閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

ぐりとぐらの「かすてら」

2012-10-06 23:55:25 | 日々

『ぐりとぐら』の絵本に出てくる「かすてら」って
「ホットケーキ」じゃないの?
・・という話題を某所にてお見かけしたので、その話を。

『ぐりとぐら』が「こどものとも」93号に登場したのは1963年。
わたしは当時小学1年、かな。
69号から毎月読んでいたので、この「黄金時代の幕開け」を
ぎりぎりリアルタイムで体験できた世代なのです。

昭和のむかし、とはいえ、「かすてら」という名称は、
子ども心にも、ちょっと「?」でありました。
(カステラっていえば、箱に入った四角いの、でなくちゃ!)
しかし、本にカステラと書いてあれば、それはカステラなわけで。
そこで、ひまねこちゃんは、
「昔はケーキのことをカステラと言ってたんだよ、ね」
「昔はオーブンがなかったからこうやって焼いたんだよ、ね」
と、自己流に解釈して納得することにしました。

まあ、子どもってね、非常に自己中心的だったり、
ものすごくガンコだったりすることもある反面、
気に入った場所にはするりとうまく自分を合わせてしまう
能力も持ち合わせているもので。
「昔は・・ね」というのは、たぶん、そのころおぼえた
「万能納得術」のひとつだったんでしょう。

(話はそれますが、ちょうどこの頃、子どもがお友達のと
同じ玩具など欲しがったりしたとき、うちの親の回答は、
「うちはうち、よそはよそ!」というものでした。
これはすなわち「万能説得術」のひとつであります)

で、このカステラ。
ものの本によれば、ホットケーキより卵と砂糖の割合が
多いのだそうですが、見た目には限りなくホットケーキに近い
(わたしはホットケーキをフライパンでふたをして焼くので、
ほとんどまったく同じ)。
だけど「カステラ」と思ったほうが、はるかにおいしそう。
なぜか「スポンジケーキ」では駄目。
「カステラ」でなくちゃ駄目。
いや、ひらがなの「かすてら」でなくちゃ気分が出ない。
このへんは、理屈では説明しきれない「言葉の魔法」であります。

じつは、この絵本、ひまねこちゃんの気になる点は
別のところにありました。
最後に出てくる、ぐりとぐらが卵の殻でつくったもの。
これね、ハンドルと車輪はあるけど、それだけ、でしょ。
ぐりとぐら、ふたりとも乗っちゃってるんだけど、
誰かひっぱらないと、おうち帰れないんじゃないかなあ、って。
(けっこう細かいことが気になる子だったらしい・・
出会った年齢が3歳じゃなく6歳ということもありますが)

それと、もうひとつ。
この最後のページには文字がひとつもありません。
「なにをつくったとおもいますか?」という問いのあと、
答えはないまま、絵だけで終わっているんですが、
どうして字が書いてないんだろう、って。
(人一倍「文字」にこだわる子でもあったらしい・・笑)

もちろん、このページの余白は、読者の子どもたちの、
問いに答える「なまの声」でにぎやかに埋めつくされ、
それによってこの絵本は完成するのです。
いや、むしろ、「声」をひきだすために用意された余白、
といってもいいでしょう。
保育現場を熟知した作家さんらしい発想、といってもいいし、
「絵本」が「劇場」であるかのような立体的な演出です。

しかーし、6歳のひまねこちゃんは、先に書いたような理由で、
これを「じどうしゃ」と呼ぶべきかどうかわからなかったため、
(2両連結だけど「きしゃ」ではないし!)
このシーンでどうしても「声」が出ない。
「答え」の書かれていない余白を、黙って心細く見つめていた。
(まあ、ね、そういう子だったんです。すみません)


「子どもの頃に何を読んだか」は「何を食べたか」に似ています。
おとなになってから、まとめて、では吸収できないものもある。
(あ、これは「幼児の早期教育の必要性」の話ではありませんよ。
食べるも、読むも、ごくふつうの日常生活のひとつとして)
薄い針金綴じの「こどものとも」数年分が、ひまねこちゃんにとって
どれだけ貴重な栄養になったことか。

もちろん、すべての作品が傑作というわけではなく、
好みに合うものも、合わないものもありました。
夢中になれるところ。違和感をおぼえるところ。
ことばづかい。リズム。絵と文の調和。
良いも悪いも全部含めたその一連の流れそのものが、
現在のわたしの「基礎の基礎」にあると思います。

いろんな人が、いろんなおはなしをつくり、
いろんな絵を描いて、いろんな絵本ができた。
それを、たくさん、繰り返し、ひたすら読んだ。
大人になって、絵本にかかわる仕事をするようになったのは
偶然かもしれませんが、それを続けてこられたのは
「基礎の基礎」があったからだと思っています。

いま、これを書くのに、『ぐりとぐら』を10数年ぶりで
めくってみているところですが、この巨大な卵に遭遇して、
「なんのたまごだろう」という疑問は一言も出ず、
ただちに「どうやって食べるか」の相談に入るところが、
すごいなあ、ぐりとぐら。
この卵を産んだ親は、どこ行っちゃったのか(笑)。
そんなことは今まで考えてもみなかった。
考える必要もなく、何度でも、その世界にすっとひきこまれる。
みんなで食べたかすてらの味を、おぼえている気がする。

それもまた、言葉の魔法、いつまでも褪せない絵本の魔法。
わたくしも、いつかそのような魔法つかいのひとりになるべく、
いや、まーだまだ、ずうっと、修行中。


 

ほうきで飛びたい夕暮れの空。

 

コメント
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