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人の縁の妙 二

 

人の縁の妙

仙台の高橋さん

来日20年、通訳で避難民支える

河北新報2023・2月25日

 ロシアの激しい攻撃を受けたウクライナ第二の都市、東部ハルキウ(ハリコフ)出身で

仙台市在住の高橋旺礼南(おれな)さん(38)、はこの1年、日本に逃れた避難民たちの通訳や相談に乗り、時には自ら現地の惨状を語ってきた。祖国を引き裂く戦禍に抱く悲しみと怒りの根底には、平和への切なる思いがある。(報道部・大橋大介)

兄は戦地に

「兵士たちから『全力で戦うから心配しないで』と励まされた」仙台市でで19日に遭ったトークショー。

ウクライナから石巻市に避難した女性の言葉を、高橋さんは声を詰まらせながら日本語で伝えた。

  今も戦地におり、毎日連絡を取り合う実兄の姿が重なった。「兵士の話が出ると兄を思い出して泣いてしまう」。通訳しながら感情が揺れることは多い。

 来日20年で日本国籍もある。宮城県内の学校に通う外国籍の子どもの学習支援が本来の仕事だ。

 ウクライナ語・ロシア語・日本語・英語を話せ、ウクライナの戦争後は通訳で避難民を支える仕事が急増した。身元引受人が日本人の場合、避難民の苦労が特に多いと感じる。携帯翻訳機での会話も不便なため、一緒に困りごとの解決に動く。

 「避難民同士のつながりがほとんどない。皆んな孤立している状態」。休日でも面倒を見る。続く

 

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人の縁の妙

人とのご縁

日本人と結婚後のウクライナ人女性

  輸入雑貨店経営のAさんから紹介のあったウクライナ女性の高橋オレナさんと出会ったのは16年前だった。日本人男性の高橋某さんと結婚してもうすでに離婚したという。

  ただ、その後も何かスッキリせず、苦労や悩むことが多く、Aさんに相談したところ、色々丁寧に話を聞いてくれて相談に乗ってくれる方が石巻に居るので一緒に行こう・・・と二人で訪ねて来たのだった。

一通り、姓名画数と人生の関係を説明し、凶名ではなかなか幸せには縁が遠い事、を話し、現況の「高橋オレナ」様は

●主運の人格・橋オが19画の大凶家族生死別と万事挫折を免れない運気であること。

 ●三才の配置が天6―人9―地6で第一型の絶対的短命運ー脳溢血。心不全。災厄受難。自殺などを惹起する絶対的短命運であること を説明したところ納得していただき、

凶名・高橋オレナ高橋旺礼南(おれな)と吉名に代えて使用することになった。

 5年後、米国人と再婚して、ご主人と訪ねてきた。通訳として仙台や東京で活動しているとのことだった。

彼女は、何しろ

ウクライナ語

ロシア語

日本語

英語

という4か国語に堪能で通訳として十分活躍する素地があった。

 ここしばらくお会いしていなかったので、おそらく外国で生活しているのかと思っていたが、去る2月25日、河北新報に大きく写真入りで彼女が平和を願って避難民の通訳活動をして支えている状況を扱った記事を見て、現在も仙台で活動していることが解った。      続く

 

 

 

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ここへ来い来い(願えば叶う)大谷のホームランボール

ここへ来い来い(願えば叶う)

大谷の本塁打ボール

 妹との争奪戦を制し、感無量の姉

 福島から家族で観戦、隣に妹も「負けじと取りに行きました」

 野球の日本代表(侍ジャパン)の大谷翔平投手が12日「カーネクト2023WBC1次ラウンド東京プール」の豪州戦で初回に先制の1号3ランを放った。

看板を直撃する特大弾をキャッチした幸運の持ち主は女子大生の赤津優奈さん(20)。

 宝物を手にし「部屋に大切に飾ります」と嬉しそうな表情を見せた。

 ◎初回無死1・2塁で大谷が放った打球は一直線に自身が映った看板スクリーンを直撃し、落ちてきた赤津さんの足元へ転がってきたのだ。妹も隣に座っていたが「負けじ、と取りに行きました」と笑う。外野席だったこともあり、本塁打が来ることを祈り、グラブを持参していた。ただキャッチしたときは素手だった。

  争奪戦に勝利すると、本塁打のボールを周りの観客が撮影会。一周して戻ってきた。

家族の影響で野球好きになり、中学1年から高校3年までソフトボールにのめり込んだ。この日は家族とともに福島県いわき市から車で来た。

 2017年の第4回大会で打率450(20打数9安打)と活躍した小林誠司捕手に憧れ巨人ファンになった。

 当時はテレビで見ていたため、この日は自身にとって初めてのWBC観戦。

「とてもうれしいです」と感無量だった。

◎外野席でジャパンのユニホームを着てグラブを持ち、球よ来い来いと願った。

◎願った通り、初回いきなり大谷が放ったホームランボールが飛んできた。

◎まさしく、『願えば叶う』を実現した幸運の彼女に祝福を!!

