弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ジーコのこと

2006-05-21 00:10:29 | サッカー
Jリーグができる前、アマチュアトップリーグは日本リーグでした。技術レベルは低かったです。住友金属鹿島製鐵所のサッカー部は、日本リーグより下位のリーグに属する弱小チームでした。
Jリーグが誕生する際、住金鹿島サッカー部はJリーグ入りを目指し、何と世界のジーコ招聘を思いつくのです。当時現役を退いて文化大臣のような職に就いていたジーコは、何を考えたかその招聘を受けます。
ジーコが住金鹿島サッカー部に合流してしばらくした頃の様子を、当時のテレビ番組で見たことがあります。
もちろん選手の技術レベルは低いし、勝負に対する執着心が低く、試合に負けて帰るバスの中でもへらへらしています。勝負にこだわるジーコが最も嫌う態度です。しかしジーコは腐ったりせず、何とかチームを改革しようと一生懸命です。
そうかと思うと、小さな子供がジーコにサインをせがむと、優しい表情を浮かべながらよろこんでサインに応じています。
当時、プロスポーツ選手というとプロ野球選手が中心で、イメージとしては悪ガキかそうでなければ職人です。ファンを大事にしてどのような場合でもにこやかにサインに応じるという姿は新鮮でした。サッカーの世界で神様といわれたあのジーコですから。
番組の最後、「次の試合には必ず勝つから」とコメントを残してピッチに飛び出していきました。
その後、もちろん選手補強があり、鹿島よりも能力のあるチームが合流するといったことはありましたが、Jリーグスタート時に鹿島がチャンピオンに輝いた最大の功績はやはりジーコの牽引力だったでしょう。

あのテレビ番組から受けた印象は強く、今でもJリーグの試合ではどうしてもアントラーズを応援してしまうし、ジーコは尊敬の対象としてあります。
ですから、Jリーグでのジーコ唾吐き事件を翌朝の新聞で知ったときは、とても残念でした。たしかヴェルディ相手の試合でジーコも出場しており、ヴェルディにPKが与えられたのを不服としてボールに唾を吐いたのです。審判がヴェルディに依怙贔屓しているとの見解でした。今でも同じようなシチュエーションではジーコの血圧は一気に上がりますね。

新聞のコラムの作者が書いていたのですが、あるときジーコと同席するチャンスがあり、何か意見を言ったところ、ジーコはその人の真正面に身を乗り出し、じっと目をのぞき込んで「・・の点についてどう思うか」と問いかけてきたそうです。後で鹿島の関係者に「いやあの威圧感には参った」と述べたところ、「アントラーズの選手は毎日あれをやられているんですよ」と笑っていたそうです。

ジーコがアントラーズの現役を退き、日本とブラジルを往ったり来たりするようになった後、ジーコがスタンドからアントラーズの試合を観戦する日には、アントラーズ選手はものすごくハッスルしたようです。「ジーコにほめられたい」という意識がそうさせたようです。こういう状況こそ「カリスマ」といえるように思います。

ジーコは、日本代表監督になるまではきちんとした監督の経験がありません。アントラーズの総監督や、フランスワールドカップ時のブラジルの何とかいう役職に就いただけです。しかしアントラーズをあそこまで育て上げた実績があるので、「別の人に替えた方が良い」というようなことはなかろうと思ってきました。
ただ、オーストラリアのヒディング監督は、前回大会で韓国をベスト4に導いたというだけでもたいした監督です。ジーコが監督としてヒディングと同レベルにある、とまではとても言うことはできません。

代表監督就任から3年半、「選手に指示を与えない」という方針でずっと来ました。トルシエサッカーに慣れていた選手はとまどっていましたが、アントラーズ時代を知る私にも同じジーコとは思えませんでした。指示する能力がなかったのではなく、「選手の発意で工夫しない限り日本サッカーの進歩はない」という考えによるのだとジーコ本人が言っています。

ワールドカップ本戦前の最後の合宿に入りました。これからは、日本の将来を見据えて選手の自由に任せるのではなく、アントラーズ当時の気迫を取り戻して、日本代表をひとつの方向に束ねて力を発揮させて欲しいものです。
コメント (7)
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