晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

夏休み

2009-08-07 21:34:05 | Weblog
 明日から短い夏休みをとります。仕事の区切りがつかなくて、昨日までは無理かなと思っていました。

 従って、いつものように計画性の無い休み方になります。

 それで、突然、青森に行くことにしました。特に、意味は無いのですが、3日に行くはずだったNHKホールでの拓郎コンサートの代替と考えることにしました。

 行き先は、乗った電車の中で考えようと思っています。



 ケータイを持って4年位になります。便利でもあり、束縛もありです。

 電車の中などで、親しい人同士の会話を聞いている時、特に違和感を持ちません。しかし、ケータイでの会話を近くでされると、不快な感じがします。

 近頃は、それもフツーの出来事として慣れてしまったようにも思えます。

 人の話には「対話性」があるためでしょう。お互いの会話が聞こえる場合は、そのやりとりの雰囲気の中に「対話性」が感じられるからなのではないでしょうか。

 それが、ケータイでは、こちらの話しての言葉しか聞こえないため、どのような相手とどのような会話なのか、その「対話性」が感じられないことに違和を感じるのではないかと思います。

 では、ドラマの電話シーンはどうなのでしょうか。そこに違和を感じないのは、「対話性」があるからです。それまでのストーリーから容易に相手が想定でき、相手の話している内容も想像がつきます。

 次回は、「メール」について考えてみたいと思います。

 



 
コメント
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