真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「団地妻セックスバトル 不倫とスワップ」(2004『夫婦交換《スワップ》前夜 ~私の妻とあなたの奥さん~』の2008年旧作改題版/制作:セメントマッチ・光の帝国/配給:新東宝映画/脚本・監督:後藤大輔/企画:福俵満/プロデューサー:池島ゆたか/撮影:飯岡聖英/音楽:野島健太郎/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:堀禎一/演出助手:菅沼隆・森角威之/撮影助手:田宮健彦・田村覚/スチール:山本千里/タイミング:安斎公一/現像:東映ラボ・テック/協力:佐藤吏・茂木孝幸・㈱コアマガジン/出演:夏目今日子・境賢一・林田ちなみ・本多菊次朗・枝瑠・杉田浩子・宍戸宏江・片桐隆弘)。出演者中、杉田浩子以降は本篇クレジットのみ。夏目今日子は今作がピンクデビュー作で、旧版ポスターに於いては“(新人)”と、その旨特記される。
 劇団民藝所属の境賢一による朗読、「僕達の家庭は、一つの愛を育む」、「いや、家庭が僕達に愛の本質をもたらすのだ」。挫いたのか、足を引き摺るピン・ヒールの女の足元のアップ。タイトル・インに続くのは、堂々とした画質のビデオ画面。ピンク映画監督の加藤伸輔(境)は、同じ団地に住む主婦の宍戸かなえ(林田)と不倫関係にあつた。映画監督とはいへ仕事はしてゐるのかゐないのか、伸輔は靴屋で働く妻・時雨(夏目)の稼ぎで食ひながら、半ば主夫のやうな生活を送つてゐた。けふは昼間から伸輔がかなえとの露出プレイを収めたホームビデオでマスを掻いてゐたところに、足を怪我した時雨が不意に早く帰宅して来る。夫の自慰を揶揄する時雨は伸輔とは、長くレスの状態にあつた。
 改めて確認しておくと、ピンク映画監督の加藤伸輔と時雨の夫婦が登場する物語としては、「妻たちの絶頂 いきまくり」(2006/伸輔と時雨:吉岡睦雄と千川彩菜)に遡る一作である。演者がまるで違ふのもあり、伸輔と時雨の人物造形は表面的には大きく異なるが、時雨とは長く夫婦生活を持たない伸輔が余所に女を作ることと、時雨が過去に伸輔の子を妊娠した際に、卵管の病気が発覚するといふ点は共通してゐる。
 かなえが伸輔には無断で投稿したプレイ写真が、『ニャン2倶楽部』誌に採用され掲載されてしまふ。『ニャン2倶楽部』が劇中にそのまんま登場するのでええんかいなと思つてゐたところ、協力として㈱コアマガジン社がクレジットされてゐる、正当に話を通したやうだ。その『ニャン2倶楽部』を立ち読みした、かなえの夫・宍戸敦夫(本多)は俄かに興奮する。目線が入つてゐるとはいへ、特徴ある外見から伸輔を見抜いた宍戸は、こちらは何故かプレイ写真を加藤夫婦のものと不自然にも勘違ひし、捕まへた伸輔に夫婦交換を申し出る。信用金庫をリストラされたことを妻には秘密にしてゐたのが発覚した宍戸が、状況を打開する一手としてスワッピングを思ひ立つまでは理屈が通るが、かなえと時雨とでは、髪の毛の色から全く違ふ。その時点で宍戸が時雨を知らなかつたとしても、絶倫を誇り逆に食傷されてしまふくらゐに毎晩かなえを抱く宍戸が、伸輔はその人と見抜いておきながら抱き慣れた妻の肉体を見紛ふ方便には無理が大きい。後に宍戸が体格から写真の女とは全く別人の時雨を実際に抱くこともあり、ここは埋めきれてゐない展開上の明確な大穴であらう。宍戸から話を聞き『ニャン2倶楽部』を手に取つた時雨が、夫の相手の女がかなえであると気づいてゐたのか否かは、必ずしも明確には語られない。後々の描写からは、殆ど気づいてゐさうにも窺へるが。
 枝瑠は、団地の廊下を裸足で走り回つては、「幸せですか?」と家々の呼び鈴を鳴らす気違ひ女・エル。丘の上の馬鹿といふ趣向は勿論酌めるが、それがデブギャルといふのは激しく如何なものか、画面(ゑづら)が醜悪過ぎる。杉田浩子は、そんな近所迷惑な姉に手を焼く妹、可愛い。意外に歳は行つてゐるのだが、そこが又いい、知らんがな。片桐隆弘は、時雨が宍戸と入る小料理屋の一人客か?もう一人出演者としてクレジットされる、宍戸宏江が恐ろしく判らない。該当しさうな登場人物といふのが、ほかに全然見当たらないのだ。声のみで、団地の近所にイトーヨーカ堂が出店するらしいことをかなえに伝へる御近所か。それとも、宍戸が伸輔を捕まへるカットに見切れる、撮影中にその場に居た一般の通行人にしては、妙にハクい女?
 宍戸から夫婦交換を持ち掛けられたと伸輔から打ち明けられた時雨は、初めは当然のやうに激しく拒絶する。ものの土壇場で、断りかけた伸輔を遮り申し出を受諾する。時雨はスワッピングを機に、伸輔との関係を清算する腹を固める。衝撃を受け、伸輔は戸惑ふ。諸々の思惑が交錯する中、終に決行される夫婦交換。果たして、伸輔・時雨夫婦の行く末は・・・?
 出典は判らぬが、繰り返される一節。「僕達の家庭は、一つの愛を育む」、「いや、家庭が僕達に愛の本質をもたらすのだ」。スワップ当日、誘ひ出された伸輔は踊り場で衝動的にかなえを抱いてゐたところ、何時の間にか二人の様子を階段に座つたエルが見てゐた。何時ものやうに「幸せですか?」と二人に問ふエルに、伸輔は幸せとは何かと問ひ返す。エルは答へる、「失くしてしまふと、幸せぢやなくなるもの」。さんざぱら思はせぶりに外堀ばかり埋めておいて、最終的に事の顛末は明確には描かれない。お話を途中で投げ出した分、濡れ場の濃度は高くなつたやうにも確かに見えるが、その上でも不誠実に対する落胆の方が上勝る。何もかもを明示的に描いてしまふばかりが能でもなからう、さういふつもりなのかも知れない。別れが美しい悲劇であるか、あるいは何だかんだの末に、最後は全てが然るべき納まり処に収束する大団円を迎へるオーソドックスな娯楽映画となるのか、それは勿論何れでもいい。何れにせよ、帰結を中途で放置しそこから先を本篇以外の何物かに委ねて済ますやうな態度は、詰まるところは作劇上最も困難を要する段取りを、放棄したに過ぎない。とするのが、よしんばそれがプロの目からは表層的であり一面的であるものに見えたとしても、当サイトの採用する基本的な鑑賞姿勢である。本丸を敢て落とさなかつたといふことは、本丸を落とせなかつたことと結果的には何ら差異はない。


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