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Herbert, "Easter-Wings" (1)

ジョージ・ハーバート (1593-1633)
「復活の翼」(1)

主よ、あなたは、豊かに栄え、幸せなものとして人をつくりました。
が、愚かにも彼は与えられたものを失い、
どんどん貧しくなり、
とうとう
極貧に。

あなたとともに、
わたしをのぼらせてください。
ひばりのように、歌を歌いながら、
そして今日あなたの勝利を歌わせてください。
落ちたことにより、わたしがさらに飛ぶことができるように。

* * *

George Herbert
"Easter-Wings" (1)



Lord, who createdst man in wealth and store,
Though foolishly he lost the same,
Decaying more and more,
Till he became
Most poore:

With thee
O let me rise
As larks, harmoniously,
And sing this day thy victories:
Then shall the fall further the flight in me.

* * *

注など。

1 wealth
栄えていて幸せなこと(OED 1)。

1 store
食べものや必需品が豊富にあること(OED 4b)。

2 the same
= wealth and store.
先に話しに出てきたのと「同じ」もの、人(など)、ということ。

3 decay
栄え、幸せな状態から下り坂になっていく(OED 1b)。

5 poore
= poor. 所有物がないこと(OED 1a)。

7-9
ひばりは、地上からまっすぐ空に向かってのぼる(らしい)。
これを、「わたし」(の祈り)が天にのぼることの比喩として。

またシェリーの「ひばり」にもあるように、ひばりは大きな声で
(ほとんど熱狂的に)鳴く。これを「わたし」が神を称える歌の
比喩として。

ひばりの声(RSPBサイト内のページ)
http://www.rspb.org.uk/wildlife/
birdguide/name/s/skylark/index.aspx

9
「今日」というのは、タイトルにあるイースター、復活祭の日。
また、1-6行目にあるように、すべてを失った人(わたし)が、
神に出会って魂のレベルで生き返った日。

「勝利」というのは、イースターがあらわす、死に対する
イエスの勝利。また悪、堕落、不信心など(魂が死んだ状態)
に対する「わたし」の勝利。もちろん、「わたし」に勝たせて
くれたのはキリストなので、これも「あなたの勝利」。

10
いわゆる「幸福な堕落」(felix culpa = the fortunate fall)
という考え方。アダムとイヴが堕落したからこそ
イエスによる救済が与えられた、というプラス思考。

* * *

パターン・ポエム(pattern poem)。紙面に印字した際の
かたちにも意味をもたせている。

舞いあがる鳥(ひばり)の翼のかたちで、
天にのぼる神への祈りや賛美を。

横に飛ぶ鳥として(ふつうに英語が読めるように)印字すべき、
という見解が近年多いようだが、やはりこれは天に向かって
飛ばすべき。

また、次のような内容に、各行の語と音節の増減が対応。
(物質的に)豊かで幸せ
-->すべて失う
-->(救われて精神的に)豊かで幸せ。

さらに、すべてを失った極貧の状態のところで神に出会う、
というところも重要。

あわせて、神に向かう前に一行空いているところも。
すべてを失い--(無言のうちにいろいろ思いをめぐらして)--信仰へ。

* * *

リズムについて、など。

最初と最後の行が弱強五歩格。あとはストレス・ミーター(四拍子)。



前半は、現世的な富とともにことばが減り、思考
(ことばののっていない拍子)が増えていく。

後半は、思考(ことばののっていない拍子)が減っていき、
神をたたえる言葉が増えていく。

脚韻も効果的。(やや不完全ながら。)

store-poore
rise-victories
thee-harmoniously-me

* * *

英文テクストは、The Temple (1633) より。

* * *

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Jonson, ("O, that joy so soon should waste!")

ベン・ジョンソン(1572-1637)
「ああ、よろこびがすぐに失われるなんて!」

ああ、よろこびがすぐに失われるなんて!
甘い、この上ない幸せ、
たとえばキス、
が、永遠につづかないなんて!
砂糖のように甘く、とろけそうで、なんてやわらかく、なんておいしい!
バラの上には露のしずく、
朝の女神が姿をあらわすとき、
それでもキスにはかなわない。
ああ、だまってなんていられない--
もう一度そんな幸せを味わえるなら、
ぼくは願う、
キスしながら死にたい、って。

* * *

Jonson
("O, that joy so soon should waste!")

