弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

たそがれゆく日米同盟-ニッポンFSXを撃て

2007-07-15 10:55:34 | 趣味・読書
米国製戦闘機F-16をベースに、自衛隊運用の支援戦闘機を日米共同で開発したプロジェクトが、FSXです。
このプロジェクトの内容について詳しくは知りませんでしたが、「日本の独自技術(炭素繊維一体成形など)が米国に持っていかれた、不平等開発である」という報道が記憶に残っています。

手嶋龍一著「たそがれゆく日米同盟-ニッポンFSXを撃て」(新潮文庫)
たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て (新潮文庫)
手嶋 龍一
新潮社

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この本には、支援戦闘機がどのような飛行機なのか、詳しい説明がありません。そこで、Wikipediaで調べてみました。
支援戦闘機とは、対地攻撃や対鑑攻撃を主要任務とする戦闘機なのですね。自国の地上軍や艦隊を支援する戦闘機という意味でしょうか。自衛隊はF-1という国産の支援戦闘機を運用していましたが、この戦闘機の寿命到来に伴い、次期支援戦闘機(FSX)をどのように調達するかという議論が起こりました。FSXに要求される武装のひとつに、「対鑑ミサイルを4基搭載」があります。このような仕様を満たす戦闘機は当時ほとんど存在しなかったということで、その点から既存の戦闘機をそのまま購入するという選択肢はなかったのでしょう。そこで、日本単独の自主開発か、米国機をベースに米国と共同開発するか、という話になったのです。
軍事大国の米国ですら所有していない機種を、日本の自衛隊が必要とする、というのもよく分からない話ではあります。海上自衛隊が空母を所有しないとか、そのような特殊事情によるのでしょうか。

日本側は、日本が保有する技術は高度なレベルにあり、共同開発で日本から提供できる寄与は高いという雰囲気がありました。
一方米国側は、国防総省や国務省は日米共同開発に好意的であったものの、議会には反FSX意識が高まっていました。米政府が推し進めている日本FSX計画では、いたずらに日本に技術を吸収されるだけであり、日本に有利な不平等協定であるというのです。
レーガン政権の末期、1989年初頭に、日米政府間ではFSX開発協定の合意に達します。ところがその直後、米政府が議会に承認を求める直前、ホワイトハウスはレーガンからブッシュ(父)に政権が交代し、政権の空白期間が生じるのです。
この空白に乗じ、米上院は攻勢に出ます。ブッシュ政権のベーカー国務長官は議会運営の難しさを熟知し、議会をなだめるため、一度は政府間で締結された協定について、「日米合意内容の明確化」という言い方で米国に有利な方向に修正を図ります。それでも議会は納得せず、上院はエンジン技術を日本に供与しない議案を可決します。ブッシュはこれに対して拒否権を発動、上院の評決の結果、拒否権を拒否する2/3の賛成に1票足りないという僅差で、ブッシュの拒否権が認められたのです。

米国議会はなぜこれほどまでにFSX共同開発に反対したのか。その背景には、日米半導体協定(1986年)でアメリカは日本に騙されたという意識、東芝機械によるココム違反事件(1987年)の記憶、石原慎太郎共著「Noといえる日本」が反感を買ったこと、などがあると、手嶋氏は記述しています。

米上院の反撃を何とか阻止し、FSX開発計画は実現するわけですが、在米日本大使館が果たした功績は大きかったようです。当時在米日本大使であった松永信雄は、特攻の生き残りという経歴を有します。松永は米国在任期間中、米国議会人との人脈を構築しており、この人脈を通じて上院での最終勝利をものにしました。
また松永大使の右腕となったのは、政務担当参事官の加藤良三です。

上院での最終評決で1票差で勝利した裏には、親日派議員たちの体を張った働きもありました。
FSX当時国防次官補だったアーミテージは、日本寄りの態度を取ったことで、国務次官補や国防長官といったポストを諦めざるを得ませんでした。ビル・ブラッドレー上院議員も、FSX開発計画を支持したため、大統領候補として向こう脛に傷を負うことになりました。
そして、その後の湾岸危機で、日本はこれら親日派アメリカ人の信頼を失うことになります。アーミテージやブラッドレーは、湾岸危機での同盟国日本の振る舞いに深く傷つきます。世界の平和と安定のために自ら進んで貢献する気概を持たない日本。そうした国のために、自分たちは政治生命を賭けたのだろうか--、彼らの落胆はやがて怒りに変わっていきました。

湾岸危機での日米関係については、同じ手嶋龍一氏の「外交敗戦」につながります。

加藤良三氏は、現在の在米日本大使です。当時の松永大使と比較し、議会にどれほどの人脈を築いているのでしょうか。今般、米下院の外交委員会で日本の従軍慰安婦に関する決議が採択され、本会議でも可決される可能性がある状況を考えると、どうしてもFSX当時と比較してしまいます。

FSXの開発は、結局日米それぞれに何をもたらしたのか。日本がいうように日本の持ち出しだったのか、それとも米国がいうように米国が損をしたのか。その点について手嶋氏の著作はなにもいっていません。また、この計画で生み出された支援戦闘機F-2が、成功作だったのか失敗作だったのか、その点も気にかかります。

Wikipediaによると、
日本は開発費を1650億円と見積もり、米国は6000億円かかるから止めておけと忠告し、実績は3270億円でした。
当初、130機の調達計画でしたが、実際は94機で終わっています。
「F-1で問題となっていた機動性は、F-16に勝るとも劣らない程と言われ、防空任務も十分に行なえる性能を有している。運動性や航続距離、搭載可能重量など、様々な面でF-1より優れており、特に航続距離が伸びた事による作戦可能エリアの拡大は、搭載される誘導弾の射程や性能が向上した事に合わせ、大きな意味を持っている。また、対艦ミサイルを4発搭載可能な戦闘機は世界的に見ても少なく、この点では世界トップクラスである。」という評価です。

技術の持ち出しで日本不利の不平等だったかどうか、その点はよくわかりません。

つい最近、ボーイング787の話題がニュースになりました。
ボーイング787についてWikipediaは、
「三菱重工業は・・・機体製造における優位性を持っている。すでに1994年には重要部分の日本担当が決定しており、三菱は海外企業として初めて主翼を担当(三菱が開発した炭素系複合材は、F-2の共同開発に際して航空機に始めて使用された。この時、アメリカ側も炭素系複合材の研究を行っていたものの、三菱側が開発した複合材の方が優秀であると評価を受けた為、三菱は主翼の製造の権利を勝ち取っている)・・・。三菱が複合材製主翼・・・を担当している。機体重量比の半分以上に日本が得意分野とする炭素繊維複合材料(1機あたり炭素繊維複合材料で35t以上、炭素繊維で23t以上)が採用されており、世界最大のPAN系炭素繊維メーカーである東レは、・・・使用される炭素繊維材料の全量を供給する。」
と報じています。

この情報で見る限り、結局FSX計画は、長い目で見て日本にとって好ましい結果を生み出したということでしょうか。
コメント
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