 

 

 

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久慈次郎の残したもの 最終回

久慈次郎の残したもの

 最終回

吉田捕手の苦悩と人間性

 私(永人)はここで札幌倶楽部吉田捕手の運気を想像してみたが、おそらくは、4・9・10・14・19・20・27・28・34等の画数が姓を除いた箇所に存在したであろうことを推量する(そうした意味で吉田さんの名を調べて見たが、どの記録にも明かされていない)。そうでなければ、煩悶(はんもん)の中に身を置くことはなかったに違いないからである。

 事故は偶然に起こったことであり、まさに野球という試合中の事故。故意になされたものではなく、吉田捕手が置かれた立場はまさに同情に値する。もちろん久慈次郎さんはお気の毒の極みである。

こうしたことから札幌警察署が吉田捕手に対する“過失致死”の捜査を中断したのも至当だったと思う。

 

久慈次郎さんの葬儀に於いて

 彼ほど人望のあった人はいない。彼を呼ぶのに『久慈君』という人はなく一様に次郎さんと愛称を用いていたことでもわかりましょう。また彼ほど純真な人間も稀(まれ)です。

  私が特に深い愛情を有しているのもこの純真さのゆえでした。

 今日突然久慈君ほどの人物を失ったことは皆さまご同様、まさに断腸の思いでありますが、同時にかかる事態を惹起すべき不幸な運命を与えられた札幌倶楽部の吉田君の胸中をお察しすれば、誠に同情に耐えません。

 誰が故意にあんなことをしでかしましょう。それは人間として考えられぬことです。すべては神のみぞ知る偶然によることですが、しかし吉田君は生涯忘れ得ぬ不幸な出来事として煩悶(はんもん)されているかも知れない。

 だが万事が過ぎ去りました。

吉田君は一日も早く暗い記憶を拭い去り、虚心坦懐、心機一転して再びグラウンドに立つべきです。

 故・久慈君もそれを願って望んでいると確信いたします。

 どうか、きょうご参列の方々のうち吉田君にお会いする方がございましたら、安部がこう申していたとお伝えください。ー

早稲田大学野球部長 安部磯雄

 (永人所感)

 吉田捕手の心情を思い、再起を願う安部氏の弔辞はさすがだが、この後、吉田捕手の再起を願って彼に手紙や書状を送って励まして欲しかったが、はたしてそこまでやってくれたであろうか?

是非そうであったものと思いながら、関係者のご冥福をお祈りしたい。                         合掌

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久慈次郎が残したもの 2

久慈次郎が残したもの

 久慈はその場に倒れた。試合は中断になり久慈は救急車で市立病院に運ばれたが、右こめかみの骨が折れて出血がひどく、危険な状態に陥った。

翌20日、細かく砕けた骨の摘出手術が行われ、久慈と同じB型の両軍選手が献血した。

だが意識は戻らないまま、21日朝、息を引き取った。

  札幌警察署が捜査に乗り出し過失致死容疑で取り調べを受けた吉田捕手は精神的なショックで病床に臥し、「自分を厳罰に処して欲しい」と願った。だが吉田捕手に対する同情論も高まり、警察は操作を中断した。

  久慈がプロ野球入りを断念したのは、函館大火により、失意の函館市民を放って行くわけにはいかなかったこと。そしてこの大会への参加も、主催者の小樽新聞社から頼まれて断り切れずに出場したことなどを考え合わせると、久慈の人間性が見えてくる。

  都市対抗野球の久慈賞は、久慈の功績を、讃えたもので、函館市営球場の入り口には久慈次郎像がある。函館の称名寺にある久慈の墓は妻カヨさんが建てたものだが、

 ボール型の丸い石にベース型の石、ミット型の骨入れにバット型の花立てがひときわ輝いて見える。 続く

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久慈次郎の残したもの 1

老楼快悔31話

久慈次郎が残したもの

 (転載開始)

久慈次郎。函館大洋(オーシャン)倶楽部の監督兼選手。昭和戦前の社会人野球界の名捕手で、全米選抜チームを迎え撃つ全日本軍の主将を務めた。

 

