まれました。今朝も夜明け前にウォーキングに出て、定番コースを歩きました。よく晴れた日の夜明け前の空は刻々と色が変わっていきます。冬は南東の空、社の市街地から見ると、山国地区の方角から空の色が朱くなっていきます。

 忠魂碑辺りまで来ると、天頂あたりに半分欠けた月が白く光っています。つい先日まで西の空低くに満月がかかっていたのにと思いながら忠魂碑の真上に光る月を見上げます。

 佐保神社の参道を歩き、瑞神門まで来ると少し明るくなった空を背景に門や拝殿などの建物と石鳥居が黒々と浮き上がって見えます。正月の間は拝殿や本殿には照明がついて明るく光っています。昼間は参拝客で賑やかですが、早朝は静寂に包まれています。

 新池の堤まで来ると、空はだいぶ明るくなり、東南の空に朱みがかかってきます。そして、関電タワーが独り空に向かって立っています。

 夜明け前の街の景色を紹介しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月2日の佐保神社

2016年01月03日 04時28分45秒 | Weblog
          

 正月2日。穏やかな天気の下、氏神様の佐保神社に家族で詣でました。境内には家族連れなど多くの人が初詣に訪れていました。
 拝殿手前の大きな石燈籠には干支の動物が刻まれています。今年は申年なので猿をさがしました。

 広い境内には小宮が並んでいます。稲荷神社、えびす神社、秋葉神社等々。私の町内会でお祀りしている御大神宮の祠もその一つです。

 境内の真ん中に大けやきの太い幹が枝が天を衝くように伸びています。その根元に石碑があります。台座の上に円筒状の石碑が乗っており、日露戦争記念の碑で、碑の寄贈者の大阪堂島有志の名が刻まれています。大阪と社は米穀取引で結び付きが強かったことを示しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成28年元旦-山国王子ヶ池の初日の出

2016年01月02日 05時16分11秒 | Weblog
  

 平成28年元旦、初日の出を加東市山国の王子ヶ池の堤で拝みました。

 早朝、市内は霧に包まれました。「今年は無理かも」と思いながら、車を嬉野台地へと走らせました。兵庫教育大学附属小学校辺りまで来ても霧が出ています。交差点を右折し、南へと走ると次第に霧が晴れ、原田池を過ぎて王子ヶ池まで来ると奇跡のように霧はかかっておらず東南の空が朱く染まり始めていました。

 堤にはすでに2台の車が止まっており、日の出を待っているようでした。午前7時30分頃、黄金色に輝きながら初日が姿を見せました。思わず「おお」と感動の声を挙げました。カメラのシャッターを押し、静かに手を合わせてこの一年の平穏を祈りました。

 昨秋嫁いだ娘夫婦も去年に続いてやってきました。朝日には栄養があるといわれますが、新年の初日の光を拝むことで、生命の栄養を全身に浴び、力が湧いてきます。雄大な自然が広がる王子ヶ池の堤からは360度の展望が広がり心も大きく開きます。この初日の出スポットは山に登ることは難しい小さな子供や大人も車で来れる場所です。そういう方は来年はぜひどうぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大晦日の除夜の鐘-今年も持寶院で

2016年01月01日 06時50分18秒 | Weblog
 

           

 31日(木)、大晦日。今年も除夜の鐘を持寶院で撞きました。

 午後11時30分、山門でご住職と奉賛会の皆さん、そして一般参詣者が鐘撞きのお勤めをしました。空模様は播州弁でいう「ぴりぴり」雨が降るなかでした。しかし、東の空には雲間から白く光る月も見えるときがあり、空気は冷え込んでいました。

 山門の上から吊されたロープを強く下に引いて山門にある鐘を撞きます。その音を静かに聴いて下さいという住職の話の通りにしました。
 本堂では奉賛会の女性の皆さんによるぜんざいのお接待がありました。堂内では教え子らの姿もあり、久しぶりの再会に話しが弾みました。
 ぜんざいでこころも温まり、次は境内の大師殿にお参りします。殿内ではご住職が弘法大師像に向かってお勤めの最中でした。護摩木に願いを書き、お供えしました。境内では奉賛会の男性がドラム缶で焚き火をして暖を提供して下さっています。

 こうして、除夜の鐘の音を聞きながら、平成27年が過ぎ去り、新年を迎えようとしていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする