--そんな連想はどのくらい通じるだろうか。高校の漢文の教科書には多く『長恨歌』が載っているだろうから、これを覚えていれば納得されるはずだ。女子高時代に(任意で)暗誦する課題があった。それ以前に趣味で覚えてもいたが、いまはさわりだけになってしまった。「七月七日長世殿 夜半人なく私語の時 天に在りては願わくは比翼の鳥となり 地に在りては願わくは連理の枝とならんと 天は長く地は久しきも時ありて尽く この恨みは綿々として絶えるとき無からん」 どこを「さわり」と見るかは主観がからむが、このラストはまちがいなくその一つだろう。 「玉容寂寞として涙欄干 梨花一枝春雨を帯びたり」・・・気のとおくなるような美貌描写だ。「眸をめぐらして一笑すれば百媚生ず 六宮の粉黛顔色なし」、これもまた凄まじい。
『長恨歌』では、深窓の令嬢だった彼女が突然皇帝に召し出されたように描かれているが、これはまったくのウソで、実際には皇帝の息子の妻だったのが別れさせられて、そののちに召されたという事実は有名である。この話題を「歴史」カテゴリーに入れられるほど私は史実をよく知らないし、フィクションでも井上靖『楊貴妃伝』、白井恵理子の『黒の李氷』の中の一編くらいしか読んでいない。あとは永井路子さんの『歴史をさわがせた女たち 外国編』。
当時はふくよかな女が流行であったというから、楊貴妃も現代日本人が見れば決してうらやましがられるタイプではあるまいとは確信する。白楽天の描写でうっとりするにとどめておくほうが無難だろう。
私の頭で玄宗皇帝と連想が重なるのは、ルートヴィヒ1世だ。19世紀のバイエルン国王。ノイシュヴァンシュタイン城の2世の祖父。現在でのアイドルぶりでは2世が圧倒的でも、ミュンヘンへの功績では1世のほうが上のはず。ミュンヘンを「イザール河畔のアテネ」にしようとがんばった。少なからぬミュージアムもつくっている。(彼のギリシア・ローマの彫刻コレクションを展示した「グリュプトテーク」には美しいアウグストゥス像がある。行ってないけど。) しかし、アイルランド出身の踊り子ローラ・モンテスにのめりこんで大きな顔させたことから市民の不満を招き、ついには暴動となって退位するはめになった。
つまり、そこそこ名君であったのに最後に(?)女でしくじったという共通点。
もっとも、世間は男の失敗を女のせいにすることが好きなので(そしてそういう話にしたほうがウケるし)簡単に言い切ることもできないだろうが。
個人としてのインパクトはローラのほうが強そうだ、しかし知名度は楊貴妃が圧倒的に決まっている。
『長恨歌』では、深窓の令嬢だった彼女が突然皇帝に召し出されたように描かれているが、これはまったくのウソで、実際には皇帝の息子の妻だったのが別れさせられて、そののちに召されたという事実は有名である。この話題を「歴史」カテゴリーに入れられるほど私は史実をよく知らないし、フィクションでも井上靖『楊貴妃伝』、白井恵理子の『黒の李氷』の中の一編くらいしか読んでいない。あとは永井路子さんの『歴史をさわがせた女たち 外国編』。
当時はふくよかな女が流行であったというから、楊貴妃も現代日本人が見れば決してうらやましがられるタイプではあるまいとは確信する。白楽天の描写でうっとりするにとどめておくほうが無難だろう。
私の頭で玄宗皇帝と連想が重なるのは、ルートヴィヒ1世だ。19世紀のバイエルン国王。ノイシュヴァンシュタイン城の2世の祖父。現在でのアイドルぶりでは2世が圧倒的でも、ミュンヘンへの功績では1世のほうが上のはず。ミュンヘンを「イザール河畔のアテネ」にしようとがんばった。少なからぬミュージアムもつくっている。(彼のギリシア・ローマの彫刻コレクションを展示した「グリュプトテーク」には美しいアウグストゥス像がある。行ってないけど。) しかし、アイルランド出身の踊り子ローラ・モンテスにのめりこんで大きな顔させたことから市民の不満を招き、ついには暴動となって退位するはめになった。
つまり、そこそこ名君であったのに最後に(?)女でしくじったという共通点。
もっとも、世間は男の失敗を女のせいにすることが好きなので(そしてそういう話にしたほうがウケるし)簡単に言い切ることもできないだろうが。
個人としてのインパクトはローラのほうが強そうだ、しかし知名度は楊貴妃が圧倒的に決まっている。