家康は緊迫した戦国時代に生きた武将でありながら、長寿でした。こうした武将に毛利元就75歳、伊達政宗72歳、豊臣秀吉62歳、徳川家康75歳など。当時の平均寿命は37、8歳ということですから、これらの武将達は驚く程、長命だったと言えるでしょう。豊臣秀吉は贅沢三昧の馳走に明け暮れましたので、晩年は臓器不全になって寝たきりでしたが、家康は最後の子供(市姫)を66歳でもうけています。人生の目標に「長寿」を掲げた家康は、長寿の秘訣として天海僧正に粗食を勧められました。「平日は軽味がよく、美味は月に1、2度あればよい」と常々言っていたということです。軽味とは、麦飯、そして野菜たっぷりの味噌汁、それに漬物が付く程度の粗食のことで、麦飯は朝夕二回で五合も食べていました。家康の麦飯は、半搗き玄米に麦三割のものでした。麦はビタミン、鉄分、繊維質に富み、玄米は蛋白質に富みます。麦飯は腹にもたれず、噛むことで脳が刺激されて老化を防ぐといわれています。東海三県は、信長、秀吉、前田利家、加藤清正、明智光秀などの出生地ですが、彼等は皆、地元産大豆100%の味噌を常食し、鰯の干物も食べていました。鰯の干物は抗酸化成分が含まれていて免疫力が高まるので戦場でも病気にかかりにくかったということです。この家康ですが、ある時、天ぷらを食べ過ぎて体調を崩し、突然世を去ったということです。九仞の功を一簣(いっき)に虧(か)いたともいえます。しかし、健康で長寿であったが故に天下を統一し、徳川三百年の礎を築き、多くの子孫を残して徳川家を盤石にし、長い泰平の江戸時代を開くことができたと言えましょう。
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