【昨日(11/25:金)のレポート】 天気:晴れ
<行程>
浜松SA →(新東名道・東名道・首都高・常磐道)→ 谷和原IC →(R294)→ 自宅(帰宅)
<レポート>
浜松SAは新東名道にある。東名道の方は浜名湖SAとなっており、新東名の浜松SAがあるのは、はかなりの山の中だ。SAでの宿泊は騒音を覚悟しなければならない。休日前夜とあってなのか、夜間の来訪者はひきも切らずの状態なので驚いた。朝起きて見るとほぼ満車の状態となっていた。これじゃあ、ドアの開閉のドタンバタンという音も仕方ないなと思った。昨夜は少し風が強く吹いたらしいけど、朝は澄み渡った快晴の空が広がっていた。
今日は旅の最後の日となる。ここから自宅までひたすら走るだけの日程である。朝食のあと、出発の準備をして8時半、構内の給油所で、超高価な油を入れる。軽油が1L134円もしている。何だかボラれている感じがする。何故高速道の給油所の油価がこれほど高いのかが解らない。文句も言えないので、仕方なしに給油しているのだが、高速道を降りればどんなに高くても10円は低い価格だと思う。燃料切れの心配をカサにとって思いっきりの高価で売りつけている感じがする。何故高くなるのか、高くしなければならないのか、誰か関係者に説明して貰いたいものだ。ということで、20Lだけ入れることにした。
その後は快調に走って、御殿場の足柄SAで休憩。今日は雪を冠した富士山がくっきりと眺望できる。今年こそは登ろうと思っていたのに、結局何やかやで不意にしてしまった。来年は北海道行を決めているので、富士山には上ることはできない。いっそ、もう一年遅らせて80歳の記念登山にしようかなどと考えている。生涯一度だけでいいから登ろうと思っており、チャンスはもう少ししか残っていない。そのようなことを思いながら富士山の眺めとお別れする。
足柄SAから見る今日の富士山の眺望。まさに名峰富士である。いつまで見ていても飽きの来ない素晴らしさだ。今回の旅の最後にこの景観に出会えてよかった。
足柄SAを出た後は、もうノンストップで家まで行くつもりである。東名道が終わり、首都高に入る間の3kmほどは渋滞でのろのろの進行だった。首都高に入って少し流れが良くなり、霞が関を過ぎて神田橋辺りからまたまたの渋滞となり、しばらく走ったり停まったりが続いたが、浅草を過ぎてからは順調な流れとなり、我が家への到着は13時15分となった。約3週間の旅だった。走行距離は2,795kmだった。孫たちに迎えられて、久しぶりにジイジに戻った。
【旅を終えて】
旅を終えての所感を書くのは未だ少し早いのだけど、今思っていることだけを取り敢えず書くことにしたい。先ず総体的に今回の旅を振り返ってみると、「変更」の多い旅だった。今回の旅は1カ月ほど前の10月からあれこれと思いを膨らませて、何度もスケジュールらしきものを考えたのだが、当初11月の初めには出発するつもりだったのが、自分が前立腺がん検査で引っ掛かり、精密検診が必要になり、その結果が遅れたために当初の出発ができなくなり、3日遅れて11月3日の出発となってしまった。そのために当初予定していた能登半島を巡る部分をカットせざるを得なくなってしまった。それは致し方ないとして、その後も例えば鳥取砂丘が砂嵐のために歩けなくなったり、天橋立も強風のために歩けなくなったりして、大幅に予定を変更せざるを得なくなってしまったのである。少しがっかりする側面もあったのだけど、逆に予定外の思わぬ訪問が叶ったりして、差し引けばOKということにはなったと思う。
今回の旅のメインは、3組の知人ご夫妻にお会いすることだったのだが、これは100%以上に念願を果たすことが出来て嬉しい。米子のBさんご夫妻とは2年ぶりの再会だったが、お互いに同世代としての無事な暮らしを確認出来て、夜遅くまで美酒と一緒の歓談が出来て幸せだった。Bさん手づくりのコテージは野趣豊かな風情があって、旅のものを力づけてくれる雰囲気大だった。あらゆるものがBさんの手づくりなので、その小屋の中にいるとBさんの心の温かさに包まれる感じがするのである。たった一夜の歓談だったけど値千金の感じがした。
倉敷のAさんご夫妻には、このような旅では滅多に味わえない貴重な体験と心温まるおもてなしを頂戴し感激した。3日も泊めさせて頂いたのだが、初日は午後の到着だったので、何処へも出かけなかったが、その日が初売りだという殻付きの牡蠣の蒸し焼きをごちそうになり舌鼓を打った。お二人がとんでもない交通事故に遭われて、今でも治療中という話には驚いた。それなのにご歓待頂いて恐縮だった。2日目には、地元の歴史探訪絡みの歩きにお仲間の皆さんに同行させて頂き、岡山県の古道の一つである津山往来(岡山⇔津山)の一部、約15kmを歩いたのは貴重な経験だった。昔の道を辿るというのは、現代の地図ではそう簡単に一致するとは限らず、道の変遷というのは思っている以上に激しいものがあり、そんな厳しい条件の中を往時に可能な限り近い道を探して,それを歩くというのは並大抵のことではないと思うのだが、Aさんのグループの皆さんは、知恵を出し合って、それを見事に実現・実行されているのに感動した。
また翌日には「吉備路探訪講座」というものを聴講させて頂き、岡山県が吉備の国であった大昔に造られた多くの古墳についての話を聴き、今まで古墳というものに対して抱いていた感覚を一変させる様な話を伺って、大いに得るものがあった。古墳と言えばただのお墓であり、大きいものは単なる権力者の遺産に過ぎないのではないかくらいにしか思っていなかったのだが、それは大きな誤りであって、墓というものからその時代の人々の暮らしや社会のあり方が見えて来るものなのだということを知った。
