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久慈次郎の残したもの 1

老楼快悔31話

久慈次郎が残したもの

 (転載開始)

久慈次郎。函館大洋(オーシャン)倶楽部の監督兼選手。昭和戦前の社会人野球界の名捕手で、全米選抜チームを迎え撃つ全日本軍の主将を務めた。

 

久慈次郎

314614

天格・久慈   17

人格・慈次   20大凶・病厄短命運

地格・次郎   20大凶・病厄短命運

外格・久郎   17大吉・直進運

総格・久慈次郎 37大吉・勤勉運

運の強さ 100点満点中20点

 我が国にプロ野球が誕生したとき、大日本東京倶楽部(のちの巨人軍)の主将として入団が約束されていた。

 この久慈次郎が亡くなったのは、昭和14年(1939年)8月21日・札幌の札幌神社外苑球場(後の円山球場)で行われた北海道・樺太実業団野球大会の試合で送球を頭部に受けたのが原因だった。

 事故の経緯を述べると、8月19日午後3時から函館大洋対札幌倶楽部戦が始まり、久慈は先発メンバーから外れてベンチで指揮を執っていた。4回を過ぎて2-1で札幌のリード。

 5回、久慈はたまらず、1塁守備に就いた。

7回、函館の攻撃、先頭の坂田が遊ゴロ失策で出塁。代走松岡に。打者は久慈。第1球、松岡が盗塁を決めて無死2類。一発同点の場面で札幌は敬遠策を採り、久慈を歩かせた。

  主審は「フォアーボール」と告げた。久慈はバットを捨てて1塁へ歩きかけて一瞬立ち止まり振り返って次打者に声をかけようとしたとき、2塁走者が類を離れるところを見た札幌の吉田捕手が走者を刺そうとして投げた球が至近距離で久慈の右こめかみを直撃した。

 久慈はその場に倒れた 続く

 

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