久慈次郎

314614

天格・久慈   17

人格・慈次   20大凶・病厄短命運

地格・次郎   20大凶・病厄短命運

外格・久郎   17大吉・直進運

総格・久慈次郎 37大吉・勤勉運

運の強さ 100点満点中20点

 我が国にプロ野球が誕生したとき、大日本東京倶楽部(のちの巨人軍)の主将として入団が約束されていた。

 この久慈次郎が亡くなったのは、昭和14年(1939年)8月21日・札幌の札幌神社外苑球場(後の円山球場)で行われた北海道・樺太実業団野球大会の試合で送球を頭部に受けたのが原因だった。

 事故の経緯を述べると、8月19日午後3時から函館大洋対札幌倶楽部戦が始まり、久慈は先発メンバーから外れてベンチで指揮を執っていた。4回を過ぎて2-1で札幌のリード。

 5回、久慈はたまらず、1塁守備に就いた。

7回、函館の攻撃、先頭の坂田が遊ゴロ失策で出塁。代走松岡に。打者は久慈。第1球、松岡が盗塁を決めて無死2類。一発同点の場面で札幌は敬遠策を採り、久慈を歩かせた。

  主審は「フォアーボール」と告げた。久慈はバットを捨てて1塁へ歩きかけて一瞬立ち止まり振り返って次打者に声をかけようとしたとき、2塁走者が類を離れるところを見た札幌の吉田捕手が走者を刺そうとして投げた球が至近距離で久慈の右こめかみを直撃した。

 久慈はその場に倒れた 続く

 

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1934年 静岡・草薙球場で

1934年・静岡草薙球場で

 

河北春秋(2023・3・8)

 1934年11月20日、静岡・草薙球場の空は何処までも高かった。

日米野球。17歳のエース沢村栄治(英雄運・大吉名👈永人)がベーブ・ルースらから9三振を奪い、大リーグ選抜をル―・ゲーリックの本塁打の1点に抑えた。

▼沢村の快投を引き出した選手が盛岡市出身で、主将の久慈次郎(病弱・遭難・災厄の短命運👈永人)だった。

「高めのストレートで相手打者の目を引き付けておいて、ドロップで打ち取る」。

中里憲保著『北の球聖 久慈次郎』に試合経過が詳しい。

 ▼盛岡中・早大から北海道函館市のチームへ。日米野球後、日本初のプロ球団に主将として入団を要請されたが、辞退する。函館は昭和34年3月に大火に遭った。函館を取るか、プロ化。「悩みに悩んだ末の涙の決断だった」。

39年、試合中の事故で40歳で逝く。

 ▼第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が今日開幕する。第2回以来の頂点へ、日本の初戦は9日。予想先発陣4人のうち大谷翔平選手佐々木朗希選手が久慈と同郷、岩手県出身だ。

 ▼沢村奮闘も0勝16敗だった日米野球から89年。二刀流の大谷選手は大リーグでスターになった。震災の津波で父親らを亡くした佐々木投手は3月11日に登板する可能性もある。道を切り開く後輩たち。黄泉の名捕手もミットを構え、鼓舞しているに違いない。

 

 

 

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怖がる人がバカを見る・コロナ2類は利権だった 最終回

怖がる人がバカを見る

コロナ2類は利権だった

 最終回

  コロナの発生時は対処法がマスクと自粛しかなく、マスクを着用させ自粛させるために恐怖を煽った。

  海外も同様でしたが海外の指導者は、“状況が変われば政策を変更する”と言いそれを実行しました」

日本も海外の指導者に倣ってほしいが、「日本は政府が少しでも失敗するとメディアに叩かれ、政治が臆病になっています。

  しかし、政治家の存在意義は、先見の明をもって国家100年の大計を論じ、その方向に国民を誘導すること。国民のいう事を聞くだけなら政治家など要らなくなってしまいます」

 岸田総理も、分科会の尾身茂会長も、日本医師会の松本吉郎会長も、自分たちの子や孫が暮らしやすい日本にする、という視点を持ちさえすれば、選択肢は一つに絞られるはずだが。

週刊新潮2月23日号分終わり

 (永人所感)

 2022年12月23日から週刊新潮が取り上げたものを毎週・週刊新潮を購入し、2023年2月23日号まで延べ8冊に亘る主張をたまに自分の所感を交えて連載させていただいたが、まだまだワクチン接種の裏側に隠された政府の意図や、ダボス会議を牛耳っている者たちに支配されている日本政府。

