弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

2号機は悪い方向に向かっている

2011-03-15 13:21:01 | サイエンス・パソコン
15日の朝方、ふと目が覚めたらそのあと寝付けません。
福島第一原発のことをあれこれ心配しだしたからです。
現在の燃料棒が、ウランの連鎖反応は停止しているものの、既にウランが核分裂して生成した物質がさらに放射線を出して崩壊する際に熱を発生する「崩壊熱」を発生し続けており、その熱を冷却しなければならない、ということはわかりました。
しかしまだ、以下の点がわかりません。
(1) 圧力容器内の水位はあっという間に下がるようだが、崩壊熱のみでそんなに水は蒸発するものだろうか。
(2) 外部から海水を注入しているということは、注入した分に等しいだけ圧力容器から外に水(と水蒸気)が排出されているはずだが、それは格納容器(と圧力制御室(抑制室))内に収まりきるのだろうか。
(3) 格納容器内へ排出された水蒸気は、圧力制御室内でどの程度凝縮して水になるのだろうか。水蒸気のままで内部にたまったものは、格納容器の圧力を上げる方向に働くのではないか。
(4) 格納容器内に排出されて水となった部分についても、どんどんたまったら格納容器一杯になってしまうのではないか。
(5) 結局、(3) の余剰水蒸気、(4) の余剰水は、格納容器から出さざるを得ないが、どこに貯めているのだろうか。
(6) 海水を注入し続けているが、どんどん蒸発しているとすると、圧力容器内には塩が溜まっていくはずである。塩が溜まっても本当に問題ないのだろうか。
(7) なぜ海水なら注入可能なのに、淡水は注入できないのだろうか。「淡水が枯渇した」ということであれば、いくらでも船で運び込むことが可能なように思われるが。

朝になり、ベッドから出てテレビとパソコンをつけました。
テレビでは原子力保安院の記者会見をやっています。何か不吉なことが起こったようです。
結局、何が起こったのかわからないのですが、「2号機で爆発音が聞こえた」「2号機の圧力制御室内の圧力が下がった」という自覚症状がわかっているのみのようです。
原子炉格納容器が破損したかもしれません。

続いて東電の記者会見が始まりました。
こちらも、記者や視聴者は「2号機で今、何が起こっているのか」を知りたいのに、それとは関係のない話ばかりしています。おそらく、壇上に座った人たちも詳しいことは知らないのでしょう。そのような会見に注目すること自体が無意味であるようです。

いずれにしろ、私がベッドの中で心配していた事柄のいくつかが現実のものになったような気がして、いっぺんに胃が痛くなってきました。

そして、15日の13時現在、発電所構内から高濃度の放射能が検出され、半径30キロ以内の住民に屋内待機が求められたようです。

「一体何が起こっているのか」という点については、昼が過ぎても朝の段階と情報は変わりません。
何とか、これ以上悪い方向に向かわずに、収束してくれることを願うばかりです。
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がんばってくれ!福ちゃん!!

2011-03-14 23:59:55 | サイエンス・パソコン
福島第一原発では、12日午後3時にまず1号機で水素爆発が起き、その後海水注入に踏み切りました。次いで3号機も14日に水素爆発を起こしました。こちらも海水注入です。
一方2号機は、1、3号機に比べるとダメージが最も少なく、自力で冷却していました。その2号機も14日の昼間に冷却系統がダウンし、海水注入へと進んでいきました。1、3号機の経験があるから、万全を期して海水冷却にはいるものと見守っていました。

3月14日の午後8時過ぎ、ネットで突然以下のニュースが飛び込んできました。


時事通信 3月14日(月)20時5分配信
『東京電力福島第1原発2号機(福島県大熊町)について、同社は14日午後7時45分、冷却水が大幅に減少し、約4メートルある燃料棒がすべて露出したと福島県に通報した。原子炉は2時間余にわたって「空だき」状態になったとみられる。その後、原子炉内に海水が給水されたが、核燃料の一部が溶ける炉心溶融が起きた可能性が高いという。
経済産業省原子力安全・保安院や東電によると、同原発2号機は同日午後、隔離時冷却系と呼ばれる原子炉の冷却系統が機能しなくなった。冷却水は同日午前9時の時点で、核燃料棒の上部から3.9メートル上まであったが、徐々に減少。同社は同日夕から、ポンプで海水をくみ上げ、炉内に注入する作業を始めた。
しかし、ポンプの燃料が切れて動作が止まったことから注入が進まず、水位はさらに低下。午後6時半ごろには、燃料棒がすべて水面から露出する事態に至った。』

