昭和12年(1937)7月、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し、支那事変(北支事変)が起こりました。出動令が発令され、郷土からも多くの兵が応召され出発していきましたが、それから1年余り経った翌13年9月、郷土に届いた戦死者通報に関する町の通知が当時の社区(現加東市社)の軍事関係往復文書に綴じられています。この後、他の戦死者と一緒の合同町葬が執り行われました。
昭和十三年九月二十日
社 町 長
各区長 殿
各学校団体長殿
各町会議員殿
戦死者通報ノ件
本町内ニ左記戦死者生ジタルニ付及通報候也
記
社町上中四一二番地
歩兵軍曹 依 藤 武 雄 君
九月十日戦死 場所 □□
昭和十三年九月二十日
社 町 長
各区長 殿
各学校団体長殿
各町会議員殿
戦死者通報ノ件
本町内ニ左記戦死者生ジタルニ付及通報候也
記
社町上中四一二番地
歩兵軍曹 依 藤 武 雄 君
九月十日戦死 場所 □□