山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第20回>

2017-11-25 06:34:47 | くるま旅くらしの話

【今日(11/25:土)の予定】 

 浜松SA →(新東名道・東名道・圏央道)→ 常総IC →(R294)→ 自宅(帰宅)

 

【昨日(11/24:金)のレポート】 天気:晴れ

<行程> 

 道の駅:飯高駅 →(R166他)→ 伊勢神宮(内宮)参拝 →(R23・R306)→ 道の駅:津かわげ →(R306)→ 道の駅:菰野 → 四日市IC →(名阪道・伊勢湾岸道)→ 刈谷ハイウエイオアシス →(伊勢湾岸道・東名道・新東名道)→ 浜松SA(泊)

<レポート>

  とんだ変更続きの一日となった。そして旅も終りの日を迎えようとしている。朝起きた時は、特段の行く先も決めておらず、まだ寄ったことのない道の駅巡りでもするかなどと考えていたのだが、6時過ぎに一仕事を終えて歩きに出かけようかなと考えていたら、相棒が突然伊勢神宮に参拝しないかと言い出した。それもいいかなと思った。何時もここに来ると伊勢参りを行っているのだが、今回はそれを何故か思わなかったのである。道の駅巡りなどよりもお伊勢参りの方が価値があるのかもしれない。しかし、伊勢神宮の参拝は普通の時間帯では駐車場の確保が困難なので、早朝に着くようにしなければならない。そう話すと、珍しく相棒が起き出して身支度を始めたので、ああ、これは本気なのだなと思った。

 ということで、6時半に出発することとなった。伊勢神宮まではおよそ1時間強の道のりである。朝食は向こうに着いてから食べることにしてハンドルを握る。途中から朝日が上り始め、丁度それが伊勢の方向だったので、その眩しさに困惑した。ナビがいい加減なガイドをして少し手間取ったが、7時40分過ぎには到着。無事にベストのポジションの駐車場に留めることができた。参拝は別々だったり一緒だったりして、足並みが揃わないのはいつもの通りである。伊勢神宮参拝の最大の目的は、自分的には遥拝などではなく、原生林を控えた森の大気の美味さを味わうことにある。巨木の立ち並ぶ参道のみならず、背後に控える古来からの大きな森の佇まいは、神様を支える最大の力となっているのではないか。玉砂利を踏みしめながら40分ほどの参拝は心を清々しくしてくれた。

伊勢神宮入口の鳥居の景観。この鳥居を見ると、どの人も、ああ、お伊勢さんに来たのだというのを実感する。

伊勢神宮の森。どこまでがその管轄なのかは知らないけど、この森を見ると何だかそこにこの国の原点・原風景の根源があるように感ずる。

五十鈴川は禊の行われる場所だと聞く。清流に映える紅葉が美しかった。

正宮拝殿の景観。この石段を登ると、神様に対面できる拝殿がある。しかし、その写真を撮ることは禁止されている。何時もなぜなのかと思ってしまう。

 その後は、伊勢名物のうどんを食べようと思って、おかげ横丁辺りまでを往復したのだが、10時近くになっても店を開ける様子が無く、結局諦めざるを得なかった。相棒は何やら幾つかの獲物をものにしたようである。10時半頃に参拝を切り上げて、最初は重伝建のある関宿に行こうかと思ったのだが、気が変わり未だ行ったことのない菰野という道の駅にゆくことにしてナビを設定する。伊勢市内の道を抜けてR23に入り、それをしばらく走って、松坂、津を通過し、途中からR306に入って少し行くと新しい道の駅:津かわげというのがあったので立ち寄る。妙な名だと思ったら、かわげは河芸の地名のことだった。旅をしていると様々な土地の名に出くわすことがある。この道の駅で食べ損ねた朝食の代わりに焼き魚定食を食した。

 その後は同じR306を辿って道の駅:菰野迄行ったのだが、この道の駅は全くの期待外れで、トイレも古く、販売されている物にも興味を引くものは全くなかった。直ぐに出発して四日市ICから高速道に入り、名阪道、伊勢湾岸道と走って刈谷ハイウエイオアシスで小休止して、えびせんべいなどを買う。今日の予定は中央道の恵那峡SA迄行って泊り、明日は近くにある岩村城跡や幕末の大儒佐藤一斉先生の出身地を歩こうと考えている。そしてその後はR19を信州の松本まで行き、そこから帰途に就くことを考えている。

ということで、一息入れて出発したのだが、ナビに従って走っていると、中央道へのガイドが直ぐには出て来ず、東名道へのガイドばかりが出て来て、それが静岡だの名古屋だのというので、迷っている一に中央道へ行く道を選択せず静岡方面への道を選択してしまったのである。岡崎の方へ来てしまったので、今更戻ることはできない。わざわざSAに泊ることを選んだのは、通行料を少しでも安くするためなのだから、今日近くのICで降りて引き返すというわけには行かないのである。それで、最早岩村城跡へゆくことは止め、更に信州経由も止めて、このまま帰途に就くことにしたのである。今夜は新東名の浜松SAに泊って、明日は家につくという算段である。何だか尻すぼみの旅の終わりとなってしまって、我ながら情けない気持となっている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ‘17年 北陸・山陰・山陽・... | トップ | ‘17年 北陸・山陰・山陽・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事