せわしげに歩くビジネスマン、ジングルベルが流れる街はボーナス商戦の真っ盛り。
乾いていた地表が再び雪化粧すると、交通の流れは一気に渋滞へと向かう。
積もっては消え、消えては積もる師走の雪。
西の空は雪雲が切れ、晴れ間が大きく広がった。
北東北の12月は未だに優しい冬景色、この後も当分根雪になりそうもない。
せわしげに歩くビジネスマン、ジングルベルが流れる街はボーナス商戦の真っ盛り。
乾いていた地表が再び雪化粧すると、交通の流れは一気に渋滞へと向かう。
積もっては消え、消えては積もる師走の雪。
西の空は雪雲が切れ、晴れ間が大きく広がった。
北東北の12月は未だに優しい冬景色、この後も当分根雪になりそうもない。
日当たりの良い場所では、視界からすっかり積雪が消えています。
景色だけを見ていると、とてもうららかな日和ですが、奥羽山脈を越えて吹き降ろす乾いた風には、肌を射る冷たさがあります。
このところ家電品の故障が連続する我が家。
8年目のホットカーペットは買い替えたが、今度は生ゴミ処理機がストライキだ。
部品とすれば、温度ヒューズ程度のものでしょうが、修理依頼すれば¥10,000だってか。
年の瀬っつうことで意味もなく慌しいのに、銭の掛かることばかりで、なおさら焦るなぁ。
3世代6人家族の暮らしが始まって3日目。
周囲を取り巻く環境の変化を敏感に察知して、上の孫の愚図る場面が多くなった。
これまで以上に手は掛かる部分もあるが、暮らしの中にはリズムらしいものが生まれてきた。
もう四六時中オラが居なくてもそれほど困ることもあるまい。
来週こそ脱出だ・・・、男鹿の海が待っている。
雪面をスリップする音に続きドカンと言う衝突音に驚いて目を覚ました。
表に出てみるとクルマはもう走り去った後だったが、家の前の街路樹には生々しい傷跡。
昨日からの雪はザクザクに緩んで、ハンドルをとられ易い状況。
日が昇るとたっぷり水を含んだ雪は、見る間に融けだしてワダチに流れを作った。
快晴の空の向こう、奥羽の連山は今日も吹雪に包まれている。
京都清水寺による今年の世相を反映する漢字一文字は、予想通り「偽:いつわり」でした。
相田みつをの書に「人の為と書いていつわりと読むんだね」ってのがありますが、まさしく何処もかしこも偽善や偽装にまみれ、目を覆うばかりの一年でありましたな。
電気設備の現場で技術を売って生きてきたのですが、厳しい世の中を生き抜いてゆくためには背に腹は代えられず、近頃ではオラもすっかり偽術者になり下がってしまった気がします。
シンシンと針状結晶が降り注ぐ。
結晶の粒は徐々に大きさを増し、いつしか本格的な雪降りへと替わった。
今日から我が家は、一人家族が増える。
この後、我が一家にはいったいどんな暮らしが待ってるのか、楽しみでもあり正直言って恐ろしさも覚えるのですが・・・。
雨上がりの庭先、見える範囲からはすっかり消えた雪。
裏の水溜りの氷も融けたから、今日は幾分気温が上がっているのか。
アオモリトドマツの枝下で、雪乞いをするかのように無数に踊るユキバンバ。
孫は昼寝の真っ最中。
この間に何かをしなければ・・・、忘れていたチューリップでも植えるか。
西の空が明るくなって来たから、お天気は回復傾向だね。
朝のうちあんなに晴れていたのに、午後からは時雨れるいつものパターン。
田んぼの中のトラクターのワダチが再び水溜りとなって、大きめの鳥が何やらついばんでいる。
爺婆が孫の守りをすることを、当地では「孫かて」と言う。
2階に「マスオ」さん一家が越してきて3ヶ月。
娘は入院中だし、マスオさんは残業が多くて殆ど家にいない。
我が家は今、まさにその「孫かて」の真っ最中なんよ。
まだ聞き分けのない孫のために、爺婆は24時間振り回されっぱなし。
テレビは幼児番組に奪われ、オラは昨今のニュース番組なんぞは見たこともない。
新聞は破かれ、ティッシュを次々に引っ張り出しては細かくちぎり、オラの図面には落書き、パソコンはカシャカシャいじり放題、携帯は何処かへかけるし、書類によだれ、転倒しては大泣きをする。
常にどちらかが目を配り、一時たりとも目を離すことが出来ないのだ。
