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Herbert, "Altar"

ジョージ・ハーバート (1593-1633)
「祭壇」

砕かれたものから、主よ、祭壇をあなたのしもべがつくります。
材料は心で、セメントのかわりに涙で固めます。
その部品は、あなたがつくったままのもので、
工具でふれられてはいません。
心だけです、
そのような石は。
それを砕くことができるのは、
あなたの力だけ。
だからひとつひとつの
わたしの心のかけらたちが、
この祭壇に集まり、
そしてあなたを称えます。
わたしが口を閉じることがあったとしても、
この祭壇の石たち、わたしの心のかけらたちが黙ることはありません。
あなたの自己犠牲の恩恵にわたしも与らせてください。
そしてこの祭壇をあなたのもの、聖なるものとお認めください。

* * *

George Herbert
"The Altar"



* * *

パターン・ポエム。祭壇についての詩を祭壇のかたちで。

* * *

訳注と解釈例。

1
[B]rokenは、構文上はALTARにかかっているが、
内容的には次の行のheart(祭壇の材料としての心)
を説明。砕かれた心、ということ。

心が砕かれる、というのは、日常的なことばでは、
悲しみで心やぶれる、というような意味だが
(heart-breakとか、その系統)、キリスト教的には、
石のようにかたくな心が砕かれて神やイエスを
受けいれられるようになる、悔いあらためて
(改悛して)精神的、宗教的に新しい人になる、
ということ。

つまり、通常、石や木で祭壇をつくって教会におくが、
ここでは、悔いあらためた心のなかに、悔いあらためた
心のかけらで、祭壇をつくる、といっている。

同様に、ここの涙は、改悛や悔恨の涙。

3-4
祭壇の材料が、神がつくったままのもので、
工具でふれられてはいない、というのは、
出エジプト記、20章25節における神の命令通り
--「もしわたしのために石の祭壇をつくりたいなら、
切り出してきた石でつくってはならない。
道具でそれにふれると、石が汚れてしまうから」。

5-8
上記のような流れで、かたくなな心を砕くことが
できるのは、ばちあたりな人間を信仰に導くことが
できるのは、神だけ、ということ。

9-14
ルカ書19章28-40節が元ネタ。

(1)
群衆がイエスを称える。

(2)
ファリサイ派(ユダヤ教の主流派、正統派)の人が
イエスに、「あなたの弟子がうるさい、だまらせて」という。

(3)
イエスが答える、「この人たちが黙っても、すぐに石が叫びだす
[わたしを称えるために]」。

「祭壇」では、このエピソードにおけるイエスの支持者が
「わたし」の口に対応。また道端の石が祭壇の材料としての
砕かれた心のかけらに対応。つまり、口で神を賛美していない
時間があったとしても(たとえば食べているときとか)、
心のなかの祭壇で自分は神を称えつづける、ということ。

14
詩篇 51編16-17節などが元ネタ。

あなたはいけにえを望まない。・・・・・・
焼かれた捧げものではよろこんでもらえない。
捧げられるべきものは砕かれた心。
砕かれ、悔いあらためた心を、神よ、あなたは
受けいれてくださる。

(日本聖書協会のサイトのテクストでは18-19節?)

* * *

リズムの解釈例。





1
音節10で、弱強五歩格よりのストレス・ミーター。
呼びかけ "Lord" がなければ完全な四拍子。

2
音節10だが完全な四拍子。

3-14
ストレス・ミーター(四拍子)。行の長さが半分になる
5-12行目では、5-8がx/x/と整っているのに対し、
9-12ではストレス(とビート)を散らして変化をつけている。

(このような変化を求めるのは、17世紀前半までの発想。
ウォーラー、ドライデンなど17世紀半ば以降、
18世紀半ばまでは、このような変化が嫌われる。)

13-14
この二行だけ脚韻が不完全(peace/cease)。
パターン・ポエムというかたちなど、詩の形式、
技巧的な側面にこだわるハーバートのような詩人の場合、
ミスや手抜き、とみなす前に理由を考えてみる。

13 That if I chance to hold my peace,
(もし口を閉じても)

14 These stones to praise thee may not cease.
(石が神を称えつづける。)

13行目の、/s/音(chance, peace)と、14行目の/z/音
(stones, praise,cease)が対応。

/s/はことばで神を称えるのをやめたときの「シーン・・・・・・」
という静寂、沈黙を暗示。

/z/は・・・・・・石が神を称えるときに発する音を暗示。
石はことばを話せないので、かわりに「ズズズ・・・・・・」と
振動して音を出して神を称える。

このような沈黙と(心のなかの)石の振動音の対立を強調する
ために(また、このようなある種のちゃめっ気のようなものに
目を引くために)、わざわざ脚韻を不完全にしているものと思われる。

15-16
音節10、弱強五歩格。締めくくりの祈りということで散文的。
しかも、小さな声で祈る雰囲気にすべく、強音節を最小限にして
リズムを不明確に、また静かに。

* * *

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