何ということでしょう。これでは、チェルノブイリレベルに向かってまた1歩近づいてしまったではないですか。
あわててテレビを見に走りました。
そこではじまった東電の記者会見では、東電の常務だったかが原稿を読み上げますが、「燃料棒のすべてが露出した」とは一言も喋りません。「水位がフラフラしたが、海水で冷却している」趣旨を述べるのみです。
その後の官房長官の会見でも「すべて露出」には一切触れていません。
それでは「すべて露出」は誤報だったのか。

しかし時間が経過すると、やはり「すべて露出」が真実であったことが明かされます。
2号機 水位が半分にまで回復
3月14日 22時21分NHKニュース
『東京電力によりますと、海水を入れるポンプが停止したのは、職員が監視のためにその場を離れていた間にポンプの燃料が切れたためだということです。』

第1に
世界中が固唾を呑んで見守っているその現場で、一体何が起こっているのでしょうか。東電は、原子炉メーカーを含め、全知全能を傾けて対応にまい進しているものと願っていたのですが、ひょっとしたらお寒い状況にあるのかも知れません。
もちろんリーダーは11日から3日間以上不眠不休でしょうし、現場の第一線は少なくとも2交代で監視に当たっているでしょう。福島第二原発も危機的状況で、また第一原発も1~3号機の3機を監視する必要があります。
福島第一原発の構造を知り尽くしたOBを含め、適材適所で事に当たってほしいものです。

第2に
東電重役による記者会見での発言は、隠蔽体質丸出しです。世界にその隠蔽体質を見せつけてしまいました。

最新ニュースでは、
『東電は午後8時すぎ、ポンプの燃料を入れ直し海水の注入を再開。午後9時34分の時点で、燃料棒の下半分まで水位を回復させた。』
ということになっています。

お願いです!がんばってください!福ちゃん!!
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福ちゃん!がんばれ!!

2011-03-12 22:34:46 | サイエンス・パソコン
地震発生時、私はいつもどおり東京の事務所で執務していました。
突然の大きな揺れ、そして時間を経てさらに大きな揺れに見舞われました。幸い事務所内の機器が落下して破損することはありませんでしたが、このような大きな揺れは私の記憶にありません。
すぐにラジオをつけると、「東北地方で震度7、津波警報発令」が飛び込んできました。

時間の経過とともに現地の被害の惨状が伝わってきます。本当に未曾有の災害に拡大しました。多くの命を落とした方々にお悔やみ申し上げます。また、被災した方々にお見舞い申し上げます。

昨日(地震発生日)の夜から、東京電力福島第1原子力発電所でトラブルが発生しているらしい情報が入ってきました。それも、付帯設備の火災などではなく、炉心に関連しているらしく、嫌な予感はしていました。
それが本日の午後3時、「爆発音が聞こえた。原発の1号機建家が鉄骨を残して外壁がなくなっている。」という報道です。またそれ以前から、冷却不足で燃料棒の溶融があったらしく、それが「炉心溶融」という不吉な言葉で報道されていました。

これは大変なことになった。スリーマイル、チェルノブイリ、チャイナシンドロームなどの映像が浮かびます。
何とか、最悪の事態を避けて解決して欲しい。
現地では、多くの専門家たちが叡智を傾け、不眠不休の努力をしているはずです。私にできることといったら声援を送るぐらいです。

私は、東京電力福島第一原発に名前を付けました。“福ちゃん”です。そして、心の中で叫びます。

「福ちゃん!がんばれ!!」

午後8時半すぎ、枝野官房長官の会見が放映されました。
『同日午後3時36分に発生した東京電力福島第1原発の1号機の爆発は「水素爆発」との見方を示し、放射性物質も爆発前後で低下していることを明らかにした。』
最悪の事態は避けられたようです。

私は、小惑星探査機「はやぶさ」についても、2006年3月に連絡が回復してから2010年6月に地球に帰還するまで、「はやぶさ!がんばれ!!」と声援を送り続けてきました。こちらの「はやぶさと私」に書いたとおりです。
そしてその声援が通じたのか、はやぶさは見事に帰還を果たしました。

今回も、きっと祈りは通じるでしょう。
この記事をご覧になった皆さんもいっしょに応援してください。

「福ちゃん!がんばれ!!」
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ニコライ堂

2011-03-08 22:03:44 | Weblog
ニコライ堂といえば、東京はお茶の水近くに位置するキリスト教正教会の大聖堂です。御茶ノ水駅からすぐ南側にありますが、四方を高いビルに囲まれ、遠くからは眺めることができません。
御茶ノ水駅から総武線各駅停車に乗って秋葉原方面に向かったとき、御茶ノ水駅を出てすぐ、右側(南側)にドームが見えてびっくりしたのは去年のことです。位置からしたらどう見てもニコライ堂に間違いありません。ドーム手前に解体されたビルの跡地がありましたから、たまたまビルが解体されて総武線の線路からニコライ堂が見えたのでしょう。跡地に新しいビルが建ったら二度と見ることができません。

