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久慈次郎が残したもの 2

久慈次郎が残したもの

 久慈はその場に倒れた。試合は中断になり久慈は救急車で市立病院に運ばれたが、右こめかみの骨が折れて出血がひどく、危険な状態に陥った。

翌20日、細かく砕けた骨の摘出手術が行われ、久慈と同じB型の両軍選手が献血した。

だが意識は戻らないまま、21日朝、息を引き取った。

  札幌警察署が捜査に乗り出し過失致死容疑で取り調べを受けた吉田捕手は精神的なショックで病床に臥し、「自分を厳罰に処して欲しい」と願った。だが吉田捕手に対する同情論も高まり、警察は操作を中断した。

  久慈がプロ野球入りを断念したのは、函館大火により、失意の函館市民を放って行くわけにはいかなかったこと。そしてこの大会への参加も、主催者の小樽新聞社から頼まれて断り切れずに出場したことなどを考え合わせると、久慈の人間性が見えてくる。

  都市対抗野球の久慈賞は、久慈の功績を、讃えたもので、函館市営球場の入り口には久慈次郎像がある。函館の称名寺にある久慈の墓は妻カヨさんが建てたものだが、

 ボール型の丸い石にベース型の石、ミット型の骨入れにバット型の花立てがひときわ輝いて見える。 続く

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