真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ONANIE 快感入学」(1991/製作・配給:大蔵映画/監督:小林悟/脚本:鈴木和夫/撮影:柳田友貴/照明:小野寺透/編集:酒井正次/助監督:青柳一夫・植田中/スチール:田中スタジオ/録音:銀座サウンド/現像:東映化工/出演:冴木直・久保田未花・板垣有美・斎藤桃香・白河悠衣・渡辺大作・坂入正三・朝田淳史・芳田正浩)。脚本の鈴木和夫は幽霊博士で知られる鈴木和夫なのか、そもとれ単なる同姓同名なのか。
 女子大生・ルミ(冴木)のオナニー開巻、陰影のキマッた画がエロい。ベッドの脇に用意しておいた胡瓜を持ち出して、手短に完遂。純然たる余談でしかないが、当サイトの管理人は胡瓜は水鳥川彩の観音様に挿して差し出されても食へない。男に幻滅してワンマンショーを覚えたルミは、オナニーの学校に行つて勉強したとの素頓狂なモノローグを経て、何故かといふか何といふか、気紛れな選曲でタンゴ起動、茄子越しにタイトル・イン。今回大先生にしては思ひのほか、意図の明確なショットが散発的に冴える。
 身勝手なセックスでルミに部屋を追ひ出された級友の羽仁ヨーイチ(芳田)は、イッパツ儲けたと一欠片たりとて悪びれず。ヨーイチが汗を拭はうとハンカチのつもりで取り出したのが、“入学随時 入学金授業料無料 但し女性のみ”なる「国際ONANIE学院」の要綱であつたとかいふ、グルッと一周した不自然さが天衣無縫の領域に突入するシークエンス。とまれ、看板はよく出来た「国際ONANIE学院」、但し内部は何時もの摩天楼。“オナニーは心身安定の元”、“オナニーで生き抜かう”とプリミティブな貼紙がスッ惚ける中、フリーアルバイターの竹中チエ(斎藤桃香=斉藤桃香)・薬剤師の三原エイコ(久保田)らと受講するルミに、学院長の井田(渡辺)は特別学習と称し、別室にて個別に体験告白を聞く旨を告げる。
 配役残り坂入正三は、高校時代の自転車通学中サドルによるグリグリに目覚め、遂にフィットネスバイクを導入するに至つたエイコの部屋を訪ねる、新聞の集金人。チンコの形にしか見えない超極太の木彫り道祖神を用ゐる、ヒサエ(白河)の体験告白中に登場する不能の夫(もサカショー)と同一人物なのかは、集金人はエイコを襲はとするにつき必ずしも不明。もう一点如何にもDie On Timeな無頓着さが爆裂するのが、エイコが襲ひかゝつて来た坂入集金人を、サントリーオールドで殴打し撃退する件。音効がへべれけで、何で殴つてゐるのか激しく面喰はされる。板垣有美は、ヒサエの真最中を急襲する姑。そしてビリングと同期して体験告白三番手を務めるチエが繰り出すメソッドは、結構な手間をかけて張形風に加工したスルメを挿入、蛤の中で膨らませる匂ひが強烈さうな荒業。加工過程を、クッキング番組感覚で詳細にトレースするのが感興深い、実用性でも志向してみせたのか。
 ルミの体告は第一次芳田正浩パートで相殺する、小林悟1991年第十二作、ピンク限定第十作。つらつら四者四様のオナ模様を連ねるに終始する、劇映画的にはユルユルに見えて、これでハードコアな裸映画。底の抜けたオナ学の方便と、幾ら大御大作とはいへ珍奇に過ぎる井田の造形を、回収する一手間も欠かさない。特筆すべきはルックスから腰までは寸胴ながら、尻から下のラインは超絶な久保田未花、の料理法。実はオッパイさへ見せずに、フィットネスバイクのサドル上で悩ましく躍る久保田未花の尻を延々、延ッ々狙ひ続けるのは素材を最大限に活かすエクストリーム。白河悠衣も白河悠衣でボサッとした面相ながら、キュッと括れたウエストは絶品。ヒサエが役目を終へるや、お風呂―でオナニーする―の時間と称してさつさと捌けるのも清々しい。階段で果てたチエの股間からは、スルメ張形に予めパージ用としてとりつけてある、まんまタンポン状の紐が導火線よろしく覗く。それを手に取つたルミが、まさか引き抜いてみせるのか、引き抜くカットが映倫審査を突破し得るのか!?といつた、結局流石に引き抜けはしないものの、裸映画的な一大スリリングも撃ち抜く。顔ぶれだけ見ると脆弱な女優部と通常運転でスッカスカの物語を、濡れ場の的確さで克服する一作。克服し得た辺りに、それはそれでそれなりにもしかすると万が一、馬鹿にならない小林悟の演出力が垣間見えるのかも知れない。

 問題が小林悟でこの手の粗相は観るなり見た覚えが案外ないのだが、朝田淳史が出て来やしない点。井田の回収要員は恐らく演出部、何れにせよアサジュンではない。ヒサエ配偶者役でキャスティングされてゐたものが、何某かのアクシデントでトンでたりとかしたのかな。


