真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「美人保健婦 覗かれた医務室」(2003/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:森山茂雄/脚本:黒澤久子/プロデューサー:池島ゆたか/撮影:飯岡聖英/編集:酒井正次/音楽:大場一魅 /助監督:城定秀夫/撮影助手:赤池登志貴・宇野寛之/監督助手:北村翼・松丸善三/出演:麻木涼子・川瀬有希子・河村栞・野村貴浩・西岡秀記・池島ゆたか・松木良方・神戸顕一・本多菊次朗・北千住ひろし・石動三六)。出演者中、北千住ひろしは本篇クレジットのみ。
 綜合商社の「大蔵商事」医務室、保険医の大西真子(麻木)が男性社員(北千住)の喉を診察する。カット変ると医務室のベッドの上では、真子とは同期で総合職の高橋桐子(川瀬)が、別の男性社員(神戸)と一戦交へてゐる。淫蕩な桐子は勤務時間中にしばしば、誰彼構はぬ相手と医務室をラブホ代りに利用してゐた。ドアに“立入禁止”の札を掲げ、真子が仕方なく一旦医務室を後にしたところでタイトル・イン。非常階段で一服してゐた真子は誰もゐない筈の屋上に人の気配を感じつつ、施錠されてある屋上には入れなかつた。真子が戻ると、佐川弘美(河村)が医務室を訪ねてゐた。桐子と同じく真子と同期でこちらは一般職の弘美は、鬱病持ちで矢張り度々医務室に入り浸つては、ボリボリとタブレット感覚で錠剤を口にした。弘美に続き、リストラの不安に始終慄く松浦(池島)も医務室に現れる。松浦も、医務室の常連だつた。各々悩みを抱へた二人はまるで上の空に、真子は熱心にレシピ集に目を落とす。
 西岡秀記は、真子の彼氏でエリート社員の遠藤彰。仕事で遅くなる遠藤の部屋で真子は料理を作つて待ちながら、一段落ついたのでタバコに火を点ける。ものの換気扇が動かないゆゑ、慌ててタバコを消す。さういふ女の心理も判らぬではないが、料理してゐる最中換気扇は使はなかつたのか?家庭的な女を気取るべく、真子は部屋を掃除してみたりなんかする。とはいへ、帰宅した遠藤と食事を摂り、ヤることはヤッてその日は帰宅した真子自身の部屋は、典型的な汚部屋であつたりもするのだが。こゝで。劇中真子宅の見事な散らかりぶりは、全体誰の自宅で撮影したのか。母親からの電話を取つた真子は、遠藤との関係を誇らしげに仄めかす。翌日、例によつて医務室には真子と弘美。そこに桐子が経理部長の岡田(石動)と現れたため、二人は退散する。何時ものやうに非常階段でタバコを吸つてゐた真子は、再び屋上に上がつてみると、けふは鍵が開いてゐた。驚く勿れ屋上にはデスクを置き忙しく仕事をしてゐる風の、浅岡信幸(松木)がゐた。真子を見止めた浅岡から、コピーを取つて呉れと手渡された書類は、てんで意味を成さぬものだつた。衝撃を受けた真子が呆然としてゐると、鍵をかけ忘れた粗相を激しく悔いながら岡本公平(野村)が現れる。岡本は真子に事情を説明する、浅岡は、公共工事に関る会社ぐるみの不正工作の責任を一身に背負はされ、自殺に追ひ込まれる。実際に屋上から飛び降りはしこそすれ、浅岡は死にきれなかつた。挙句すつかり狂つてしまつた浅岡を、何時正気を取り戻されるか判らない以上会社は飼ひ殺す選択を決定。岡本は、その監視役だといふのだ。屋上で唯一人、存在しないケニアでのダム建設プロジェクトを精力的に推進してゐる、つもりの浅岡を真子は可哀相だと慮るが、対して岡本には、そんな浅岡が幸せさうに映つた。
 主人公の支配する世界と、個性的なその世界の住人。理想的な恋人と、屋上に隔離されてゐた飛び道具、にその監視者。道具立てとしては揃ひ過ぎるほどに揃ふ森山茂雄の第三作は、そこまでは素晴らしく充実してゐたにしては、以降が全く解せない。けふもけふとて医務室は桐子に明け渡し、一服するかとしてゐた真子は、タバコを忘れて来てゐた。医務室に戻つた真子は、桐子と男性社員其の参(本多)との情事に思はず目を奪はれる。そこを岡本が急襲、後ろから真子を無理矢理抱く。以降、どういふ訳だか真子が漫然と岡本にもなびいてのけるのが判らない。多少その前では取り繕はねばならぬともいへ、実家も裕福な遠藤に真子が何かしら不足のあるやうには描かれてゐない。セックスの相性といふならばピンク的にも判り易いが、明確にはおろか黙示される訳ですらない。その癖岡本は汚部屋に上げてゐるにも関らず、最終的にバーで三角関係の三者が図らずも対峙する段ともなると、真子は「公平とゐる時のアタシより、彰とゐる時のアタシの方が好きなだけ」と来たもんだ。“女心と秋の空”とでもいふ方便か、知るかタコ。畢竟、桐子や弘美―と松浦―それぞれの物語に手堅くケリがつけられる反面、肝心のヒロインがまるで片づかない。クライマックスの、浅岡を先頭に真子、岡本と三人でケニアを目指すいはゆるハーメルン・マーチは全くの機能不全。最後の濡れ場―二人して仕事を休んだ汚部屋での、真子×岡本―からエンディングまで随分間が空く要は間の抜けた間延びも、カテゴリー上大いに火に油を注いでゐる。
 そもそも、この浅岡といふキャラクターが決定的に惜しい。江戸川乱歩いはく、「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」。自らの狂つた意識の中にしか存在しないプロジェクトに生きる浅岡こそ、正しくこの乱歩テーゼを体現する、虚構上極めて魅力的な登場人物であつたのに。現し世といふ現実世界よりも、夜の夢といふ一種の真実に生きた方が、人間の一生としてはあるいはより豊かであるのかも知れないといふ視座は、真子と相対する岡本の浅岡への眼差しとして既に提出されてもある。最終的には、浅岡の懐いた夜の夢の誠の一点突破で、真子といふ主人公の見せるブレを捻じ伏せる力技も、攻め方次第では成立し得たのかも知れないとさへ思ふ。さうはいへ浅岡のキャラクターが表面的には、何某かの人間といふ存在に対する認識の深遠さを窺はせるものではなく、類型的な団塊然とした、平板で高圧的なまるで魅力的ではない造形に止(とど)まつてもゐるのだけれど。


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