弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

安全保障関連法案

2015-07-18 22:10:16 | 歴史・社会
なかなかブログ記事更新がはかどりません。特に時事問題などに関してはしばらく書いていません。その結果、安保法案関連については完全に出遅れてしまいました。
出遅れではありますが、この時点でなにがしかの意見は書いておこうと思います。

私が気にしているポイントは3点です。

《普通の国であれば当然に行使できる集団的自衛権》
現代世界において、それぞれの国は集団的自衛権を保持し、健全な普通の国家であれば、国と地域の平和と安全を確保するために必要であれば当然に集団的自衛権を行使し得るものと考えます。
日本を取り巻く情勢を見ると、同盟国であるアメリカは、オバマ大統領が「世界の警察官であることをやめた!」と宣言し、実際に軍事費は大幅に削減されつつあります。
一方で中国は、周辺地域で覇権を握ろうとする思惑が露わであり、南シナ海でも東シナ海でも膨張の機会を虎視眈々と狙っている状況です。南シナ海が中国の制海権下におかれ、中国のミサイル潜水艦が南シナ海の底を遊弋するようになれば、横須賀に司令部を置く米国第7艦隊はハワイまで撤退することになるでしょう(飯柴智亮著「2020年日本から米軍はいなくなる」)。
このような状況下で、日本と周辺地域の平和を守るために必要なのは「抑止力」と「対話」であると考えられます。米国による抑止力が減退している状況下で、日本は何をなすべきなのか、その点を考えると、集団的自衛権をどのように取り扱うのか、真剣に討議すべき時期だと思われます。普通の国であれば集団的自衛権を保持して平和を守ることは当然に認められているのですから。

普通の国であれば・・・

さて、「日本は普通の国だろうか」というのが次の2つのポイントです。

《憲法との関係》
日本は憲法9条を持っている国です。もし、政策とその政策を実現するための法律が憲法に違反するのだとしたら、その政策は実現することができません。私は、今回の安保関連法案と憲法との関係について立ち入って勉強していないので、自分の意見を言うことはできません。しかし、ネットでの評論を読む限り、普通の法学者であれば、今回の安保関連法案が合憲であるとのロジックはほとんどできなさそうな雰囲気があります。そうだとしたら、たとえ今国会で法律が成立したとしても、いずれ最高裁によって「違憲」との決定がなされてしまう蓋然性が極めて高いのではないでしょうか。それでは、世界平和を維持する上でも法的安定性がきわめて脆弱になる、と言わざるを得ません。

法学者がこぞって「違憲」というような法案が、なぜ上程されてしまったのでしょうか。やはり、2年前、内閣法制局長官を安倍総理が任命したあの人事に端を発しているように思います。憲法の番人としての内閣法制局を安倍総理がもっと尊重していれば、最高裁や法学者をも説得できる法案に仕上げることも可能だったのでは、と悔やまれます。

《先の戦争の総括》
日中戦争にしろ太平洋戦争にしろ、日本国がそれら戦争を始めたこともさることながら、「どのような戦争をしたか」という点で日本は大きな責任を持っていると感じています。
このブログ記事から拾うと、
吉井義明「草の根のファシズム」
保坂正康「昭和陸軍の研究」
私が読んだその他の著書としては、
秦郁彦著「南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)
小松真一著「虜人日記 (ちくま学芸文庫)
石川達三「生きている兵隊 (中公文庫)
五味川純平「人間の条件〈上〉 (岩波現代文庫)
が挙げられます。

私の印象では、戦後、日本は自分たちがしてきた戦争の内実をきちんと総括してきていません。責任を曖昧にしてきました。なぜ日本はそのような曖昧な態度で終始することが許されたか。私は、「日本は憲法9条に逃げ込んだ」と思っています。「日本は戦争を放棄したのだから、これから戦争を起こすことはない。だから、済んだことは良いじゃないか」といった態度です。
ところが、世界情勢が変化して、日本も集団的自衛権の行使を可能にして抑止力を確保し、それをもって世界平和に貢献すべきときが来ました。そうなるとどうなるか。
「戦争放棄」で臭いものに蓋をしていたのに、その蓋を取り払わなければなりません。
本来であれば、「これこの通り、日本は自分たちが行った戦争についてきちんと総括した。その結果、日本は平和の維持のためにしか軍事力を行使しない国になった。だからこそ、集団的自衛権についても普通の国として法整備化し、世界平和に貢献していく。」と正々堂々と主張すべきなのに、それができないのです。
今回も野党は「戦争をする国にするのか」と反論しています。これなど、「日本は凶暴な国だ。武器を持たせると凶暴になるから、今まで武器を封印してきた。ここで武器を持たせたら、気違いに刃物だ」と言っているようなものです。自分が国会の一員であるこの国についてです。

韓国や中国から謝罪を要求されると、「いつまで謝罪をしていたら気が済むのだ」との言い方がされます。しかし、ドイツのメルケル首相はポーランド国民に対し、今でも折に触れて謝罪し続けています(川口マーン惠美「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」)。

日本とアジアの平和を保つためには、日本が抑止力を働かせることは必須であり、そのためには集団的自衛権も避けて通れないと思います。
この際、日本はきちんと先の戦争を総括する方向に舵を切るべきでしょう。
憲法問題については、まずは最高裁に違憲と決定されないような法律で出発すべきです。そして、先の戦争の総括ができさえすれば、必要とあらば、改憲も視野に入れるべきと思います。
コメント
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