戦国武将、仙台の伊達政宗公は、「五常」について自分流に解釈を加えて人生訓としました。五常とは儒学の徳目で仁、義、礼、智、信のことです。
伊達政宗の五常訓とは下記のようなことです。
仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。
気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い、金を備うべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆(しゃば)の御暇
申するがよし
また、文豪、漱石は『草枕』の冒頭に次のように書いています。
山道を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、個人的な感情を優
先させれば足下をすくわれてしまう。意地を通そうとするとがんじがらめになってしまう。何にせよ世間は生きづらい。
といった意味でしょう。
伊達政宗の五常訓とは下記のようなことです。
仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。
気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い、金を備うべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆(しゃば)の御暇
申するがよし
また、文豪、漱石は『草枕』の冒頭に次のように書いています。
山道を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、個人的な感情を優
先させれば足下をすくわれてしまう。意地を通そうとするとがんじがらめになってしまう。何にせよ世間は生きづらい。
といった意味でしょう。