そこで、次に総武線に乗るチャンスをとらえ、デジカメをもって出かけました。
今年の1月30日に撮った写真が下の写真です。

手前の新築ビルの工事がだいぶ進んできているので、邪魔な障害物が多くなってしまいましたが、取り敢えずは記念写真を撮ることができました。

なお、総武線からは見ることができますが、同じ御茶ノ水駅発でも中央線からは見ることができません。線路の高さが違うのですね。

ニコライ堂といえば、最近の記憶ではNHK番組「ブラタモリ」において、タモリたち出演者がニコライ堂の中に入り、最後は鐘楼で鐘までついた映像が記憶にあります。【2010年1月28日放送】の第12回 神田をブラタモリですね。

今は、四方を高いビルに囲まれたビルの谷間に建っていますが、その昔、ニコライ堂は駿河台の高台に位置し、東京のいろんな所から遠望できたといいます。九段の靖国神社からも見えた、という話を記憶していまして、手許の書籍で調べたところでは坪内祐三著「靖国 (新潮文庫)」に写真がありました。「九段坂ヨリニコライ遠望」という石版画で、ネットでは東京下町おもかげ散歩で見つけることができました。この写真です。

第二次大戦中のB29による東京空襲において、ニコライ堂は空襲の対象から外されていた、という話はよく聞きます。私はもう一つうわさ話を聞いたように記憶しています。
B29の編隊は、まず富士山を目標とし、そこで右折して東京を目指すに際し、まずは目黒区大岡山の東工大時計台を目標とし、最後に駿河台のニコライ堂を目指す、というものです。この話が本当かどうかわかりませんが。
昭和40年代に東工大本館の時計台屋上から周囲を眺めたことがありますが、たしかに南側および西側に開ける展望は見事でした。西から飛来する飛行機からはよく見えたと思います。本館はともともクリーム色の外装なのですが、大戦中は視認しにくくするために黒色に塗装していたということで、昭和40年代にはまだその塗装の跡が若干残っていました。
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近時の進歩性判断の傾向

2011-03-06 20:38:06 | 知的財産権
ずいぶんと古新聞になってしまいましたが、2月24日に以下のパネルディスカッションを聴講してきました。日本弁理士会研修所主催です。

「近時の進歩性判断の傾向」パネルディスカッション~最近の知財高裁判決をめぐって~

パネリスト
  塚原 朋一氏(早稲田大学大学院教授、知財高裁前所長)
  小椋 正幸氏(弁理士、前特許庁審判部主席審判長)
  渡部 温氏(弁理士)
  片山 英二氏(弁護士・弁理士:阿部・井窪・片山法律事務所)
  濱田 百合子氏(弁理士:栄光特許事務所、元東京地裁調査官)
  西島 孝喜氏(弁理士:中村合同特許法律事務所)
  井上 学氏(弁理士:株式会社 日立製作所)
モデレータ
  渡邉 一平氏(弁理士)

パネラーのほぼ全員の共通認識として、以下のような認識があるようでした。
・平成5年頃に低かった進歩性判断のハードルが、平成12年以降に高くなり(厳しくなり)、それが最近また低くなる(緩くなる)傾向にある。
・進歩性を判断するに際し、やはり「後知恵」を排除することが必要である。

パネリストの塚原氏は、退官して大学院教授になってから、今までの知財高裁における進歩性判断のロジックに問題を感じたようです。
まず、知財高裁が勧めた進歩性判断の実質的修正として、「H18.6.29.紙葉類識別装置判決」(pdf)」を挙げ、「狼煙(のろし)役」であった、としています。私も2006-10-06に進歩性判断の最近の動向で取り上げ、『実は、上で紹介された平成17年(行ケ)10490号(紙葉類識別装置)については私も勉強会で勉強しまして、「ひょっとしたら、厳しくなりすぎた進歩性の判断について、揺り戻して適正化していくのではないか」と期待を抱いた一人です。』と書きました。
この判決は塚原裁判長のものではなく、篠原裁判長のものでしたが、塚原氏は「狼煙役」として評価したわけです。この判決によって、進歩性を否定した審決を取り消そうとする姿勢を現し、進歩性を否定するときは丁寧な理由説示を求めることとなりました。

