山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第11回>

2017-11-14 05:52:34 | くるま旅くらしの話

【今日(11/14)の予定】 

 知人宅 →(R431・R9・R180)→ 道の駅:メルヘンの里新庄 →(R180)→ 勝山町散策 → その先未定

 

【昨日(11/13)のレポート】 天気: 晴れのち曇り

 道の駅:あらエッサ →(R9・K)→ 大山寺 →(K・R9・R431)→ 皆生温泉 →(K・R431)→ 知人宅(泊) 

<レポート>

 少し寒いなと思いながら起き出す。車内の温度は9℃だった。気温も1桁となると寒さを感ずるもののようである。外は快晴の空で、まだ日は上っていないけど今日は結構暖かい日となる様な気がした。今日は特に予定はなく、この後皆生温泉に行って心身沐浴した後知人宅を訪ねるだけである。

 その後出発の準備をしながら思ったのだが、このまま温泉に行くのではなく、その前に先日行こうかと思ったけど大風のために取り止めた大山寺に参詣しようかと思った。今日は風も殆ど無く、快晴なのだから何の心配もない。ということで相棒に話したら、何と相棒の方もそれを考えていたとのこと。このように意見が一致することは真に珍しい。ということで、急遽大山寺に向かうことにした。

 大山寺はここから40分足らずで行けることがナビを見て知った。途中は無料の高速道を利用してあっという間に到着した。大きな駐車場が幾つかあったけど、どこも何だか工事中で、留めるのに少し戸惑った。車を止めてお寺の方に向かったのだが、その距離の遠く厳しいこと。何しろ急な坂道が続き、それが終わると今度は急な石段が待っているのである。急ぐと息が上がるので、ゆっくりと歩を進める。ようやくお寺に到着して参詣を済ます。境内に鐘つき堂があり、撞いても良いということなので、100円を箱に入れて、心を澄ませて鐘を鳴らす。ゴ~ンと厚い音が響いて山に消えていった。

大山寺山門。ここまで来るのが大変だったが、ここから更に石段が続いていた。信仰というのは苦労すれば報われるというのを示しているのかもしれない。老人になるとそのことに気がつく。

大山寺本堂。思ったよりも小さな建物だったが、それなりの貫録があった。

大山寺境内から見る大山の景観。ここからは4km足らずの距離だという。若ければ登ってみたい山の一つである。

 

 

その後は脇に道があり、それは大神山神社奥宮というのへ行く道だった。かなり歴史の古い神社らしいので、行って見ることにした。これもまたかなりの坂が続く石段の道が続いていて、神社の山門に着くまでに15分もかかった。最後の石段を上ると古びた立派な神殿がそこにあった。中には国宝級のものがあるらしいのだけど、それを見ることはできなかった。説明板を読むと、明治の廃仏棄却前まではこの奥宮を中心に多くの伽藍を伴った西国一の信仰の場所だったということ。ここでもあの廃仏棄却という愚かな行為が民衆の大切にしていたものをぶち壊しているのを思い知らされた。

 

大神山神社奥宮の神殿。古い重厚な建物である。大山寺よりも上に位置しており、冬季はかなり厳しい環境となるに違いないなと思った。

 

 

 思いつきで来たのだが、これは大成功だった。大山の峰々もくっきりと間近かに見えて、逆光に眩しかった。大自然の最後の秋をたっぷりと味わうことができ満足した。その後は駐車場に戻り皆生温泉を目指して出発する。皆生温泉には11時半過ぎに到着する。OUランドという日帰り入浴施設である。ここは昨年も利用しており、2度目となる。石鹼もシャンプーも自前の風呂なので、400円は高い感じがするが、この辺りの温泉施設は皆高額の料金なので、止むを得ないのかなと思った。でも皆生温泉は少し欲が深すぎる感じは否めない。これだけ有名な温泉ではもう少しリーズナブルな料金のところが多い筈なのに、ということである。入浴の後は昼食。相棒は少し湯当りしたらしく、しばらく寝床で横になっていた。

 

 

 その後は、少し先の弓の浜近くに住まわれる旅で知り合った知人のBさん宅を訪ねる。Bさんご夫妻との再会は2年ぶりである。我々と同世代の大切な知人である。15時頃に到着して、、早速乾杯を始めて、その後は22時頃まで歓談は絶えることが無かった。その内容は秘密である。

コメント
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