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 「昭和をんなみち 裸性門」(昭和48/製作:日活株式会社/監督:曾根中生/脚本:大和屋竺/企画:岡田裕/撮影:森勝/美術:徳田博/録音:神保小四郎/照明:川島晴雄/編集:辻井正則/音楽:奥沢散策/助監督:浅田真男/色彩計測:木野尾信正/現像:東洋現像所/製作担当者:高橋信宏/出演:梢ひとみ《新スター》・絵沢萠子・江角英明・葉月かおる・沢田情児・堀弘一・三川裕之・長弘・玉井謙介・小森道子・橘田良江・田畑善彦・衣笠真寿男・久松洪介・賀川修嗣・北上忠行・大谷木洋子・氷室政司・吉田朗太・庄司三郎・しまさより・佐藤了一・萩原実次郎・伊達真人/技斗:田畑善彦)。出演者中三川裕之と、玉井謙介以降は本篇クレジットのみ。逆にポスターには載る大山節子の名前が、本クレには見当たらない。実際どつちなのかといふと、多分出てはゐないやうな気がする。クレジットはスッ飛ばす配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 日傘を差した和装の女が、鳥居を潜るロングにタイトル・イン。個人の特定如きすて措けと、振り切れて思ひきり引いたカメラが清々しい。大正時代、本篇開巻はチャチい模型を用ゐての、まさかの口腔内から外を見た視点のショット。正直、この時点で嫌な予感はした。侯爵の桂川実篤(長)がナポレオンに扮する座長(堀)率ゐる一座を、屋敷に招いての観劇。石女―劇中いはゆる“不適切な表現”ママ―の妻・綾子(絵沢)が、ナポレオンと密通してゐるのを知る桂川は、自身も護衛役の藤堂貞之助(江角)の情人で女郎上がりの、戸田しの(梢ひとみの二役)を囲つてゐた。しのが二卵性の兄妹を出産、桂川が男児は綾子との間に生まれた子として育てる一方、しのと女児は放逐。桂川家執事(賀川)は藤堂に備前兼光を与へ、言外に母娘の始末を命じる。十九年後、の昭和七年。桂川の援助で今や道場も構へる藤堂に、今際の間際のしのから手紙が届く。何処ぞの田舎にSLで駆けつけ、しのの臨終を看取つた藤堂は、しのの娘・鏡子(梢)と出会ふ。
 ぎりぎり女優部はまだしも、膨大な男優部にぼろぼろ手も足も出ない辿り着ける限りの配役残り、しまさよりは綾子の侍女。陣痛に苦悶するしのから、平然と扇風機を奪ふカットの非情さよ。久松洪介が、兄妹を取り上げる医師。藤堂に連れられ上京、あるいは帰京した鏡子は、頑なに母と同じ娼婦の道に進むことに固執する。玉井謙介は、遊郭にて“お父さん”と呼ばれる人。a.k.a.森みどりの小森道子と橘田良江は、淫売要員のセーラー服と、矢張り劇中“不適切な表現”ママでめつかち。田畑善彦ともう二名が、藤堂が鏡子を連れ戻しに来た悶着に、介入する江崎組の衆。そんなにさうも見えないが老いてなほ腕の立つ藤堂に、チョロッと捻られる。遊郭に、三人の一高生が現れる。我等がロマポ脇役部の雄・庄司三郎はもう一人で、沢田情児が成長した京子の兄にして、苗字は桂川の浩義。最終的には菊江(葉月)と壮絶な東映―ばりの大を通り越した超失血―死を遂げる一高三羽烏のリーダー格と、藤堂の一番弟子・木村が固定出来ない大きい役。見れば判るつもりの佐藤了一も、見切れなかつた。
 初出演ではないが初主演の梢ひとみに、新人扱ひも何なので“新スター”と銘打つのが斬新に映る、曾根中生昭和48年第四作。ソネチューだ大和屋だとなるとシネフィル~な界隈での評価は概ね高いやうだが、直截にピンと来ない、しつくり来ない。何はともあれ、馬鹿みたいにデカいボカシは百歩譲つて兎も角にせよ、画を狙ふのは構はないが、女の裸は満足に見せろ。ロマポは専門外につきよく判らないがたとへばエクセスと国映を比べた際の如く、ピンクでは主に会社単位のカラーで異なる、実直に裸映画に徹するのと、ゲージュツに気触れてみせる。路線なり部署の相違が、日活単体の中で案外明確にあつたものなのであらうか。濡れ場も疎かに鏡子の激情は兎にも角にも激しくはあれ理解にも共感にも遠く、絶妙に間の抜けたハンサム止まりの江角英明と沢田情児、男メインの二人が二人とも弱い。無造作な大立回りは今となつては牧歌性の範疇を突破し得る類のものでもなく、何もかも置いてけぼりにした清々しい絶望感は鮮烈でなくもないものの、描写が足らないか端的に不手際でラスト木村が何者と刺し違へたのかがてんで判らない以上、出し抜けに浩義を左に振るのは木に竹も接ぎ損なふ。サブ以外唯一正方向に琴線に触れたのは、執事が藤堂に最後に言ひ放つ、「藤堂、お前は何時も自分を賭けるものを間違へてゐる」なる、殆ど唯一地に足の着いた、且つ見事に真実を撃ち抜いた地味な名台詞。


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