塚原氏は、「同一技術分野論」を問題として挙げました。本件発明と主引用文献との相違点を明確にした後、その相違点について記載した副引例が見つかったとき、その副引例が本件発明と同一技術分野に属していたら、当業者はその副引例記載を参酌して本件発明を想到することは容易である、とする理論であるようです。
塚原氏はこの「同つい技術分野論」について、『同一技術分野路のの手法は簡易判別法 確定判断法は改めて必要』と言及しています。

現在の知財高裁の状況について、「飯村コート」が話題になりました。現在、知財高裁第3部の飯村裁判長は、「後知恵を排除すべき」と判示した判決を大量生産しています。
この件は渡部温弁理士の発表にもありました。無効審判に対する審決取消訴訟の判決を知財高裁の部ごとに解析した結果です。平成22年について見ると、
              2部  3部
有効審決の取消件数 3/3  2/16
無効審決の取消件数 0/9  3/9
ということで、「2部は特許権者に厳しく、3部は特許権者に優しい」という相違がきわめて顕著だというのです。

われわれ知財関係者の立場としては、「判断が部ごとに異なるのは困る。どの部に配点されるかで特許権の運命が変わってしまう」ということで困惑します。パネルディスカッションでも「知財高裁全体で判断を統一できないのか」という意見が出たのですが、塚原氏のコメントは「今それをやると飯村コートが潰されるだろう」ということで、このまま自然に任せる方が権利者のためには有利であるようです。

パネルディスカッションの議論全体を通して、以下のようなことは言えそうです。
1.「進歩性の判断で後知恵を排除すべし」との方向について反論する人はいなかった。
2.「最近の知財高裁は進歩性のハードルを下げた」という共通認識がある。
3.知財高裁の部によって判断の基準がばらばらという現実がある。
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パワーポイントビュアーが起動しない

2011-03-03 23:40:05 | サイエンス・パソコン
私のパソコンのMSオフィスにはパワーポイントが入っていません。
一方、顧客から送られてくるメールの添付ファイルには、パワーポイントで作成されたファイル(拡張子が.pptや.pptx)が含まれていることがあるので、パワーポイントファイルを少なくとも表示して印刷できる必要があります。
そのようなときに登場するのがPowerPoint Viewerです。私も以前からそのときどきのパソコンにインストールして使ってきました。

ところが現在のパソコンにPowerPoint Viewer 2007をインストールして使い始めたら、あるとき突然にうまく働かなくなりました。パワーポイントファイルをダブルクリックしても、あるいはPowerPoint Viewer 2007のアイコンをダブルクリックしても、パソコンはうんともすんともいわないのです。エラーメッセージさえ表示しません。
普段使いのパソコンがそんな状況になり、しょうがないからもう1台のパソコン(電子出願用)にインストールしたPowerPoint Viewer 2007を使って凌いできました。ところが最近、その2台目のパソコンでも同じように作動しなくなってしまいました。

ここまで同じ現象が起きると、これは私一人の問題とはとても思えません。そこで、ネットで「PowerPoint Viewer 2007 表示」で検索してみたところ、あっけなくその原因と対策を見つけることができたのでした。
PowerPoint Viewer 2007 が起動しない」にありました。
『PowerPoint Viewer 2007 が起動せず、何のエラーメッセージも表示されない場合は、次の操作をしてみましょう。』

1.PowerPoint Viewer 2007 をインストールしたフォルダ(既定値は C:\Program Files\Microsoft Office\Office12の下に「1041」というフォルダーがあり、その中に「PPVWINTL.DLL」というファイルがあります。
2.同じ\Office12の下に「1033」というフォルダーをつくります。
3.「1033」フォルダーに、「1041」フォルダー中の「PPVWINTL.DLL」をコピーします。(移動ではありません)
以上で完了です。

やってみたところ、何事もなかったかのようにPowerPoint Viewer 2007が正常に働き始めました。

一体何が起こっていたのでしょう。

検索で引っかかったマイクロソフトのサイト「PowerPoint Viewer 2007 を起動しようとしても実行されない」を読んでみましたが、さっばりわかりません。
『この問題は、英語版の Windows がインストールされているコンピューターに英語版以外の Office または PowerPoint Viewer をインストールしたときに発生します。』
と書かれていますが、私のパソコンは英語版のWindowsじゃありませんし。
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日本人はなぜ戦争へと向かったのか・第3回

2011-03-01 21:29:49 | 趣味・読書
2月27日のNHK特集は「日本人はなぜ戦争へと向かったのか~第3回 "熱狂”はこうして作られた 」でした。

