作家の故・新田次郎の作品に「小説に書けなかった自伝」があり、2012年に出版されました。小説を書くようになった「そもそもの動機は『筆の内職(アルバイト)』をしたいということから発生した生活上の要求であって、文学とか小説とかいうものとはなんのかかわりもない出発だった」「サンデ-毎日」の懸賞小説に応募しようとおもった。一等は二十万円、「昭和26年の二十万円は現在の五百万円ほどの価値があった」。玄人も競争相手になることが予想される。「玄人と勝負して勝つには、まずその手の内を研究せねばならない。流行作家の小説を原稿用紙にそのまま書き写してみた」 新田次郎は、中央気象台の課長補佐だったがつとめをおえて、その筆写を毎晩つづけるのは大変な苦労だった。しかし、これをやってみて、「既成作家がそれほど恐るべき競争相手ではないと思った」、「私は私で好きなように書けばいいのだと分かると、もうなにものにも恐れなかった」。「強力伝」八十枚を書き、それが一等当選した。
新田次郎氏は62歳の時、アラスカ取材旅行を綿密に行い「アラスカ物語」を書きあげた。
作家の小島直記氏から見て新田次郎氏の作品、自伝は何を語っているか。小島氏曰く、「それは要するに、『モトデをかけない仕事にホンモノはない』ということだ。インスタント作家はもって肝に銘ずべきであるが、しかしこの教訓はなにも小説の世界だけに限る話ではない」。
参考 新田次郎「小説に書けなかった自伝」新潮文庫
小島直記 「出世を急がぬ男たち」新潮社
新田次郎氏は62歳の時、アラスカ取材旅行を綿密に行い「アラスカ物語」を書きあげた。
作家の小島直記氏から見て新田次郎氏の作品、自伝は何を語っているか。小島氏曰く、「それは要するに、『モトデをかけない仕事にホンモノはない』ということだ。インスタント作家はもって肝に銘ずべきであるが、しかしこの教訓はなにも小説の世界だけに限る話ではない」。
参考 新田次郎「小説に書けなかった自伝」新潮文庫
小島直記 「出世を急がぬ男たち」新潮社