【今日(7/21)の予定】
道の駅:しちのへ →(R4・R279他)→ 大間崎キャンプ場(泊)
【昨日(7月20日:日)のレポート】天気:雨・曇り
<行程>
国見SA →(東北道)→ 長者原SA・紫波SA →(安代JCT・八戸道・R45)→ 道の駅:六戸 →(R45・R4)→ 道の駅:十和田 →(R4)→ 道の駅:しちのへ(泊)
<レポート>
昨夜来天気ははっきりせず、時々本降りになったりして車の天井を叩いていた。明け方には少し雨脚が強まり、今日もまた雨なのだと念を押される感じがした。SAにはかなりの車が駐車場を埋めていて、トラックよりも普通車が多いのは、連休の中日の証明なのかなと思った。騒音が心配だったけど、比較的静かな一夜を送れてよかった。初日なので疲れも出たのか、熟睡を得ることができて満足。
さて、今日も車の移動の一日となる予定である。高速道をこのまま行って、安代JCTで八戸道に入り、終点まで行ってそこからは一般道を走り、七戸の道の駅まで行って、そこに泊らせてもらおうと思っている。先ずは朝食だが、これはもう簡単にパンとインスタントみそ汁というやや変則的なメニューで済ませる。TVもネットも利用せず、SAの中にある情報板を見に行く。それによると、今日の天気は福島県と宮城県は雨か曇り、岩手県は曇りか晴れということで、北上するほどに雨の可能性が薄れるということだった。
7時丁度出発。この時間帯はかなりの雨降りとなっていた。1時間ほど走って、長者原SAで小休止。燃料が少なくなったので、40L補給する。軽油の単価は151円と、ここは隣よりも1円高い価格だった。高速道の給油は何処へ行っても高いので、困惑する。守谷市内での出発前に満タンにした時の価格は132円だった。それでも安くはないと思っているのに、この20円近くもある価格差は一体何処から何の理由でそうなってしまうのだろうか。昨夜のレストランでの夕食の内容も不可解だったけど、石油価格は全国的なものなので、車を動かすためには入れないわけにはゆかず、一レストランの軽薄なメニュー内容などとは比較できない、得体の知れなさが潜んでいる気がする。
長者原SAを出る時も雨は依然として本降りで、一向にやむ気配はない。岩手県は曇りの予報だったので、もう少し行けば止むのかなと思いつつ一関ICを越える。しかしダメだった。尤も県境などというものは、人間が勝手に作ったものであって、大自然から見ればナンセンスな線引きなのだろうから、岩手県に入ったからといって、俄かに雨が止むはずもなかろう、などと考えながらしばらく走り続ける。すると、やはり次第に雨は小降りになり、道路も乾いた所が見えるようになってきた。北上や花巻を過ぎる頃は、雨降りを完全に忘れさせてくれる景色となった。予報はやはり当っていたのだった。紫波SAにて大休止することにする。
相棒が甘いものと一緒にコーヒーを飲みたいという。この1カ月ほど、ずっと甘いものを抑えて減量を心がけてきたので、ストレスが溜まって、気分が優れぬらしい。さっそく甘いものを求めて売店の方へ出かけて行った。こちとらはその間にお湯を沸かしてお茶の準備をする。間もなく戻ってきたのだが、どうやら求めていた形の甘いものは見当たらなかったらしく、代わりに揚げたてというメンチカツを仕入れてきた。列をなして皆が求めていたので、それにつられて買う気になったらしい。それをパンに挟んで朝食のやり直しをしていた。何しろ6時半ごろの朝食時間だったので、あまり食べられなかったらしい。自分の方は、いつでもどこでも何でも口に放り込むという野蛮な生き物なので、この時間帯ではそれほどの食欲はない。コーヒー豆をガリガリやる役割は自分の方で、相棒はそのコーヒーを淹れて飲んで、満足したようだった。曰く、甘いものではなくお腹が空いていたみたい、だと。45分ほど休んで再出発。
青空は全く見えないけど、雨の心配はすっかり消え去って、その後の走行は快適レベルだった。安代JCTから八戸道に入り、そのまま休むことなく終点の下田百石ICまで一気に走り抜ける。ICを出たのは12時20分だった。これで往路の高速走行は終わりである。料金は8,530円也だった。一昨年は千円、そしてつい先日までは半額だったのが、今はこの価格で、政治屋のご都合主義には腹が立つ。加えて中東の政治がらみの騒乱で石油の供給も不安定で、ジリジリと高騰を続けている。くるま旅には、厳しい状況が続いているのを自覚しないわけにはゆかない。とにかく自衛するしかない。
このまま七戸に行ってゆっくりするのもいいのだけど、少し早すぎるようにも思うので、相棒の関心大の南部裂き織りの展示工房のある道の駅:十和田に行って、そこで昼食をとったりしてゆっくり過ごし、15時過ぎごろに七戸の道の駅に向かうことにしようと、相棒に話したらもちろんOK。13時少し前に十和田の道の駅に到着する。今日は3連休の中日とあってか、広い駐車場は9割方埋まるほどの人出だった。小さな子供連れの若い両親にジジババがくっついて歩いている人などが目立った。この道の駅には小さな遊園地もあり、更には隣接して競馬の場外馬券売り場もあり、大人も子供もそれなりに楽しめるのであろう。深刻な顔がないのは平和というものであろう。我々も隅っこの方に車を停め、仲間入りをする。
