晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『東北知の鉱脈Ⅱ』

2009-08-13 19:44:26 | Weblog
 『東北知の鉱脈Ⅱ』(赤坂憲雄著 荒蝦夷 2009年刊)

 第2巻では青森県出身者として、津軽じょんがら三味線奏者の高橋竹山、ブルースの女王淡谷のり子が紹介されている。いずれも、東北の風土や血からその芸に憂いを含み、聞く者の心に響く。

 東北の血といえば、私も青森県人のクウォーター(1/4)である。母方の祖父母が青森県出身である。かつて祖母との会話では、三本木、東北町、乙供などの地名を聞いた記憶がある。しかし、東北人の寡黙で辛抱強いと言われる性格が、私の中に全く無いのはなぜだろうか。

 祖母が育ったのであろう土地を初めて訪ねたのであるが、江戸時代のそこは三本木原と呼ばれた荒涼たる原野であり、それを開発したのが新渡戸稲造の祖父新渡戸傅だそうだ。(近頃、あちこちで新渡戸稲造に出会うが。)

 江戸時代の末期、傅は、奥入瀬川から稲生川という農業用水を引いてこの地を穀倉地帯に変え、またこの国で最初に碁盤の目状の都市計画街路を作った人だそうだ。十和田市内には新渡戸稲造記念館があり稲造を祭ってあるが、三本木にとっては、祖父傅の貢献の方が大きいことがわかる。

 アーケードのかかった商店街の状態を見ると、一時は繁栄を誇ったであろうが、現在はシャッターが並び、あちこちが空き地となっている。郊外には、大型店が進出し、中心部が空洞化する典型的な地方都市の姿であった。

 昼食は、大昌園という焼肉屋さんで、十和田名物の「バラ焼き」。牛のバラ肉とタマネギだけを甘い(林檎か)タレでからめて鉄板の上で焼いて食べる。十和田でしか食べることのできない、しかし十和田市内のほとんどの食堂で食べることのできる名物料理だそうだ。
コメント (2)
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