昭和13年(1938)の夏、佐保神社で戦地の郷土出身兵の戦傷平癒の祈願祭が行われることになり、その通知が社町長から各区長に出されています。支那事変が起きて1年が経ち、戦地からは戦死や戦傷の知らせが届いていました。この歴史ブログでも遺骨の凱旋、町葬の執行などについて紹介をしてきましたが、今日は、こうした戦傷平癒祈願も行われていたことを紹介します。通知によれば、8月13日に通知が届き、その日の夜に祈願祭を執行することになり、早速通知が出されています。
昭和十三年八月十三日
社 町 長
各区長 殿
戦傷祈願祭執行ノ件
本月十三日左記戦傷者ノ通報ニ接シタルニツキ突然乍ラ本十三日午后八時ヨリ佐保神社前ニ於テ平癒祈願祭ヲ執行可致候条御部内一般並ニ各種団体ニ御伝言ノ上多数御参列相成様御配慮相煩度及通牒候也
記
八月十三日 戦傷
藤本孝治(野村)
昭和十三年八月十三日
社 町 長
各区長 殿
戦傷祈願祭執行ノ件
本月十三日左記戦傷者ノ通報ニ接シタルニツキ突然乍ラ本十三日午后八時ヨリ佐保神社前ニ於テ平癒祈願祭ヲ執行可致候条御部内一般並ニ各種団体ニ御伝言ノ上多数御参列相成様御配慮相煩度及通牒候也
記
八月十三日 戦傷
藤本孝治(野村)