 ワクチン接種後の死亡とワクチンとの関係。

 ワクチンの中身の公表。

被害に実態と原因の究明。

被害者への補償の問題。治療費の公費負担など、早急に解決すべき問題は多々ある。

 何時の日か人類史上最大の薬害問題と騒がれ、責任者が処罰される時が必ず、そう遠くない時期に明らかにされるだろうと思う。

 ワクチン接種により、死亡者が出た場合は一人につき、4420万円を支払う用意あるとテレビを使って安心させ、どんどん打たせておいていざ死亡者が出ても原因不明で逃げ通す。

 はじめから払う気がなく、仮に死者が出ても

『死者にゼロ』という意味の4420万円だったのではないか。そう考えるのは私一人だけではないはずだ。

 日本国民は

『ワクチン接種の被害』と隠された本当の目的

『人口削減政策』に対し

もっともっと本気になって怒るべきだ。終り

 

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怖がる人がバカを見る・コロナ2類は利権だった 11

怖がる人がバカを見る

コロナ2類は利権だった

 

11回

 だがだいぶ前から新型コロナはこの分類に当てはまっていないという。

「新型インフルエンザ等対策法では、新感染症がこの要件に当てはまるには、インフルエンザ以上に危険な病気でなければいけません。致死率も重症化率もインフルエンザ以下のコロナは、昨年から特措法の要件を満たしていません。

  しかし厚労省アドバイザリ―ボードが、死者の増加局面で対策を緩める改正はできないと、問題を先送りしたのです。大きな被害を想定した対策が外せなくなるのが日本の特徴で、最大の原因は国会対策。

 野党がうるさいから緩められない。特に今回の5月というタイミングは、統一地方選前の国会対策が前提です」

  残念だが我々が無意味なものを押し付けられ、心身ともにむしろ不健康になり、将来への希望までも失おうとしているのは、政治が決断できないから。

  結局、問題はそこに行きつく様だ。東京大学名誉教授の唐木英明氏が言う。

「本来、政治家が政策決定の最終責任者でなければいけないのに、新型コロナは政治家がよくわからないのを理由に、医療関係者に丸投げした。医療関係者にとっては神風でした。

コロナ禍前まで病院の統廃合や診療費削減など向かい風だったのが、一気に補正予算が付き追い風が吹きだしたのです。

しかし病院に大金が入るのは新型コロナが2類だからで医療関係者は5類にすることに反対した(完全な詐欺行為だ。原資は税金だろうに👈永人)

  本当はそこで政治家が決断すべきでしたが。すべてを医療任せにしていた流れで、判断が遅れました。

特に、人の話をよく聞くことが看板の岸田文雄総理は医療関係者の話を聞きすぎて、判断が遅れたと思います。続く

 

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怖がる人がバカを見る・コロナ2類は利権だった 10

怖がる人がバカを見る

コロナ2類は利権だった

10

 

「政治が臆病になっている」

  そして、こう付け加えた。「日本医師会と全国知事会が合同で、段階的な移行になるように政府がある程度、ブレーキをかけ続けてほしいという要望を国に出しました。しかしそれでは純粋な5類にならない。5月までの3か月が、完全に5類扱いするための移行期間なのだと、医師会にも知事会にも考えてほしい」

最後に、2類とはなんであったか、改めて確認しておきたい。

一般に『2類相当』と言ってはいるものの、実は、新型コロナの分類は。指定感染症とは別枠の『新型インフルエンザ感染症』とされている。

 

 その意味を池田氏が説く。

「最初政府はコロナを指定感染症の2類相当としました。よくわからない感染症を暫定的に一番危ない分類にしたのは、仕方なかったと思います(冗談じゃない。実際は初めからワクチン接種が目的で、一番危険な分類にして国民に恐怖心を植え付け、接種の推進を図ることの意向が、そうした分類に位置付けたもので、いわば八百長そのものであった👈永人)

しかし、指定感染症は1年以内に解除する必要があり21年2月、政府は民主党政権が2012年に、新型インフルエンザ対策につくった法律を適用しました。

でもこれは死者64万人の感染症を想定して作った法律。

 それを全く異なるコロナに適用したのが間違いの始まりで、このため最大限に過剰な体制が整えられてしまいました。何人かの専門家は、コロナにふさわしい対策にすべきだと主張しましたが、民主党が作った法案の方が野党の反対を受けにくいという理由で、コロナは新型インフルエンザ等感染症という分類になった。そんな雑な事情で決められた分類を、今ようやくやめるだけの話です」続く

 

 

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