O, that joy so soon should waste!
Or so sweet a bliss
As a kiss,
Might not forever last!
So sugared, so melting, so soft, so delicious,
The dew that lies on roses,
When the Morn herself discloses,
Is not so precious.
O rather than I would it smother,
Were I to taste such another,
It should be my wishing
That I might die kissing.

* * *

1 that
悲しみ、憤りなどをあらわす節の前におかれるthat(OED 1e)。
その前に、感嘆の言葉が来ることも多い。(ここの "O" のように。)

4
キスをあまーい、とろーりした食べものにたとえて。

4 soft
静かなよろこび、心地よさ一般をあらわす(OED 1aなど)。
(やわらかいというだけでなく。)

4 delicious
とても気持ちいい、うれしい、大きなよろこびをもたらす(OED 1)。
(おいしいというだけでなく。)

7 the Morn
擬人化された「朝」。朝の女神エーオース(ギリシャ神話)
またはアウローラ(ローマ神話)。


http://www.theoi.com/Titan/Eos.html

8 so
そのように。どのようにかといえば、キスのように。
(3行目のas a kissがこの後ろに省略されている。)

9 smother
隠す、・・・・・・についてだまっている(OED 2)。
この行は、構文的に不完全で浮いているものとして解釈。

12 die
(エロな裏の意味がある--OED 7d)。

(エロと不幸、という二重のタブーのためか、
研究社の『リーダーズ』や『大英和』でもこの意味を
載せていない。OED曰く、16-17世紀に頻出。1961年、
1974年からの用例もある。他に思いつくのは、
Stones, "Parachute Woman" や、Springsteen,
"Born to Run" など。)

* * *

リズムについて。





基調はストレス・ミーター、四拍子。
いろいろ工夫されている。

2-3
本来はこの二行あわせて一行。
それぞれ、bliss, kissで行を短く切り、
しあわせ・・・、キス・・・・・・などと
それぞれ読者に想像させる時間を与えている。

5
拍ごとに三音節x/xをあて、またコンマで区切り、
ゆっくり、かつ強調的なリズムに。あまーくて、
とろーりしてて、という感じ。

9-12
5行目と同じリズム。全体としてこの詩は行1-8(5行目を除く)
と9-12でリズムを変化させている。

11-12
ここも本来あわせて一行。wishing, kissingで
行を短く切り、ぼくの願い・・・・・・、
キスしながら・・・・・・と余韻のあるかたちに。

* * *

テクストはJonson, Works (1616) のものを用い、
スペリング、パンクチュエーションなどを修正。

(リズムのところのテクストは、以前どこかから
写してきたもの。いずれ差し替えます。)

* * *

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Rossetti, "Autumn Song"

D・G・ロセッティ(1828-1882)
「秋の歌」

わかりませんか、木の葉がおちるのを見ると、
どれほど心にけだるさと悲しみを感じるか、
まるでそれらを身にまとっているように。
いかに眠りが美しく感じられることか、
秋に木の葉がおちるのを見ると。

頭のなかの早い鼓動が
いかに遅くなることか、無駄ですから、
秋に木の葉がおちるのを見ると、
わかりませんか? いちばんの
幸せは痛みがないこと、と思われてくると。

わかりませんか、木の葉がおちるのを見ると、
いかに魂が、乾いた麦わらのように
根こそぎ刈られて縛られる気がするか、
どれほど死がすてきなことに思われるか、
秋に木の葉がおちるのを見ると。

* * *

D. G. Rossetti
"Autumn Song"

Know'st thou not at the fall of the leaf
How the heart feels a languid grief
Laid on it for a covering,
And how sleep seems a goodly thing
In autumn at the fall of the leaf?

And how the swift beat of the brain
Falters because it is in vain
In autumn at the fall of the leaf,
Knowest thou not? and how the chief
Of joys seems not to suffer pain.