ようやく寝てくれた後は、疲れ果ててもうテレビを見る元気などなく、ぐったりと床に就くのみ。
ああ、一刻も早くこの状況から解放されたいものよ。
婆は4kg、オラは1.5kg体重が減った。
玄関先に小雑誌を手にゾロゾロと来ては「愛とは・・・」などと説く方たちには、「オラんちはオウムを信仰してっから・・・」なんて言って冷たくあしらうくせに、クリスマスが近づくと子のため孫のためにと、いそいそツリーを飾りつけるのであります。
日本人はどこか可笑しい、・・・我が家もその例に漏れないけど。
今はすっかりボケて入院中の婆さんが、ウチの娘たちのためにと買ってくれた貧相なツリー。
30年ぶりに倉庫から取り出してきて、埃を払いボロボロのパーツを懸命に補修しつつ居間に飾ったのす。
豆電球がピカピカと点滅を始めると、3分ばかり食い入るように見つめていた孫もすぐに飽きてしまい、その後はまるで関心を示さなくなったぞ。
で、クリスマスプレゼント、何がいいべかね。
日没時刻だけをとってみれば、既に僅かずつではあるが後ずさりを始めていることに気付く。
「冬至」まで2週間、あと少しで四季の底に到達する。
四季の底は、昼夜の比率が逆転して、季節を構成する全ての要素が緩やかな二次曲線を描きながら、徐々に熱く激しいあの夏へと向かう嬉しいターニングポイントなのだ。
そんな理由で、夏型人間のオラとすれば、二十四節気の中でもっとも好きな日がこの「冬至」。
逆にもっとも嫌いな日が、右肩下がりに転じる「夏至」である。
真夏の75日間を、より濃厚に楽しみ尽くすための充電期間はあと200日。
年取ると、季節の移り変わりは、あっという間だから・・・。
久しぶりで小春日和に始まった週末であります。
昼過ぎには一時小雨のぱらつく時間帯もあったが、概ね風のない穏やかな一日だったようです。
この時期、こんな状況ってなかなかないからねぇ。
寒クロシーズンに入った男鹿、ライブカメラで見ると渡船場は沢山のクルマですね。
お家の事情でなかなか出かけられないでいるオラ、気ばかりが焦ります。
もう3年半も本命との出逢いがないもんだから・・・。
冬の北上川、そこには胸が高鳴るようなハミ跡も、ムンムンするサカナの気配も、川面を伝わる身震いするような水音もない。
全ての生き物の存在すら否定する冷たく透明な流れがあるだけだ。
あの大洪水以来、初めて降りてみた河川敷。
澪筋が大きく変わったようには見えないが、すっきりした雰囲気はなんだか別の川のようだ。
水温む初夏の頃、生まれ変わったこの川に、大挙して遡上する若アユの群れが見たいものだ。
二十四節気「大雪」は、一片の雪すら降らない暖かな一日であった。
二人目の孫は女の子。
近頃は生まれる前から性別も目方も知らされてるから、昔ほど感動が沸かない。
しかも今時の若いヤツラときたら、人の意見など全く耳を貸さず、さっさと今風の名前をつけちまう。
相談されることを期待していた爺婆としてはつまらないことこの上ないのである。
以前娘夫婦に、かつて滅法アユ釣りの好きな爺様がいた証を孫の名に残したいもんだなと冗談を言ったことがあった。
願い叶って、2文字の片方に「あゆ」と読ませる文字を使ってくれた。
しかしさすがに「鮎」の漢字は却下された。
湿雪15センチ、氷点下を僅かに下回る微妙な気温。
早朝の路面は凍結して、通勤のクルマのスリップ音が絶えない。
陽が昇り薄日がこぼれ始めると、たちまち融けて歩道にも水溜りができます。
少し風が吹くと、樹上の雪がパサパサと落ちてきたりします。
今季初の除雪機械が通過すると、家の前にはドカッと排雪の山が築かれます。
でも放って置きゃ解けてなくなりそう・・・。
夜明け頃からの雪は、時間と共にベタ雪から細雪へと変わる。
時折吹くつむじ風、樹木の枝から舞い上がった雪煙に、前方の視界が奪われます。
降り積もる雪に針葉樹は重く枝を垂れ、さながらクリスマスツリー。
まだ彩を残していたカエデも、堪らずに葉を落とします。
積雪量とすれば、市街地では15センチ、郊外で20センチほどでしょうか。
それでも師走の街は渋滞の列。
いよいよオラんところも本格的な冬の様相を見せてきました。