オラが中学に入る頃になると、企業城下町釜石にもやっとテレビ共聴が登場。
少し遅れて我が家にも日立製がやってくると、14インチ白黒の画面の前にカーテンなどをつけ、友だちを連れてきては自慢し、NHKだけしか映らないテレビで大いにはしゃいだものでした。
その頃のオラは、登山にも興味を覚えるようになって、長いアプローチを徹夜で歩き続け、北上高地の秀峰五葉山に登ることも度々でした。
沿岸釜石とは言え家の周りは山ばっかりなものですから、暇さえあれば山を駆け回り山の幸の恩恵に与り、イワナを釣っては貴重な蛋白源を得る生活は続いたのです。
夏になるとアユが解禁されますが、市民の川たる甲子川には当時から鑑札などは存在しません。
悪童たるオラたちは解禁前から川に入り、なけなしの小遣いをはたいて買ったアユ毛鉤で、流し仕掛けを作っては遊んだものでした。
今にして思えば、それは初期の若アユにしか通用しない釣りだった訳で、何日か経つと日中では殆んど釣果が出なかったと記憶しています。
そんな時、生まれて初めて「友釣り」と言う衝撃的な釣り方を目のあたりにしたのでした。