Know'st thou not at the fall of the leaf
How the soul feels like a dried sheaf
Bound up at length for harvesting,
And how death seems a comely thing
In autumn at the fall of the leaf?

* * *

「いちばんの幸せは痛みがないこと」
なんて正しく、正しくない・・・・・・

* * *

この詩の独特な雰囲気の背後にあるのはアヘン。
これを書いた1848年(20歳)のロセッティは
まだ麻薬に溺れておらず、また彼が後年溺れたのは
クローラルだが、この詩で歌われるもの憂さ、
遅くなる脈拍、麻痺する痛覚などは、みなアヘンの
作用として知られたもの。

(当時、アヘンは、鎮痛剤として一般家庭にふつうにあった。)

---
アヘンおよびその調合剤、アヘン溶液など――
〈急性アヘン中毒の症状〉めまい、昏迷、意識の喪失。
脈は早くて弱く、呼吸も早い。しばらくすると症状が変わる。
完全に意識と感覚を失い、呼吸は遅く、いびきをかく。
肌は冷たく、脈は強く、遅い。
Isabella Beeton, The Book of Household Management
(London, 1861) 1086. 次のURLでも読める。
http://www.mrsbeeton.com/43-chapter43.html#2662
---

形式的には、「木の葉がおちるのを見ると」というリフレインが
第1、3スタンザの最終行に執拗に戻ってくることにより、
また第2スタンザのややおかしな場所に入っていることにより、
アヘンの作用で昏迷して単調になった思考と、木の葉がおちる
という情景に固着してバランスを失いつつある精神状態が
あらわされている。(構文も脚韻も単調で、それが効果的。)

けだるく、不健全で、しかしどこかはかなく美しいと
感じられないこともない、そんな絶妙な空気を漂わせる
この詩を母に書いて送った手紙における彼のコメント--

「泣き叫ぶような歌を載せておくね。昨日ぼくが書いたんだ。
どれだけ涙を流し苦悶していたか、見ればわかるよ。
ついでにいっておくと、もし偽りの装いを身にまとうことが
インチキなら、この世でいちばんのインチキは詩だね。」

William Fredeman, ed., The Correspondence of
Dante Gabriel Rossetti, 5 vols. (Cambridge,
2002) 2: 434.

* * *

テクストは大英図書館のアシュリー文庫の手稿より。 http://www.rossettiarchive.org/img/ashleyB1417c.jpg

* * *

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Milton, ("When I consider how my light is spent")

ジョン・ミルトン (1608-1674)
ソネット XVI
(「わたしの光は使い果たされてしまった、と思うとき」)

わたしの光は使い果たされてしまった、と思うとき--
人生の半ば以前に、この暗い、しかも広い世界の中で、
そしてイエスの話のあの一タラントン、
それを隠しておいた召使いを待っていたのは死という、
それをわたしは無駄にもっていて、そうではなくわたしの魂は

それを使って創り主たる神に仕えたいのに、そして見せたいのに、
貸し与えられたものをわたしが本当はどのように使ってきたかを、
でないと彼が帰ってきたときに怒られてしまう--
神は日々の労働を要求するか? 光が奪われた者から?
愚かにもわたしは問う。が、「忍耐」がそのような

不平のつぶやきをかき消すべく、すぐに答える、神には必要がない、
人間の努力も、また自分が与えたものを人間から返して
もらうことも。もっともしっかり彼の軽いくびきを負う者が、
彼にもっとも奉仕をしている者である。神は

万物の王である。何千もの者が彼の指示により飛び急ぎまわる、
陸や海の上を休みなく。
が、そのような者も神に奉仕しているのだ、ただ立って待つだけの者も。

* * *
John Milton
Sonnet XVI
("When I consider how my light is spent")

When I consider how my light is spent,
E're half my days, in this dark world and wide,
And that one Talent which is death to hide,
Lodg'd with me useless, though my Soul more bent
To serve therewith my Maker, and present
My true account, least he returning chide,
Doth God exact day labour, light deny'd,
I fondly ask; But patience to prevent
That murmur, soon replies, God doth not need
Either man's work or his own gifts, who best
Bear his milde yoak, they serve him best, his State
Is Kingly. Thousands at his bidding speed
And post o're Land and Ocean without rest:
They also serve who only stand and waite.

