閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

ティファニーで

2009-04-13 13:46:34 | 日々
ターミナル駅に近いオフィス街、朝の10時前。
証券会社と銀行の間を歩いていたら、
スーツ姿の若い女性が朝食をとっていた。

交通量の多い道路から10メートルほど入ったところ。
ビルに沿った植え込みの縁石に紙袋を置き、
それに向かってまっすぐ立ったまま、
パンだかドーナツだか、ひとり黙々と口に運んでいる。

黒のタイトなジャケットにスカート、真っ白いブラウス。
研修中の新入社員なのか、就職活動中の学生なのか、
このごろいたるところで見かける服装だ。

こんなところで、と思う。
飲み物のカップにコーヒーショップのロゴが見える。
店内には空席がなかったのだろうか。
せめて腰をおろして食べればよいのに。
植え込みの縁石はほどよい高さだし、乾いて清潔そうに見えるが、
スカートがしわになることのほうを気にしているのだろうか。

わたしは明治生まれの祖母のしつけで育ったせいか、
「立って物を食べるのはお行儀が悪い」という観念がいまだ抜けない。
自販機で飲み物を買ったり、お祭りの屋台でたこ焼きを買ったり、
そういうこともしないわけではないけれど、
それを持って座る場所が見当たらないと非常に落ち着かない。

うちの子どもが3歳で保育園に入ってまもなくのこと。
迎えに行くと、先生が笑いながら言うのである。
「Kちゃんて、面白いですねえ。
おやつをもらうと、その場でちょこんと座るんですよ」
それは当然でしょう。
わたしは自分が教えられたように、子どもにもそう教えたのですよ。
ところが保育園では、おやつのとき誰も座らないばかりか、
座りなさいと言う人もいないらしい。
カルチャーショックであった。

それから数年たつと、都会の駅などで、「立って食べる人」の姿が
やたらと目につくようになってきた。
立ち食いそばやミルクスタンドは昔からあったが、それとはまた違う。
もっと場所を選ばないのだ。

5分間隔で来る電車を待つ列に並びながらメロンパンをかじる。
通勤電車内でバッグからおにぎりを取り出す。
ワッフルを口にくわえ、手は携帯の操作をしている。
混雑した改札の脇で、クリームたっぷりのケーキを指でちぎる。
女性のほうが圧倒的に多い。
若い人だけとは限らない。

忙しい。きちんと食事をとる余裕がない。
飲食店に入るのは時間もお金ももったいない。
でもおなかはすく。
だから食べられるときに食べておく。
その割り切った行動は、質実剛健、と言えなくもない。
余分なこだわりを捨て去った、一種の潔さを感じなくもない。
何か心理的な規制がいっせいにはずされたような印象を受ける。
「お行儀」なんて、どうせ時代につれて変化するものだ。
けれど、

え。
こんなところで。
そんなものを。
いいの?

…目にするたび、違和感をおぼえる。
その残像がなかなか消えない。

有名な映画の1シーンを思い出す。
「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘップバーン。
シックな黒ずくめのドレスで朝帰りのヒロインは、
5番街の宝石店のショーウィンドウの前で、優雅にパンをほおばる。
ティファニーは現実の嫌なことを忘れさせてくれる場所。
夢の安住の地、あこがれのお城、幸福の象徴だ。
映画はお決まりのハッピーエンドで終わるが、原作の小説では
ヒロインは夢を追ってさすらい続け、その旅に終わりはない。

お天気のよい春の朝に、小鳥の声で目覚め、
心配ごともなく、急いで出かける用事もなく、
ティファニーの店にいるような幸せ感につつまれて
ゆったりと朝食をとる…
ほんとうは、誰だって、そんな場所を探している。
オフィス街の彼女も。
きっと。
コメント
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