真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「欲しがり令嬢 くはへて飲む」(1994『いんらん令嬢 野外逆レイプ』の1997年旧作改題版/製作:旦々舎/配給:大蔵映画/脚本・監督:山崎邦紀/撮影:繁田良司・西久保維宏/照明:阿部力・高原賢一/音楽:藪中博章/編集:㈲フィルム・クラフト/助監督:女池充・戸部美奈子/制作:鈴木静夫/スチール:岡崎一隆/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:石原ゆり・ゐろはに京子・田代葉子・荒木太郎・杉本まこと・甲斐太郎)。
 曲りくねつた川岸を気持ち水に入る、左手に果物を持つたオレンジ色の和服の女。素足だと堪へる石の険しさなのか、覚束ない足取りを通り越して大概歩き辛さうにヨロヨロと進む。情容赦ない演出に従ひ一分強歩かされた上で、ゐろはに京子が半分に切つた果実を片方は貪り、もう片方は体中に塗りたくつての壮絶な自慰。開巻即極限、ゐろはに京子の柔らかく豊かな肢体の威力が尋常ではない。三分のエクストリーム、タップリ劣情を揺さぶられた上で、ところでこの果物何だつけ?と首を傾げたタイミングを見計らふかのやうに、低い崖に立つゐろはに京子のロングに、「マンゴー」と超常風に少し弄つたシャウトが被さるタイトル・イン、実に親切だ。
 タイトル明けると‐20年後‐、旧家・中里家一人娘の零子(石原)が、医師の小渕(荒木)と同じ川岸を歩く。「もう直ぐですね、僕達の結婚式」といふ小渕の言葉に対し、どうやら零子は煮え切らない様子で嬉しくはなさげ。矢張り同じ川で寡黙に釣り糸を垂れる髭面の杉本まこと挿んで、御馴染み旦々舎。きれいな小沢仁志に見える田代葉子が縁側で花を活けてゐると、甲斐太郎がウアーと現れる。甲斐太郎は零子の父親で、娘と小渕との縁談は、甲斐太郎が強引に進めたものだつた。小渕が作つて来たお弁当、タバスコを取り出し「使ひます?」。すると強迫的なイメージ起動、大量にタバスコを振りかけたピザを貪り喰つた零子に赤い照明が当てられ、マンゴー同様のホニャーンとシャウト。静から動、清から淫。百八十度正反対の人格を発動させた零子が「結婚式まで、セックスしないつもり?」と小渕の度肝を抜くと、森の中に舞台を移しそのまま婚前交渉に突入。第三者の視点と思しき粗いキネコを噛ませて、木々の合間から様子を窺ふゐろはに京子の幻影を見た零子は「お母さん!」と叫び我に返る。となると、田代葉子は甲斐太郎の後妻といふ寸法か。時を同じくして、甲斐太郎もマンゴー・オナニー略してマンゴナニに狂ふゐろはに京子の幻影に遭遇、こちらは戦慄する。後々、杉本まことに呼称されるゐろはに京子の固有名詞は兆子、超子か蝶子かも。
 この頃は大蔵とエクセスとを往き来する山邦紀1994年全四作中第三作、薔薇族含むと五の四。何はともあれ、十七年前にもマンゴーものを撮つてゐたことに感興を覚えた、卵だけぢやなかつたんだ。マンゴナニに狂ふ母親と、香辛料に点火される娘。母娘の周囲で振り回されるばかりの男達と、一件の鍵を握ると思しきワイルドでハンサムな杉本まこと。豹変する瞬間の石原ゆりの瞳の輝きは素晴らしく、田代葉子の肉体を拝借した兆子は、甲斐太郎にかう告げる、“私の一人だけの世界に、零子が穴を開けて呉れたの”。無間の快楽に囚はれる母親を解放した娘が、自身も万事父親のいひなりの物静かで受動的な娘から、ドラスティックに変り始める、何たるロマンティック。とはいへ、頗る魅力的に拡がつた風呂敷が、満足に畳まれることはない。結局甲斐太郎いはく“お前《兆子》や俺を裏切つたあの男”といふ杉本まことの正体なり因縁が一切語られない派手な拍子外れを筆頭に、静謐な青い画調で捉へられたいはゆる母娘丼はクライマックスに相応しい強度に満ち溢れるものの、物語的にはあれもこれもまるで片付かずじまひ。巴戦までで概ね尽きた尺を、殆ど大御大・小林悟作かのやうに清々しく振り逃げてみせる。とはいへとはいへ、だなどといふ野暮は、所詮は首から上で映画を見た上での戯言。考へるな、感じるんだ、腰から下で。改めてキチンと見てみるとゐろはに京子といふ人は、これでこの人がもう少し美人で出演作ももつともつと多かつたならば、為にする物言ひでなく本気でピンク映画の歴史が変つてゐたのではあるまいか。いやらしく美しい肉体には、居るとすれば極稀にしか成功しない、造物主の神秘的な作為をも感じた。理想的人間像といふ奴の首から下は、女はこの人の体でいいのではなからうか。石原ゆりはその意味では何周か周回を遅れつつ、扇情的かつ挑戦的な画作りは十二分に刺激的。考へるな、感じるんだ。腰から下で感じる分には文句ないどエロな一作、こんなものポール・ルーベンスに観せたら駄目だからな、またトッ捕まるぞ。


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