日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
久慈次郎の残したもの 最終回
久慈次郎の残したもの
最終回
吉田捕手の苦悩と人間性
私(永人)はここで札幌倶楽部吉田捕手の運気を想像してみたが、おそらくは、4・9・10・14・19・20・27・28・34等の画数が姓を除いた箇所に存在したであろうことを推量する(そうした意味で吉田さんの名を調べて見たが、どの記録にも明かされていない)。そうでなければ、煩悶(はんもん)の中に身を置くことはなかったに違いないからである。
事故は偶然に起こったことであり、まさに野球という試合中の事故。故意になされたものではなく、吉田捕手が置かれた立場はまさに同情に値する。もちろん久慈次郎さんはお気の毒の極みである。
こうしたことから札幌警察署が吉田捕手に対する“過失致死”の捜査を中断したのも至当だったと思う。
久慈次郎さんの葬儀に於いて
彼ほど人望のあった人はいない。彼を呼ぶのに『久慈君』という人はなく一様に次郎さんと愛称を用いていたことでもわかりましょう。また彼ほど純真な人間も稀(まれ)です。
私が特に深い愛情を有しているのもこの純真さのゆえでした。
今日突然久慈君ほどの人物を失ったことは皆さまご同様、まさに断腸の思いでありますが、同時にかかる事態を惹起すべき不幸な運命を与えられた札幌倶楽部の吉田君の胸中をお察しすれば、誠に同情に耐えません。
誰が故意にあんなことをしでかしましょう。それは人間として考えられぬことです。すべては神のみぞ知る偶然によることですが、しかし吉田君は生涯忘れ得ぬ不幸な出来事として煩悶(はんもん)されているかも知れない。
だが万事が過ぎ去りました。
吉田君は一日も早く暗い記憶を拭い去り、虚心坦懐、心機一転して再びグラウンドに立つべきです。
故・久慈君もそれを願って望んでいると確信いたします。
どうか、きょうご参列の方々のうち吉田君にお会いする方がございましたら、安部がこう申していたとお伝えください。ー
早稲田大学野球部長 安部磯雄
(永人所感)
吉田捕手の心情を思い、再起を願う安部氏の弔辞はさすがだが、この後、吉田捕手の再起を願って彼に手紙や書状を送って励まして欲しかったが、はたしてそこまでやってくれたであろうか?
是非そうであったものと思いながら、関係者のご冥福をお祈りしたい。 合掌