yoshのブログ

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歌「戦友」

2009-09-09 08:31:44 | 文化
皆様は「戰友」という歌をご存じのことと思いますが、愛唱された方は少ないのではないでしょうか。十四番までと少し長いのですが以下に全文を記します。

一、 此處は御國を何百里 離れて遠き満州の赤い夕陽に照らされて 
友は野末の石の下

二、 思へば悲し昨日まで 眞つ先驅けて突進し 敵を散々懲らしたる
    勇士は此處に眠れるか

三、 嗚呼戰の最中に 隣に居りし我が友の 俄にはたと倒れしを 
    我は思はず驅け寄りて

四、 軍律厳しき中なれど 是が見捨てて置かれうか 「確りせよ」と
    抱き起し假繃帯も彈丸の中

五、 折から起る吶喊(とっかん)に 友は漸う顔上げて 「御國の為だ構はずに
    後れて呉れな」と目に涙

六、 後に心は残れども 残しちやならぬ此の體 「それぢや行くよ」
    と別れたが 永の別れとなつたのか

七、 戦濟んで日が暮れて 探しに戻る心では どうか生きて居て呉れよ
    物等言へと願ふたに

八、 空しく冷えて魂は 故郷に歸つたポケットに 時計許りがコチコチと
    動いて居るも情無や

九、 思へば去年船出して 御國が見えず為つた時 玄界灘で手を握り
    名を名乗つたが始めにて

十、 それより後は一本の 煙草も二人で分けて喫み 着いた手紙も
    見せ合ふて 身の上話繰り返し

十一、 肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ 死んだら骨を頼むぞと
    言ひ交はしたる二人仲

十二、 思ひもよらず我一人 不思議に命永らへて 赤い夕陽の満州に
    友の塚穴掘らうとは

十三、 隈無く晴れた月今宵 心染み染み筆執つて 友の最期を細々と
    親御へ送る此の手紙

十四、 筆の運びは拙いが 行燈の陰で親達の 讀まるる心思ひ遣り
    思はず落とす一雫

 これは明治38年、日露戦争の時代に生まれた歌であり、庶民の言葉で訥々と綴られており、哀切な良い歌です。京都府大江町出身の小学校教諭・真下飛泉(ましもひせん)が日露戦争に従軍した義兄の話を聞いて作詞しました。同じく京都府小学校教諭の三善和気(みよしかずおき)が作曲したものです。軍歌のひとつではありますが、戦争のむなしさが滲み出ており、反戦歌とも言えます。そのため太平洋戦争の頃は歌うことを禁止されたそうですが、今なお歌い嗣がれている名歌です。
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