昔持っていたコートのことを思い出す。
厚地のコーデュロイの、ややずっしりしたハーフコートだ。
フードと身頃がひとつづきで、肩からすとんと垂れて、
ほんのわずか裾広がりのスタイル。
服飾用語では何コートと言うのか、よく知らないけれど、
雰囲気的に近いものといえば「雨ガッパ」だろうか。
色は、ベージュともグレイともつかない、あいまいな色。
コーデュロイだから見る角度によって色味が変わる。
それにミルクを加えたような色のつるつるしたボタンが並んでいた。
買ってもらったのは高校生のときで、何が気に入ったかというと、
そういうコートは誰も着ていなかったし、店にもそれしかなかったからだ。
何かの手違いでまぎれこんだような「変なコート」であった。
店の人も、売れるとは思っていなかったかもしれない。
可愛くも格好よくもない。
サイズも少し大きすぎる。
しかし、めちゃくちゃ着心地がよかった。
そして、あたたかかった。
着てすぐわかったのは、ポケットの良さだ。
位置、角度、それにたっぷりした深さといい、裏地の感触といい、
文句のつけようがないくらい理想的なポケットなのだった。
そのポケットに手を入れていると、包まれている安心感があった。
わたしはいつも不安感の強い子どもだったけれど、
そのコートを着ていると、すこしだけのびのびと、楽にふるまえた。
それでいいよ、間違ってないよ、と言ってもらっている気がした。
進化したヒトは、毛皮を失ったかわりに、衣服を手に入れた。
さらに、色や形や素材を選ぶ自由というものも手に入れた。
選択肢が多くなりすぎ、いまでは本来の意味を忘れがちだけれど、
それは、まず寒さや雨や風から身を守るためにある。
傷つきやすい中身は、しっかりした保護機能を必要とする。
自分にふさわしい外装を手に入れるということは、
つまり、それを着て、外に出ていく、出ていけるということだ。
コートとは限らない。何でもいいと思うけれど、
保護機能という意味ではコートがいちばんわかりやすい。
自分を守ってくれる服、安心できる服を、まず1着みつける。
人によって、それは鎧だったり、かくれみのだったりする。
迷彩服や忍者装束に似たものかもしれないし、
あるいは逆に、とびきり奇抜な舞台衣装かもしれない。
スヌーピーの漫画に出てくるライナス君の毛布を
コートに仕立てれば立派に着ることができる。
手に入れたら、それを着て、ひとりで歩く。
自分はどこへ行きたいか。
何をしたいか。
そのために次は何が必要か。
どうしたら必要なものを手に入れられるか。
いろんなことが順番に少しずつ見えてくる。
そのコーデュロイのコートを、10年は着たんじゃないかと思う。
流行のものではなかったから、流行遅れにもならないのだった。
着なくなってからも長いこと持っていた。
いつのまに、それがなくても平気になったのだろう。
さすがに古くなりすぎ、そういうものが似合う年齢でもなくなり、
だいぶ前に処分してしまった。
今ごろになって、あれ捨てなきゃよかったな、と思ったりする。
でも、持っていたって着ないだろうな、とも思う。
いつもの癖で、ボタンだけ、とっておいた。
ボタンを見ると、コートのすべてが思い出せる。
それを着て歩いた場所のいくつかも思い出せる。
あれほど着心地のいいコートと、気持ちのいいポケットには、
その後一度も出会ったことがない。
必要な時期に、必要なものに出会うことができて、よかった。
それがわかるのは、いつも、ずっとあとになってからだ。
本日のにゃんこ。
こら、そんなに無防備でいいのか真鈴。