* * *
日本語訳においては、一行に収まらない行が多いので、
いわゆるペトラルカ式ソネットの枠組み通り
4行+4行+3行+3行というかたちで区切って、
およその内容のまとまり(およびこの形式がいかに
無視されているか)を示している。

このタイプのミルトンのソネットのモデルは、
実際、ペトラルカではなく、形式的により自由な
ジョヴァンニ・デッラ・カーザ(Giovanni della Casa)。
--J. S. Smart, The Sonnets of Milton参照。
http://archive.org/details/sonnetsofmilton00miltuoft

(ミルトンは、ケンブリッジの学生だった頃、1629年に
デッラ・カーザのソネット集を入手していた。が、
1633年頃の手紙の下書きでは、まだソネットのことを
「ペトラルカ風のスタンザ」と呼んでいたりもする。
同じころ、1630年代のはじめに書かれたと思われる
ソネット Iも、ラヴ・ソング風。いろいろ未確認だが、
1630年代後半のイタリア滞在、1640-50年代の宗教/政治
論文執筆、それから『失われた楽園』の初期構想などを
経るなかで、ソネット形式のとらえ方が変わっていったよう。)

ソネットXVIの特に前半、構成や構文が崩れているのは、
視力を失った「わたし」がテンパっていて、
秩序だった思考ができていないことに対応。
しかし全体を通じて脚韻は完璧で、実際のミルトン自身は、
冷静に、緻密にこの作品を書いたことを示している。

(意図的に内容とかたちをあわせたのか、ただデッラ・
カーサ風にゆるくしているだけということなのか。
ミルトンのソネットにおける形式の崩れには、作品によって
程度の差やタイプの違いがあるので、個人的には前者よりの
ように思う。このXVIと、ピエモンテの虐殺を扱うXVが
もっとも崩れている。20110806の記事にあるソネットXIXも参照。)

ちなみに、このような形式の崩れは、16-17世紀のイギリスの
ソネットにおける例外中の例外。

その後、17世紀半ばから18世紀にかけてソネットは衰退。

19世紀、いわゆるロマン派によってソネットが再び
多く書かれるようになったとき、もとは例外だったミルトンの
作品がある種のモデルとされるようになる。
(20120519の記事にあるワーズワースのものなど参照。)

(シェリーの「ラムセス二世」"Ozymandias" などは、
さらに別のかたちで実験的。)

* * *
訳注と解釈例。

全体の骨組みは、以下の通り。

(前半)
When I consider how my light is spent,
I fondly ask, Doth God exact day labour
[from one who is deny'd light]?
視力を失った自分について思いをめぐらし、
こんな状態でも神に奉仕しなくてはいけないのか、と問う。

(後半)
But patience to prevent That murmur, soon replies. . . .
自分のなかで「忍耐」が答えていう・・・・・・。

(その他、次の文章に記したことをかいつまんで
まとめたいと思うが、さしあたり全文のご参照を。)
http://jairo.nii.ac.jp/0279/00000289
http://rplib.ferris.ac.jp/il4/cont/01/G0000005ir/000/000/000000142.pdf

* * *
英文テクストは、Milton, Poems, &c. upon Several Occasions
(1673) (Wing M2161A) より。

* * *
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Herbert, "Altar"

ジョージ・ハーバート (1593-1633)
「祭壇」

砕かれたものから、主よ、祭壇をあなたのしもべがつくります。
材料は心で、セメントのかわりに涙で固めます。
その部品は、あなたがつくったままのもので、
工具でふれられてはいません。
心だけです、
そのような石は。
それを砕くことができるのは、
あなたの力だけ。
だからひとつひとつの
わたしの心のかけらたちが、
この祭壇に集まり、
そしてあなたを称えます。
わたしが口を閉じることがあったとしても、
この祭壇の石たち、わたしの心のかけらたちが黙ることはありません。
あなたの自己犠牲の恩恵にわたしも与らせてください。
そしてこの祭壇をあなたのもの、聖なるものとお認めください。

* * *

George Herbert
"The Altar"



