「春雨だ濡れて行こう」の季節、時候の挨拶のお国言葉を半藤一利氏が紹介しています。氏と若干縁のある越後なら、行き交う人に「春らの、あったかくなったのう」という挨拶になります。越後生まれの不肖は、少しも違和感なく理解します。
これが鹿児島だと「春でごわす、ぬくうなりもした」となり、北九州「春やね-、ぬくうなったね」。大分「ばされえぬくうなったのあや」。松山「春ぞなもし」。京都にくると「ほんまにええ陽気どすなあ」。長野「春でやすない、ぬくとくなったねも」。そして宇都宮「春だんべ一」。仙台「春だっちゃね一」。秋田は「あったげなったべな」となるのだそうな。ただし、みな一時代前の言葉である。いまは日本全国どこへいっても同じテレビ的標準語で、味気ないことおびただしい。ところで、わたくしは生まれも育ちも東京は向島。いわゆる隅田川の向こう側、場末の下町ッ子である。「クソッ、やっと春になりゃがったな」ぐらいの乱暴きわまる東京言葉で老骨になるまでやってきた。わが故郷はどう考えても言語的にはほめられない環境というしかなかった。
落語の枕ではあるまいし、「クソッ、やっと春になりゃがったな」は乱暴ですね。
半藤一利「歴史探偵忘れ残りの記」文春文庫
これが鹿児島だと「春でごわす、ぬくうなりもした」となり、北九州「春やね-、ぬくうなったね」。大分「ばされえぬくうなったのあや」。松山「春ぞなもし」。京都にくると「ほんまにええ陽気どすなあ」。長野「春でやすない、ぬくとくなったねも」。そして宇都宮「春だんべ一」。仙台「春だっちゃね一」。秋田は「あったげなったべな」となるのだそうな。ただし、みな一時代前の言葉である。いまは日本全国どこへいっても同じテレビ的標準語で、味気ないことおびただしい。ところで、わたくしは生まれも育ちも東京は向島。いわゆる隅田川の向こう側、場末の下町ッ子である。「クソッ、やっと春になりゃがったな」ぐらいの乱暴きわまる東京言葉で老骨になるまでやってきた。わが故郷はどう考えても言語的にはほめられない環境というしかなかった。
落語の枕ではあるまいし、「クソッ、やっと春になりゃがったな」は乱暴ですね。
半藤一利「歴史探偵忘れ残りの記」文春文庫
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