弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

南シナ海ハーグ裁定と満州事変のリットン報告書

2016-07-17 10:03:07 | 歴史・社会
前報で、南シナ海ハーグ裁定と日本の安全保障について記事にしました。
習近平中国は、南シナ海全域を中国の「核心的利益」であるとして、一歩も引きません。

ところで、中国の「核心的利益」と聞くと、満州事変時における日本の「特殊権益」を思い起こします。
さらに、ハーグ裁定を中国が「紙くず」と称した点については、満州事変に対するリットン報告書を日本が否認したことに似ています。このあと日本は、結局国際連盟を脱退し、第二次大戦に転がり落ちていったわけですが、中国はどうなるでしょうか。

2009年1月、私は加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」について紹介しました。
『満州事変前後の国際情勢を語る際に、「日本が有していた満蒙における特殊権益」という言い方がよくされます。
加藤氏の著書では、「特殊権益(日本の特殊な権利、日本の特殊な利益)」というものが、決して二国間あるいは国際的に認知されたものではなく、日本単独の独りよがりであったことを本の中で明かしていきます。
しかし当時の国民は、陸軍による宣伝活動が功を奏し、「日本は満蒙に特殊権益を有しているのだ」と信じて疑わなくなります。そのような日本の権益を侵害する張作霖、張学良、中国人民はけしからん連中である、ということになります。

《満州事変後のリットン調査団から国際連盟脱退まで》
満州事変後、国際連盟はいわゆる「リットン調査団」を派遣します。
団長であるイギリスのリットン伯爵自身は、紛れもなく中国に同情的でありましたが、リットン報告書は日本に好意的に書かれたものでした。アメリカ代表は「日本側は報告書の調子に満足するだろう」と述べていますし、日本の専門家のメンバーも「内容は全体的には日本に対して非常に好意的である」と評価します。
しかし日本はこの報告書に満足しません。主に、日本の特殊権益が認められなかったところが大きかったようです。
当時の外相である内田康哉は、満鉄総裁時代から関東軍の行動に協力的であり、はやくから満州国独立・満州国承認論を論じていました。32年6月14日、衆議院本会議で、政友・民政共同提案の満州国承認決議は全会一致で可決されます。
国際連盟で、日本代表の松岡洋右は妥結に向け努力しますが、それを内田外相が葬ってしまいます。内田は国際連盟を脱退せずに済ます自信があったようです。
しかし国際連盟は、リットン報告書をベースとした和協案よりも厳しい内容の勧告案を採択します。

国際連盟脱退は、意外な展開に基づきます。
連盟規約16条では制裁について規定していますが、それは、15条の和解や勧告を無視して新しい戦争に訴えたときにだけ適用されると解釈されます。
関東軍は、「熱河作戦」を計画し、斉藤内閣はこれを諒承します。天皇も参謀総長の上奏に許可を与えます。この時点でまだ国連の勧告は決まっていません。しかし2月8日、連名の手続が勧告案へ移行したことが伝えられます。斉藤首相と天皇は、熱河作戦が「新しい戦争」と解釈される恐れがあると気付き、うろたえます。
熱河作戦は撤回できない。16条適用もあるうるかも知れない。ならば速やかに(連盟を)脱退すべきだとの方針を内閣は取りました。
こうして、日本は国際連盟から脱退しました。決して、松岡洋右の単独プレーではなかったのです。』

習近平中国のいう「核心的利益」も、日本の「特殊権益」と同様、言っている方の独りよがりである点が似ています。しかし中国は、絶対に後に引くことはないでしょう。
中国には、国際海洋法条約から脱退する手があります。日本が国際連盟から脱退したように。

ところで、国際海洋法条約と国際連盟、どちらも米国が加入していなかったという点でも、共通点があるのですね。恐ろしく符合点が多いです。

中国と世界平和との関係、今よりもっと悪い方向に進むのではないかと懸念されます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする