弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ラーライン号と龍田丸

2008-10-16 20:22:18 | 歴史・社会
前述のとおり、トーランドは「真珠湾攻撃 (1982年)」において、ラーライン号を紹介しています。
12月1日、アメリカの客船ラーライン号がハワイに近づきつつあります。この船の通信士グローガンは、無線機に低周波帯の不思議な電波を捉えます。日本の暗号文であり、方向は西北西であることが明らかです。日本からの通信を復唱している電波のようです。12月2日、電波の方向は北西となります。ラーライン号がハワイに到着し、グローガンはこの情報を海軍に通報しました。

また前述のように、スティネットは「真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々」において、ラーライン号(ルアライン号)の無線日誌の紛失にまつわる詳細も探り出しました。真珠湾攻撃後の12月10日、ラーライン号がサンフランシスコに戻ったとき、第12海軍区情報部のアレン少佐がやってきて無線日誌を押収します。それ以降、無線日誌の行方が判りません。スティネットの調査の結果、押収された無線日誌は、第212海軍区港務長の記録に綴じ込まれ、1958年にサンブルノ連邦政府記録センターに移管されていました。ところがだれかが1970年代に、ルアライン号の無線日誌を国立公文書館から持ち出し、そのあとには持ち出し伝票が残されていたのです。持ち出し伝票にはルアライン号無線記録と記入されているものの、その持ち出し日時も持ち出し人の氏名も書かれていません。公文書館の係員は、「アクセスできるのは海軍当局者だけです」と説明しました。

米海軍は、なぜこのようにラーライン号の無線日誌を隠蔽する努力を続けているのでしょうか。この点は謎のままです。

ところで、ブランクさんが指摘されたとおり、秦郁彦編「検証・真珠湾の謎と真実―ルーズベルトは知っていたか」において今野勉氏は以下のように書いています。
「グローガンという無線士が12月1日の未明から2日夜までハワイの北西に日本の艦船らしき怪電波を傍受し、入港後に第14海軍区へ出頭して無線記録を届けたが、相手にしてもらえなかったという話だ。グローガンが捕らえたというJCSというコールサインは銚子(千葉)無線局の、JOSは落石(北海道)無線局のもので、いずれも商船用である。当時米本土から日本へ帰航しつつあった竜田丸との交信ではないかと思われる。」

真珠湾攻撃当時、太平洋上を龍田丸が航行していることは知っていましたが、竜田丸については知りません。当時、龍田丸と竜田丸という別の2隻の船が太平洋上を航行していたのかどうか、ネット上で調べましたが情報はありません。今野氏がいう竜田丸は、多分龍田丸のことだと思います。

半藤一利著「“真珠湾”の日 (文春文庫)」によると、龍田丸は、12月2日午後2時に横浜を出港しています。ロサンゼルス経由バルボア(パナマ)までの予定です。
そして、真珠湾攻撃が終わった8日午前7時(日本時間)、龍田丸は船長の判断でUターンし、日本に向かうのです。ミッドウェイ島北方、米軍哨戒圏のわずかに外の領域でした。こちらにも記事があります。
即ち、ラーライン号が怪電波をキャッチした12月1~2日、龍田丸はまだ横浜を出港していない、あるいは出港した直後なのです。
今野氏が何を根拠に「当時米本土から日本へ帰航しつつあった竜田丸との交信ではないかと思われる。」と書いたのか、全く理解できません。


JCSが商用のコールサインであることはスティネットも認めています。その上でスティネット著には「日本が軍艦あてに打電する時は、無線局「JCS」は手続きを切り換えて、「ハフ6」という呼出符号を用いた。」と記述しています。この記述が意味するところはよくわかりませんが。
コメント
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