相棒は何か食べ物をと直ぐに出かけて行った。自分の方はジャガイモを茹でて食べることに決めているので、さっそくその準備に入る。昨日下妻の道の駅で買ったキタアカリの皮をむき、それを茹でてあまだれという、つけ麺の素風のもので味をつけたのが好物なのである。20分ほどで完成する。この間に相棒は売店で赤飯などを仕入れてきた。この道の駅で昼時を迎えた時は、いつも似たり寄ったりの昼食内容となっている。今日は、ジャガイモの分だけがいつもと違う感じだった。ジャガイモ大好き人間なので、相棒が買ってきた物には殆ど心が動かない。ただ、トウガラシ味噌とかいうのには興味があって、クラッカーにつけて食べて見たら、なかなかの良い味だった。冷ややっこにもいいなと思った。とにかくジャガイモで満腹する。
昼食後は相棒は南部裂き織りの工房に出かけて行った。自分の方は、昼寝にしようかと迷ったが、少しブログの下書きでもしておこうかとパソコンを出して書き始める。ところが、何だか急に腹が刺し込んできて、こりゃなんだと、たまらずにトイレに直行する。一応収まったかに見えたのだが、その後も腹痛は襲ってきて、都合3回のトイレ通いでようやく腹の中のものを全部放出して痛みは消え去った。まさか、ジャガイモのたたりでもあるまいし、と思った。もしかしたら、クラッカーにトウガラシ味噌などという不似合いな食べ合わせが、腹を刺激して機嫌を損ねたのかもしれない。不覚だった。
15時過ぎ相棒が戻ってきて、七戸に向かって出発することにする。工房のお目当ての人は、既にここを辞めておられて、お会いできなかったとか。それでも2時間近く話し込んで来たのだから、まあ、タフネスなおしゃべりパワーの持ち主なのであろう。その後ひとくさり状況報告を上の空で聞きながらの運転だった。七戸までは20kmほどで、16時丁度にいつもの道の駅に到着する。ここも十和田に負けずの大盛況の車の混雑ぶりだった。すぐ近くに東北新幹線の七戸十和田駅があり、隣接してイオンモールがあって、広大な駐車場があるのだけど、そこも7割くらいは車が埋まっていた。このような商業施設や道の駅の様な交流施設には、地元の人たちも大いなる来訪の楽しみがあるのだろうなと思った。
すぐ近くに東八甲田温泉という入浴施設があるので、先ずはそこへ行って疲れをとることにする。今年の春の旅でも利用させてもらっている。入浴料は300円。石鹸やシャンプーなどは置いていないけど、リーズナブルな値段である。ここは天然温泉なのだが、熱いので水をジャージャー入れて薄めて温(ぬる)くしているのが気になる。浴槽が4つあって、その内の一つは水風呂。あとの3つは温くしてあるのが二つ、そして残りの一つが源泉らしい。そこには熱湯と書かれていて、これに入るには相当の勇気がいる。熱いのだ。草津温泉にも劣らぬ熱さである。温泉の効能は、源泉に入ってこそ発揮されると思っているので、ここへ来た時は必ずこの熱湯に入ることにしている。先ずは普通の熱めの浴槽に入った後、水風呂で体を冷まし、その後一気に熱湯に入るのである。熱いけどじっと我慢して知ると次第に身体が熱さに慣れてきて、耐えられるようになるのは不思議である。2分ほど入って外に出て、水風呂で体を冷ましてそれで終わりにする。何回か繰り返した方が効果大なのかもしれないけど、老人なので1回だけで良いと思っている。これで気分爽快になって、温泉に入った気分になれるのである。いや、余計な話でした。
温泉が終わって、道の駅の駐車場に戻ったのは17時半近くだった。さすがに車も少なくなっていて、泊りらしき車はそれほど多くはないようだった。いつもと同じ場所に車を置き、今日はTVを見ることにして、設定を行う。しばらく相撲の実況放送を見ながら夕食を摂る。バッテリーを新しくしてきているので、電気不足で困ることはなかろうとは思っている。今日は大河ドラマの軍師官兵衛があるので見ないわけにはゆかない。しかし20時までにはかなり時間があるので、一眠りすることにした。相棒は起きているという。何かすることがあるらしい。寝起きの自在については随分前から練習をし続けているので、大丈夫という自信がある。一応目覚ましをかけてその後熟睡した。目覚めたのは10分ほど前だった。
そのあとじっくり軍師の有り様を画面から窺った。歴史の立役者は、信長や秀吉、家康などではなく、その裏にあって彼らを支えた人たちではないかといつも思う。そして、今の時代も表に立っている人よりも、裏で知恵を巡らしている人物が必ずいるに違いない。そう思っている。表にいる人は、裏を使っているように思っているかもしれないけど、実際は逆に使われ踊らされているのかもしれない。竹中半兵衛、黒田官兵衛、諸葛孔明などの軍師といわれる人たちがそれぞれの時代の歴史を動かしていたことは紛れもない事実に違いない。そのように思いながら、TVを見終わって、我に返って再び寝床の人となる。