弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ニコライ堂

2011-03-08 22:03:44 | Weblog
ニコライ堂といえば、東京はお茶の水近くに位置するキリスト教正教会の大聖堂です。御茶ノ水駅からすぐ南側にありますが、四方を高いビルに囲まれ、遠くからは眺めることができません。
御茶ノ水駅から総武線各駅停車に乗って秋葉原方面に向かったとき、御茶ノ水駅を出てすぐ、右側(南側)にドームが見えてびっくりしたのは去年のことです。位置からしたらどう見てもニコライ堂に間違いありません。ドーム手前に解体されたビルの跡地がありましたから、たまたまビルが解体されて総武線の線路からニコライ堂が見えたのでしょう。跡地に新しいビルが建ったら二度と見ることができません。

そこで、次に総武線に乗るチャンスをとらえ、デジカメをもって出かけました。
今年の1月30日に撮った写真が下の写真です。

手前の新築ビルの工事がだいぶ進んできているので、邪魔な障害物が多くなってしまいましたが、取り敢えずは記念写真を撮ることができました。

なお、総武線からは見ることができますが、同じ御茶ノ水駅発でも中央線からは見ることができません。線路の高さが違うのですね。

ニコライ堂といえば、最近の記憶ではNHK番組「ブラタモリ」において、タモリたち出演者がニコライ堂の中に入り、最後は鐘楼で鐘までついた映像が記憶にあります。【2010年1月28日放送】の第12回 神田をブラタモリですね。

今は、四方を高いビルに囲まれたビルの谷間に建っていますが、その昔、ニコライ堂は駿河台の高台に位置し、東京のいろんな所から遠望できたといいます。九段の靖国神社からも見えた、という話を記憶していまして、手許の書籍で調べたところでは坪内祐三著「靖国 (新潮文庫)」に写真がありました。「九段坂ヨリニコライ遠望」という石版画で、ネットでは東京下町おもかげ散歩で見つけることができました。この写真です。

第二次大戦中のB29による東京空襲において、ニコライ堂は空襲の対象から外されていた、という話はよく聞きます。私はもう一つうわさ話を聞いたように記憶しています。
B29の編隊は、まず富士山を目標とし、そこで右折して東京を目指すに際し、まずは目黒区大岡山の東工大時計台を目標とし、最後に駿河台のニコライ堂を目指す、というものです。この話が本当かどうかわかりませんが。
昭和40年代に東工大本館の時計台屋上から周囲を眺めたことがありますが、たしかに南側および西側に開ける展望は見事でした。西から飛来する飛行機からはよく見えたと思います。本館はともともクリーム色の外装なのですが、大戦中は視認しにくくするために黒色に塗装していたということで、昭和40年代にはまだその塗装の跡が若干残っていました。
コメント
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