満州事変勃発以降、新聞やラジオがいかにして日本国民の世論を「戦争賛成」の方向に導いていったか、という点について検証した番組です。

満州事変勃発直後から、日本の大新聞の論調が軍部擁護、戦争賛成にまわった状況についてはさまざまな書籍で述べられています。例えば手許にある、半藤一利著「昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)」から拾ってみます。ドキュメント太平洋戦争への道―「昭和史の転回点」はどこにあったか (PHP文庫)はもっと詳しいです。
1931年9月18日夜に柳条湖での鉄道爆破で事変が勃発し、直後の20日朝刊から、朝日新聞と東京日日新聞(現在の毎日新聞)が俄然、関東軍擁護にまわったといいます。それまでは朝日も日日も軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのに対し、20日の朝刊からあっという間にひっくり返った。東京朝日新聞は、19日の論説委員会で正当な権益の擁護の戦いであるということが確認され、20日の号外は「明らかに支那側の計画的行動であることが明確となった」と書いています。
半藤著書では「朝日新聞は満州事変直後から軍部より」との認定ですが、別の著書で「朝日新聞はしばらく軍部批判を行っていたが、在郷軍人会の不買運動に屈して軍部翼賛に変わった」という記述を読んだような気もします。今回は出典を見つけられませんでしたが。

さて、NHKの番組についてです。
ここで、事変当時参謀本部作戦課長だった今村均(当時大佐)が、戦後語ったという肉声の録音テープが流されました。
それによると、朝日新聞の緒方竹虎が今村均に面会を申し込み、満州事変の意味合いを聞いたといいます。そしてそこで今村均が「(満州事変を首謀した)石原(完爾)や板垣(征四郎)の気持ちはよく理解できる」といったような発言をしたところ、緒方は「初めてよくわかった」と答え、それ以降朝日新聞は軍部批判から事変翼賛へと舵を切った、というのです。
これだけ聞くと、「朝日新聞が軍部批判から事変翼賛へと舵を切ったのは、今村均の発言が起因となっている」ということになります。

緒方竹虎についてウィキで調べると、「東京朝日新聞社政治部長から、1925年(大正14年)に38歳で同編集局長、1934年(昭和9年)に同主筆を経て、1936年(昭和11年)、朝日新聞社主筆となった。」とあります。満州事変当時はまだ編集局長ですね。NHK番組では「緒方主筆」と述べていたような気もします。しかし、緒方竹虎が主筆となったのは1934年、今村均は1932年に作戦課長から外されていますから、「緒方主筆と今村作戦課長の会談」はあり得ません。

今村均について、私は今村均回顧録続・今村均回顧録を持っています。
今回、回顧録から作戦課長として満州事変に対応した時代の記述を読み返してみました。

9月19日の午前4時頃に電話でたたき起こされた今村作戦課長は、ただちに役所に出向き、参謀本部としての事件処理案起草を行うとともに部局長会議に臨みました。21日には朝鮮軍司令官林銑十郎大将から「関東軍の危急を救うために独断越境する」との連絡が入り、22日にかけてはその対応で忙殺されています。
このような状況下で、20日よりも前に朝日新聞の緒方竹虎と懇談していたとはとても思えません。また、NHK番組の印象としては、緒方が今村にあったのは事変勃発からちょっと経過した時期であるように思われました。
半藤著によれば、朝日新聞が事変翼賛へと舵を切ったのは20日朝刊からですから、もし緒方が今村と会ったのが事変勃発から経過した時期だとしたら、緒方・今村会談が朝日新聞の変針の直接の原因ではなかったこととなります。

また「今村均回顧録」によると、参謀本部作戦課長として今村は、19日朝の段階でも「張学良が大挙在満日本軍撃滅の行動に出るのではなく、単に北大営の部隊だけの暴行であることがはっきりしましたなら、やはり局部だけの問題にすべきだと思います」と意見を述べており、その後も事変不拡大という参謀本部の方針に従って行動しています。軍中央の意向を無視して関東軍が事変拡大の既成事実を形成しつつある行動を是認していたとは思えません。

NHK番組で流された「今村均肉声テープ」について、より正確な情報が待たれるところです。

もう一点。NHK番組で紹介された肉声テープによると、石橋恒喜記者(東京日日新聞)が「谷萩大尉があれ(柳条湖爆破事件)は『関東軍の謀略』と話してくれた」と証言しています。
しかし、新聞はどこも報道しませんでした。
現在の日本の報道が陥っている「記者クラブ制度」という重い病に、当時の日本の大新聞も冒されていた、ということでしょうか。
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