yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

我が言貌(げんぼう)

2011-05-18 07:59:24 | 文化
宋の黄山谷(こうさんこく 1045―1105)は蘇東坡と併称され、東坡、山谷、味噌醤油と禅宗五山の寺院の僧侶にも愛重(あいちょう)されました。その黄山谷の書に次のようにあります。
士大夫(したいふ)三日書ヲ読マザレバ則チ理義胸中ニ交ハラズ。便(すなわ)チ覚ユ、面目・憎ムベク、語言・味ナキヲ。
理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則(筋目)のことです。顔に一切が書いてある。言葉に全てが表れる。「どの面(つら)下げて」とよく言われますが、思えば、自分の面構えが気になることです。
アメリカでの話になりますが、リンカーン大統領に、彼の友人がある人物を推挙しました。しかるに、リンカーンは一向にそれをとりあげませんでした。いささか癪に障った友人は、「どうしてあれだけの人物を取り上げないのか」と詰問しますと、リンカーンは「あの男の面が気に入らない」と言いました。「これはまた何と失敬な言葉か」と憤慨して、「面構えなどで人物をとやかく言うのは以つての外ではないか」と詰めよると、リンカーンは、「いや、人間四十にもなれば、己の顔に責任があるのだ。と言いました。」人相だけで人物を軽々しくは判断できませんが、こちらが虚心で経験を積んでいればかなりわかるもの、ということです。それよりも自分の良心が一番よく自分の顔を判断するものだそうです。自分の顔に責任をもつ、大変なことです。相撲の世界には初入幕で九連勝を挙げた魁聖(かいせい)関がいます。闘志を秘めた精悍な面構えをしています。テレビの解説者も賞めていました。

           安岡正篤  「百朝集」 福村出版
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