Aさんご夫妻は日本のみならず世界の各地を歩き回ってその見聞を楽しまれているというふうに思っていたのだが、決してそれだけではなく、日本の歴史や文化についても学びの精神を貫かれているのを知り、大いになる刺激を受けたのだった。その他にも彼の秀吉との戦の際に水攻めで苦闘した名将清水宗治の居城備中高松城跡やその秀吉の妻ねねの弟の木下家の居城のあった足守の城跡などにもご案内頂き、現在の岡山県地方には古代から現代に至るまで、数多くの歴史の名残が残されているのを知り、認識を新たにした。この3日間の体験の中で一番印象的だったのは、自分よりも一世代はお若い、このご夫妻の知識や体験の正確さというのか、学ぶということに向き合うその行動の真剣さに打たれるもの大だったことである。最終日には、ご主人には忙しい中を備前市の閑谷学校迄ご案内頂き、恐縮した。一緒に構内にある楷の樹の紅葉を見ようとしたのだが、これは既に半分以上が散ってしまっていて、念願が叶わなかったのは残念だった。とても充実した3日間だった。
その翌日はMさんの別荘をお訪ねした。Mさんは既に深老(85歳~)の域に達しておられる、くるま旅の大先輩で、2年ほど前にくるま旅を引退され、現在は播磨自然高原に別荘を購入されて、月の何日間はそこで過ごされておられるのだが、今回初めてその別荘をお訪ねしたのだった。11月半ば過ぎという時期は、冬に入る季節でもあり遅過ぎてご迷惑をお掛けするのではないかとの心配と反省を感じながらの訪問だったのだが、それを吹き飛ばすようなご歓待を頂戴して感激した。二棟ある別荘は、一棟の方は未だ整備中で、ご主人が自らそれに取り組んでおられ、しかもそれを楽しんでいらっしゃるのである。お邪魔した時は丁度竹垣の製作中で、風情のあるものが出来上がりつつあった。とても世代を感じさせない矍鑠たる姿に心を打たれた。
播磨自然高原というのはかなり広い面積を持つ別荘地で、日本国の中にこのような場所があるのかと驚くほどの広い山の中に思い思いの形の別荘が点在していた。別荘と言えば軽井沢や伊豆高原などを思い起こすのだが、この播磨自然高原の広大さはそれらに劣らぬ規模だなと思った。自分の住む守谷市などよりも遙かに広いのである。その中に約千軒ほどの別荘が点在し、それらを結ぶ道路を計算すると、130km以上に達するとか。もう2年お住まいになっても、何軒か先の知人の家までに行くのに道を違えるというほどの広さであり、樹木の中なのである。
Mさんは人生を楽しむ達人だと思っている。現在に至るまでには、企業家として人並み以上のご苦労をされておられるに違いないのだが、それらのご苦労を現在は全て楽しみに変えられて日々を過ごしておられるように思えるのである。まさに自分がこれから目指そうとしている老の生き方の先駆者でいらっしゃるのだ。活き活きと心豊かに毎日を生きるというお手本を、身をもって体現されておられるのである。それは自分一人だけの言動にあるのではなく、多くの友人知人との交流を大切にし、共に生きることを楽しむという姿勢なのである。
Mさんの暮らしを支えているのは奥様の力であることは疑う余地はない。来世も奥さんと一緒というのを辺り憚らず明言されるMさんの姿を見ていると、その信頼感の絶大さに心を打たれずにはいられない。冗談などではなく本気なのだ。それはやっぱり美しい生き方なのだと思う。自分などにはなかなか口に出しては言えないことばである。その奥様の料理の腕はまさにプロを凌ぐかと思われるほどである。どんなささやかな物であっても、食べる人に対する心遣いの籠った料理が出されてくるのには、本当に頭が下がり、又その美味しさに感動するのである。料理だけではない。いろいろな面でご主人を支えておられる力は、やはり奥様自身もご主人が大好きという証なのだと思う。
そのようなお二人にご歓待頂き、その夕べのひと時は幸せと感謝の絶頂にある感じがした。というのも、我々二人だけではなく、同じ別荘エリアに住むTさんご夫妻もお招きになりご一緒することができたからである。このように人とのつながりを広げて下さるという配慮が素晴らしいと思う。おかげさまで又Tさんご夫妻という新しい知り合いを得ることができ、感動が深まる。活き活きと生きるというのは、一人だけの暮らしでは決して実現できないのだと思う。多くの人とのつながりの中で、それが確実になるのだと思う。大先輩から学ぶことは多い。
それから目的以外の目的を超える嬉しい再会もあった。宇陀路大宇陀の道の駅に泊った翌朝、訪ねて来て下さったHさんとの再会である。この方はくるま旅を志向されておられるお若い方で、まだ奥様が現役でお勤めなので、ご夫婦で自在の旅をするというわけには行かないのだと思うけど、今は新しい旅車の納車を待つ中にあり、その楽しみは際限なく膨らみ続けておられるのだと思う。短い時間の歓談だったけど、とても楽しいものだった。いつか旅先で、特に北海道辺りでご一緒する時が来れば最高だなと思った。そのような夢を与えてくれるお一人である。
ということで、これらの皆さまとの再会は実に嬉しい、楽しい、そして学ぶことの多い充実した出会いだった。もうこれだけで十分な旅だったように思っている。予定は相当に狂ってしまったけど、最早そのようなことは取るに足らないことである。
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