真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「どインランな女たち 大阪すけべ喫茶篇」(1995/製作:ENKプロモーション/提供:Xces Film/監督:剣崎譲/脚本:駒来慎/製作:ENKプロモーション 駒田達郎/撮影:牧逸郎/照明:北井哲男/助監督:岸田一也/制作:大谷優司・溝口尚美/撮影助手:木根森基・道岡誠/スチール撮影:渡辺哲/照明助手:田村まさひろ・山形剛・高柳知/編集:京ふたば/美粧:TATTOO/現像:東映化学/録音:東洋スタジオ・立石幸雄/フィルム:FUJIフィルム/協力:カップル喫茶 レッドハウス《新大阪》・レンタルラボ エンドレス《吹田》/照明機材:マジックハンド・映材スポット/撮影機材:関西映機/出演:谷川芙弥・赤江美紀・扇十郎・池浪義樹・南波れいこ・あんがい純・かめだこうじ・上村俊太郎・上田かなよ・山内ちはる・のばら・渡辺哲・高永良夫・竹田孝一)。スチールが、撮影部と照明部のセカンドを分断するクレジットは初めて見た。
 最初に、手も足も出ない以上おとなしく白旗を揚げるほかあるまい。後述する序盤のルージュ要員に登場する渡辺哲以外、本当に誰が誰やら全く判らない。昭和55年とでもいふならばまだしも、1995年の浅さで斯くも配役を固定出来ないのも開き直るが珍しい、大阪映画たる所以か。
 ズンチャカ開巻即底を抜く劇伴と、大阪城。途轍もなく女好きだつたらしい大公殿下―豊臣秀吉―の影響なのか、現代の大阪は次々と新風俗が誕生する地で知られてゐる云々と、随分な方便のナレーション。大体が、豊臣秀吉好色の真偽は問はないにせよ、極々限られた一時期の施政者の個人的な特性が、どうすれば四百年後の街全体の気質を左右出来るのか。六十億人分のパーソナリティーを僅か四類型に振り分けてみせる、ザックリするにもほどがある“占ひ”とやら以上だか以下に、没論理的であることなどピンクスにでも判る。閑話休題、繁華街を進む男女の背中に乗せた“最高の性風俗はこれだ!”とかいふシャウトに続き、そこそこの広さのカップル喫茶店内のそこかしこで、多数のカップルがお盛んに励む壮観を一望するショットに合はせてタイトル・イン。凄いのは確かに凄い画なのだが、冷静に考へてみるとカメラ位置の詳細がピンと来ない、二階席でもあるのか?
 夫の接待の席に随伴する風を装ひ身支度する麗子(ビリング推定で谷川芙弥か/以下同)に、息子・シゲルを預けさせられる舅の紀夫(扇十郎か池浪義樹/雰囲気的には扇十郎>何だそれ)が軽く嫌味を叩く。麗子は全く意に介さず、シゲル単独のイメージ(子役不明)挿むや否やチャッチャと夫・和彦(池浪義樹か扇十郎)とカップル喫茶店内、お花のパーテーションで覗き覗かれ易いやうに仕切られたボックス席。後々、入念に看板も抜かれる店名は協力のレッドハウス、ではなくルージュ。でもこれ改めてよくよく見てみると、ルージュは上から貼りつけただけかも。ここから、パッと見では濡れ場がマッタリ連ねられ続けるだけであるものの実は何気に凄まじいのが、和彦・麗子夫婦に、ロン毛の旦那が馬面イケメンのこちらも御夫婦と、関係性は不明なメガネ男と金髪ショートの女(女二人は南波れいことあんがい純か)。最低三組の脱衣本戦隊と、渡辺哲含め尺八その他要員。ルージュにて繰り広げられる酒池肉林に、序盤を丸々潰して何と十五分弱の長尺を費やす仰天構成。先走ると二戦目にして、剣崎譲も随分と勇敢な無茶をする。ところでルージュ店内、大絶賛開戦中のカップル客ばかりで、ギャラリー客が見当たらないといふのは幾分不自然でもある。それと、常時そこかしこに誰かしらが見切れてゐるため、ルージュ乱交部隊―ダーク破壊部隊風に―は全部で何人になるのか最早判然としない。ともあれ第一次ルージュ大戦ひとまづ終結、客同士の交流用連絡帳に書き込む黒髪ショートの女のカット噛ませて、帰りがけにロン毛夫妻と会話を交した麗子・和彦はシレッと帰宅。したところが大事件発生、紀夫が庭に出てゐる隙に、シゲルがゐなくなつたといふのだ。麗子と和彦が途方に暮れ、紀夫は悪びれもうろたへもしない中、当然名乗りはしないが亜矢(赤江美紀?)から誘拐したシゲルの身代金に、八百五十三万円を要求する電話が入る。八百五十三万円といふのは、麗子が管理する貯金の残高と同じであつた。亜矢と、この人は無関係な太郎(かめだこうじか上村俊太郎で、もう片方がロン毛?)との一戦経て、再び電話を入れた亜矢は、和彦を押しのけ受話器を取つた麗子に金の受け渡し場所としてルージュを指定する。因みにルージュ≒レッドハウス疑惑を蒸し返すと、ルージュの所在地も新世界は新世界。
 剣崎譲第八作にして、ピンク映画第二作。残りは一般映画でも非商業映画でもなく、薔薇族といふ寸法。ピンク映画前作兼、一応姉妹の姉作「どインランな女たち 大阪風俗篇」(1994/主演:美藤世里)との連関を窺はせる描写は、清々しいまでに一欠片たりとてない。となると、雑な物言ひにもなるがどうせピンク映画ゆゑ女優部は概ね“どインランな女たち”で、大阪を舞台とするのもデフォルトである以上、全作「どインランな女たち 大阪何某篇」であつて別に問題はないやうな気もする。映画本体に話を戻すと、全体の体裁が転々とグラつく大阪風俗篇と比較した場合、おとなしく劇映画の枠内に終始納まる点を一々長足の進歩と騒ぎだててゐては、流石に剣崎譲に対して失礼か。二度のルージュ大戦の間隙に放り込まれた、シゲルの誘拐・絶妙な額の身代金要求といふ出し抜けな重大事件。更に、起爆装置の予め地表に露出したサスペンスは、ツッコミ処過積載の荒業と、有無をいはせぬ速さとで切り抜ける、直截には誤魔化すともいふ。カップルの皆さんが致すのを、多数のギャラリーが動物園感覚で鑑賞するカップル喫茶の進化形・オープンカップル喫茶。オープンは兎も角喫茶要素が特に見当たらない、オチの豪快さもまた堪らない。正直俳優部の弱さは否めず、劇映画を下手に求めるならばまるで見るべきところもないにせよ、それはお門違ひといふ奴だ。スカスk・・・もといスカッと爽やかな、腹の据わつた裸映画ないしは量産型娯楽映画。後には何にも残さない、それは時に、ストイックな美徳として成立し得る態度であるのではなからうか。


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