ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

朝日に映える東条川疏水ネットワーク博物館の大幕

2015年06月12日 05時10分14秒 | Weblog
 国道372号線の加東市庁舎を北に下った加東市木梨の交差点から県道西脇三田線に通じる直線道路の側面の田圃の法面に大きな幕が張られています。

 朝、ウォーキングをしていてちょうど東の地平線に朝日が昇り始めた時にオレンジ色の朝日に映えるその大幕が目に飛び込んできました。「東条川疏水ネットワーク博物館」と大きく書かれた2枚の幕です。防草シートが張られた高い土手の法面を利用して掲げられたものですが、目を惹きます。

 このブログでも度々紹介してきましたが、「東条川疏水ネットワーク博物館構想」は北播磨県民局、加古川流域土地改良事務所が進めているふるさとづくりの事業の一つです。鴨川ダム(東条ダム)や昭和池とため池、田圃を結ぶ壮大な用水路網、そして自然豊かな田園風景と古い伝統をもつ地域文化を一体としてとらえ、貴重な地域資源であるこの疏水文化を大きく博物館としてみなして大切に守り次代に伝えていこうというものです。

 今年は東条川疏水が全国疏水百選に選定されてからちょうど10年目に当たります。今ちょうど、田植えの時期でダムやため池に貯えられた水が用水路網を通して田圃に送られています。瀬戸内気候に属し全国的にみても最少雨地帯であるこの地域では水が無ければ農業は成り立ちません。水を得るために昔から先人が池を築き、或いは川に堰を設け、水路をつくって水を引く努力を重ねてきました。それでも度重なる旱魃に見舞われ苦しんできた経験から三草山の麓に巨大な昭和池を築き、鴨川をせき止めダムを築いて水を確保してきた歴史があります。水は血管のように張りめぐらされ用水路で台地にも送られ広大な土地が開発され農地に変わりました。谷を渡る長大なサオフォン、山を抜ける隧道、そして水路。これらは貴重な灌漑施設であり、近代農業遺産でもあります。こうした施設は農業関係者だけのものではなく県民市民にとっても共有の地域資源です。みんなでこの水のネットワークを大切に守り次代に伝えていかなければなりません。そのためには老朽化したため池や水路の補修工事をしっかりと行う必要があります。

 
コメント
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