* * *

パターン・ポエム。祭壇についての詩を祭壇のかたちで。

* * *

訳注と解釈例。

1
[B]rokenは、構文上はALTARにかかっているが、
内容的には次の行のheart(祭壇の材料としての心)
を説明。砕かれた心、ということ。

心が砕かれる、というのは、日常的なことばでは、
悲しみで心やぶれる、というような意味だが
(heart-breakとか、その系統)、キリスト教的には、
石のようにかたくな心が砕かれて神やイエスを
受けいれられるようになる、悔いあらためて
(改悛して)精神的、宗教的に新しい人になる、
ということ。

つまり、通常、石や木で祭壇をつくって教会におくが、
ここでは、悔いあらためた心のなかに、悔いあらためた
心のかけらで、祭壇をつくる、といっている。

同様に、ここの涙は、改悛や悔恨の涙。

3-4
祭壇の材料が、神がつくったままのもので、
工具でふれられてはいない、というのは、
出エジプト記、20章25節における神の命令通り
--「もしわたしのために石の祭壇をつくりたいなら、
切り出してきた石でつくってはならない。
道具でそれにふれると、石が汚れてしまうから」。

5-8
上記のような流れで、かたくなな心を砕くことが
できるのは、ばちあたりな人間を信仰に導くことが
できるのは、神だけ、ということ。

9-14
ルカ書19章28-40節が元ネタ。

(1)
群衆がイエスを称える。

(2)
ファリサイ派(ユダヤ教の主流派、正統派)の人が
イエスに、「あなたの弟子がうるさい、だまらせて」という。

(3)
イエスが答える、「この人たちが黙っても、すぐに石が叫びだす
[わたしを称えるために]」。

「祭壇」では、このエピソードにおけるイエスの支持者が
「わたし」の口に対応。また道端の石が祭壇の材料としての
砕かれた心のかけらに対応。つまり、口で神を賛美していない
時間があったとしても(たとえば食べているときとか)、
心のなかの祭壇で自分は神を称えつづける、ということ。

14
詩篇 51編16-17節などが元ネタ。

あなたはいけにえを望まない。・・・・・・
焼かれた捧げものではよろこんでもらえない。
捧げられるべきものは砕かれた心。
砕かれ、悔いあらためた心を、神よ、あなたは
受けいれてくださる。

(日本聖書協会のサイトのテクストでは18-19節?)

* * *

リズムの解釈例。





1
音節10で、弱強五歩格よりのストレス・ミーター。
呼びかけ "Lord" がなければ完全な四拍子。

2
音節10だが完全な四拍子。

3-14
ストレス・ミーター(四拍子)。行の長さが半分になる
5-12行目では、5-8がx/x/と整っているのに対し、
9-12ではストレス(とビート)を散らして変化をつけている。

(このような変化を求めるのは、17世紀前半までの発想。
ウォーラー、ドライデンなど17世紀半ば以降、
18世紀半ばまでは、このような変化が嫌われる。)

13-14
この二行だけ脚韻が不完全(peace/cease)。
パターン・ポエムというかたちなど、詩の形式、
技巧的な側面にこだわるハーバートのような詩人の場合、
ミスや手抜き、とみなす前に理由を考えてみる。

13 That if I chance to hold my peace,
(もし口を閉じても)

14 These stones to praise thee may not cease.
(石が神を称えつづける。)

13行目の、/s/音(chance, peace)と、14行目の/z/音
(stones, praise,cease)が対応。

/s/はことばで神を称えるのをやめたときの「シーン・・・・・・」
という静寂、沈黙を暗示。

/z/は・・・・・・石が神を称えるときに発する音を暗示。
石はことばを話せないので、かわりに「ズズズ・・・・・・」と
振動して音を出して神を称える。

このような沈黙と(心のなかの)石の振動音の対立を強調する
ために(また、このようなある種のちゃめっ気のようなものに
目を引くために)、わざわざ脚韻を不完全にしているものと思われる。

15-16
音節10、弱強五歩格。締めくくりの祈りということで散文的。
しかも、小さな声で祈る雰囲気にすべく、強音節を最小限にして
リズムを不明確に、また静かに。

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。

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