山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

14年 北海道旅くらしのレポート <第9回>

2014-07-28 06:06:24 | くるま旅くらしの話

【今日(7/28)の予定】 

  道の駅:マオイの丘公園 →(R274・)→ 栗山町:継立自動車工業(下部塗装)→ その先未定

 

【昨日(7月27日:日)のレポート】天気: 雨 

<行程>

北広島市内の知人のケビン →(道道・R274・道道)→ 厚別区内知人宅 →(道道・R274)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

<レポート>

二日間もゆっくりと過ごして、今日は新たな移動日となる。といっても、それほど遠くない厚別区の相棒の知人宅にお邪魔した後、午後遅くは名古屋からお出での、これ又旅の知人との再会を果たすことになっている。天気は雨との予報だけど、朝方6時前の空は青空も覗いていて、とても雨が降る様は思えない感じだった。今朝は昨日買ったダンベルを両手に1時間余り登山靴スタイルで、付近を歩き回った。ショッピングモールの更に先の方まで行ってみると、何故か一度来たことがあるような記憶が甦った。何なのだろうと思いを巡らしたら、そこはもう北広島市ではなく、札幌の清田区に入っており、以前にこの近くにあったキャンピングカーのビルダーがあった近くなのだと気がついた。これほど近くだったとは、ある日突然来訪した者には決して気づくはずがないことだったのであろう。土地を知らない者の危うさの様なものを感じたのだった。7時少し前に車に戻る。

食事の後出発の準備をする。タルミさんの畑をもう一度丹念に見て回って、北海道というこの土地での野菜類の作付けなどを確認した。ほぼ内地と変わらない作物が何種類も植えられていたが、その生育状態は、やはりかなり遅いなと思った。順調に育っているのは判るのだけど、たとえばナスやトマトなどは、ようやく花が終わって実が膨らみ出したレベルであり、やはり光と温度の質量が違うのだなと思った。1か月半くらいのずれがあり、恐らく収穫期も短いのだろうと思った。それにしてもかなりたくさんの種類の作物が植えられており、それらがそれなりに育っているのを見て、タルミさんの並々ならぬ百姓への情熱を垣間見た気がした。自分も百姓志向の人間であり、その意気込みを高く評価したい。記念に何枚かの写真を撮らせて頂いた。

あれこれと準備を整えて、9時過ぎ相棒の大切な知人の、厚別区に住まわれるタケダさん宅に向かって出発する。相棒はその昔東京在住の時に、小金井市にある江戸東京たてもの園という博物館施設のボランティアガイドをしていたことがあり、その関係で北海道の旅の中で野幌にある開拓村を訪ねた時にそこで同じようにボランティアガイドをされていたタケダさんと知り合い、それ以来の交流が続いている間柄なのである。もう一人同じボランティアガイドをされていたタムラさんとも、今日は一緒にお会いできることになっているとのこと。この方たちの邂逅はもう何度か実現できているのだけど、今回は2年ぶりということもあって、相棒の思いはいつもよりもかなりハイレベルになっているようである。30分ほどでタケダさん宅に到着する。自分は彼女たちの邪魔をする立場ではなく、また仮に一緒に仲間に加わることを勧められたとしても、とてもそれを楽しむ自信はなく、とにかくひたすらに辞退するだけである。ジジイが彼女たちの話題に加わるなんて正気の沙汰ではないと思いこんでいるので、相棒を預けた後は、さっさと消え去ることにした。

その後は、先ずは近くにある運動公園の駐車場に車を停め、しばらく付近を散策したりして歩きを楽しむ。この頃は青空がむき出しになって、強烈な日差しが地面を襲って、こりゃあ天気予報とは大分違うなと、少したじろぐほどの暑さとなった。車に戻ってしばらくネットで調べ物をしようとしたのだが、つながらない。どうやら今いる場所が、凹地で谷底の様な地形なので、電波のキャッチが難しいのかなと思い、その後、少し先にある谷底ではない別の駐車場の方に移動する。しかし、そこでもネットがつながらず、どうやら厚別区のこの辺では、電波が歓迎してくれないのだと、ネットの調べ物は止めることにした。

気づけば、12時近くになっていたので、昼食にしなければならない。食材の入っている箱を見たら、スパゲッティとインスタントのトマトソースの袋があったので、それを茹でて食べることにした。このレベルのメニューは、その場しのぎとして時々行っており、慣れているので何ともない。今頃相棒たちは何を食べているのかな、などとは決して思わずに、一人優雅に食事を済ます。その後は、しばらく本の制作に用いる旅の写真の選定をしようと取り組んだのだが、どうも気が乗らず、こんな時はやっぱり午睡に限ると寝床の中へ。この頃から空模様は一転して黒雲に覆われ、驟雨が襲ってきた。それを子守歌に聞きながら、しばらく眠って、目覚ましの音に目を開けた時は14時丁度だった。相棒には15時をリミットにして貰うように念を押しており、あと1時間の余裕がある。雨は小降りになっていたが、依然降り続いており、止む気配はなさそうである。

実はここへ来る前の暑さに襲われた晴天時に、車の入口に敷く四角のシートが少し湿っていたので外に干したのだが、それを移動時に忘れて途中でどこかに落としてきてしまっていたのだった。雨なので、それがないとカーペットが濡れてしまい困るのである。仕方がないのでタケダさん宅近くにホームセンターがあったのを思い出し。そこへ行って買うことにして移動することにした。行ってみると、何と2年前には確かにそこにあったホームセンターがなくなっており、今は大型のスポーツ用品を扱う店となっていた。その後はもう新たに店を探すのは面倒になり、時間もリミットにかなり近くなっていたので、お宅近くの公園でしばらく待機し、間もなくタケダさん宅に。丁度15時にまだ話足りなそうな顔をして相棒がタケダさんとタムラさんに送られて玄関から出てきた。お礼とお別れの挨拶を交わして出発する。

この頃も雨は本降りで、ワイパーの動きが忙しなく続いていた。今日の宿の道の駅:マオイの丘公園に向かう。途中敷きマットを求めようとホームセンターなどを探したが、結局見つからず諦めることとなった。16時少し前に道の駅に到着。今日のもう一組の再会予定の名古屋からのミズノさんは、既に何日か前に先着されており、その脇に車を入れる。あいにくの雨はますますやむ気配はなく、降り続く中だった。待ち構えておられたように奥さんが顔を出されて、これ又2年ぶりの再会を喜び合った。

その後は、17時過ぎまで歓談が続き、夕食は構内のレストランで摂ることにして、それが終わって更に夜遅くまで歓談が続いた。ミズノさんご夫妻とは数年前にやはり道内で知り合った仲で、何とも心のシンクロナイズする大切な知人である。ご夫妻はお酒を殆ど飲まれず、小さなワイングラスに、最小サイズのビールを二人で仲良く乾杯されるのを見た時は、アル中にほど近い自分には想像もつかない微笑ましい姿に映ったのだった。夕食の際にもビールだけで済ます自分を、お二人はやや訝しげにご覧になっていたようだった。

食事が終わった後の歓談もミズノさんの車の中で尽きぬ話題に果てしなく続きそうだったので、明日のことも考えて21時近くには切り上げることにした。雨は依然降り続いている。明日は晴れるというけど、本当なのか少し心配になえるほどだった。相棒は今日は一日中話をし続けて、存分に満たされたのであろう、先に寝床に入るとあっという間の爆睡だった。自分は午睡もしているので、まだ眠りには余裕があり、そのあと少しブログの下書きをして、間もなく寝床の人となる。

コメント
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