山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第13回>

2017-11-16 06:34:16 | くるま旅くらしの話

今日(11/16)の予定】 

 道の駅:醍醐の里 →(R313)→ その先未定なるも最終的には倉敷のAさん宅へ

 

【昨日(11/15)のレポート】 天気:晴れ

 久米の里 →(R181・R53)→ 津山市・重伝建保存地区散策 →(R53・R179・R181)→ コインランドリー →(R181)→ 旧遷喬尋常小学校校舎見学 →(R181・R313)→ 道の駅:醍醐の里(泊) 

<レポート>

 津山市郊外にある道の駅の朝はかなり冷え込んで寒かった。4時に目覚めて、5時に起き出す。1時間ほど書き物をして、その後付近の散策に出かける。風が冷たい。特に目的もなく只歩くだけなのだが、この時間が楽しい。木立のこんもりとした丘があるので、そこへ行って見ると八幡様だった。県社となっていたので、それなりに格式のある神社なのだと思った。参拝を済ます。誰もいない神社の境内は空気が澄み渡って美味い。早起きの御利益だなと思った。40分ほど歩いて車に戻ったのだが、速足で歩いたので身体はすっかり温まった。相棒も起き出していた。

道の駅構内に置かれているガンダムの像。地元の中元さんという方が7年の歳月をかけて1999年12月に完成したものだという。実際に動かせるらしい。すごいなと感心することしきり。

 今日の予定は、先ずは津山市の城東という重伝建指定エリアの商家町を歩くことにしている。昨日までは別のことを考えていたのだが、津山まで来てしまったので、ここを外すことはしないと決めたのである。このエリアの訪問は2度目なのだが、1回では見落としていた何かが見つかれば良いなとの思いの再訪だった。駐車場に車を置きそれか1時間半ほどゆっくりと町内を散策する。幾つのもの小路があり、その一つの大隅小路というのを奥の方まで歩いて行ったら、そこに大隅神社というのがあったので、参拝する。この神社はこのエリアの守り神のようで、毎年秋に行われるだんじりの出る祭りは、この神社のイベントの一つらしい。地元のご老人がそのようなことを話されていた。どこもそうなのだけど、この町並みの通りも時々車が通るだけで歩いている人を見掛けることは滅多にない。一体どこへ消えてしまっているのだと思うほどの静けさだった。

津山市城東の重伝建指定地区の景観。ここはお城の東部に位置する商家町だったということ。

商家町の中でも最大規模と思える苅田家住宅。重文指定で、通りに面した長さは50m近くもあり、奥行きもそれに劣らないほどの規模の大きさである。

 散策を終え、車に戻った後は今朝の道の駅:久米の里まで戻り、昼食休憩とする。先ほどの重伝建エリアとは違って、ここはかなりの人が立ち寄って賑わっていた。津山焼そばというのを食べてみたが、特段美味いと思うほどでもなかった。焼きうどんの方が本命らしいのだが、自分はうどんは焼かないで食べるものと思い込んでいるので、オーダーはしなかった。我ながらつまらぬ信念である。

 食事の後は少し休んで、今日はこの後関金温泉に行って風呂に入って近くの道の駅で寝るだけの予定なので、溜まっていた洗濯物をコインランドリーを探して処置することにして出発する。10分も走らない内にコインランドリーを発見し、車を留めて早速作業にかかる。といっても機械が動くだけの話で、その係わりは相棒の専任事項となっているので、自分は待機するだけ。2時間ほどかかって洗濯を終え、関金温泉に向けて出発する。思ったよりも時間がかかり、これから予定している関金温泉まで行くのは無理かなと思い、別途の入浴施設などを調べて相棒に話したら、もう疲れてしまって、とても風呂に入る余力などないという。それもこれもあなたが急に予定を変更して、明日に予定していた洗濯をとり入れたりしたからなのだという。ということで、その後しばらく不穏な空気となる。とにかくこれ以上疲れさすのは具合が悪ので、関金温泉は止め、最寄りで一番近い道の駅:醍醐の里へ行って泊ることにする。またまたの変更である。

 途中久世という所にある遷喬小学校の旧校舎が残っており、それをざっと見学する。今日は生憎の休館日であり、中に入ることはできないので、写真だけでもとシャッターを切る。この校舎のことはAさんから教えて頂いた情報である。明治後期の擬洋風学校建築物として国の重文に指定されているとか。往時を偲ばせる立派な施設であり、これは国の財産だなと思った。岡山県には確かベンガラの吹屋の町にも古い校舎があったのを思い出す。自分の村の小学校は今頃どうなっているのだろうかと思いだした。もう60年以上小学校を訪ねたことが無い。どこへ行っても町の合併や統合で、昔を思い出せるもが残り少なくなってしまった。

真庭市久世町に残る旧遷喬尋常小学校の校舎の景観。今でも使用可能なように見えたのは自分の錯覚なのだろうかと思ったほど現代にも通用する建物だなと思った。

 その後はR313を走って、久世の先で左折し、しばらく走って道の駅:醍醐の里に到着する。4時少し前だったが、来訪者は少なく、少し冷たい風が吹き出した。明日の朝の冷え込みはもっと厳しくなるのかなと思った。ここは自分の手づくりのヘンテナでは地デジの電波を捉える事が出来ず、相撲の観戦はお預けとなった。BSに頼るしかない。明日はいよいよAさんご夫妻との再会が叶う日である。相棒の体調が少し心配だけど、頑張ってもらうしかない。

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