晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『東北知の鉱脈Ⅰ』

2009-08-12 14:51:43 | Weblog
 『東北知の鉱脈Ⅰ』(赤坂憲雄著 荒蝦夷 2009年刊)

 旅をすると寄りたくなる所、地元の書店とデパートの食品売り場、その地方の雰囲気が良くわかると思っているため。

 青森市内の書店、成田本店には地元の出版コーナーがあった。そこで現在の東北のマイブームともいうべきは、「地域学」という分野。「津軽学」「岩手学」「仙台学」と題された雑誌が発行されている。

 本書も、著者の専門分野である民俗学をベースに、東北に固有の知や思想のありよう「東北知」を再発見する試みである。6県12人の有名人を紹介する中で、青森県出身者として取り上げられているのは、両者とも弘前生まれの探検家笹森儀助と詩人寺山修司である。

 地域学という分野が学問的に成立しているのかどうかはわからないが、確かなことは現在の東北が「東北」という地域を意識していることだ。それは、従来のどちらかというと本州の中での辺境の地、過疎、出稼ぎといったネガティブなイメージというより、青森市内で感じた2010年12月に新幹線が青森まで開業されることによる高揚感のようなものとは無縁ではないように思う。

 しかし、青森に到着して直ぐ立ち寄った「朝市寿司」は、いらっしゃいませもなくメニューの質問にも無愛想で、おやじもおばちゃんも皆寡黙だった。青森で乗ったタクシーの運転手さんは、2人とも寡黙だった。
これが、東北人の特徴なのかなと思ったが、翌日の十和田観光鉄道バスの運転手さんは、人懐っこくバスに迎えてくれた。「十和田までバスで行く観光客はいないよ」「現代美術館は、バスを降りたら後ろに向かって左に曲がりな」「帰りは、4時半のバスだったら自分も青森までもどるよ」
 十和田市からの帰りに偶然、十和田観光鉄道の駅で再開した時もこちらのことを覚えてくれていて、「これから焼山さ行って来る」と話してくれた。

 今さらながら東北は、自らの地のアイデンティティを模索しているように感じる。本州の最北端、辺境の地なのであろうが、北海道はその先、海を隔てた先にある。東北人から見た北海道はどのように映っているのか。

 道州制論議は、低調になってしまっているが、北海道だけの道州制は、今と何も変わり映えが無くつまらないが、津軽海峡を挟んだ北東北(青森、秋田、岩手)と一体になった道州制なんていうのはどうだろうか。南東北は、関東と北陸にくれてやる。


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