yoshのブログ

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利尻島 会津藩士の墓

2011-04-16 06:43:15 | 歴史
我が国が鎖国をしていた江戸時代の1804年、ロシアの使節レザノフは長崎に入港して幕府に通商を求めました。しかし、彼は拒絶をされると憤然と退去したという事件がありました。その後、レザノフは部下をして樺太やエトロフ方面に襲来させました。そこで幕府は1807年(文化4年)から1809年にかけて会津藩に命じ、樺太に出兵させました。会津藩は総勢1558名が宗谷岬、利尻島、樺太に駐留し、北辺の防備にあたりました。しかし樺太からの帰路、嵐に遭い、会津藩の船は難破しました。この時の死者を弔うために、宗谷岬の北端には会津藩士の墓と句碑、利尻島と焼尻島には会津藩士の墓があります。(利尻島の墓 写真下)

石川忠久先生は「學士會報」に次の五言古詩を寄せられています。

利尻島會津藩士墓     岳堂 石川忠久
四海風雲急    四海風雲急に
外夷窺北彊    外夷北彊を窺う
雄藩派兵出    雄藩兵を派して出で
壮士戌邊防    壮士邊を戌(まも)りて防ぐ
世収星霜古    世収まりて星霜古り
人亡名譽長    人亡びて名譽長し
樹碑孤島上    碑を樹つ孤島の上
永為對汪洋    永く為に汪洋に對す
        
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